2007年6月 7日 (木)

補遺

 本ブログを始めるに当って、記念グッズの情報なども挿入するつもりでいたが、なかなかそのチャンスもなく、方法も定まらず、終わってしまった。

 今、手元に散在する博覧会グッズ・記念品・記念となる印刷物等、整理してご紹介したいと考えているが、ご関心あるいはご助力していただける奇特な仁がおれば、ご連絡ください。

 福島公夫 kimiof98@mb.infoweb.ne.jp

よろしくお願いいたします。

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7-9 つくば科学万博‘85を終えて

7-9               つくば科学万博‘85を終えて

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写真 伊原事務総長

7-9-1  国際科学技術博覧会を終えて

 ()国際科学技術博覧会協会事務総長  伊原義徳

構想を得てから7年半、()国際科学技術博覧会協会が設立されて具体的な準備作業が開始されてから5年半、その間いろいろの困難な条件を乗り超えて、関係者の熱意と時の動きに支えられながら、また関係職員の汗と涙のうちに、多くの話題を集めた「科学万博―つくば‘85」は、昭和60916日、盛会裏に無事184日間にわたる会期の幕を閉じることができた。

21世紀に向かって、これからのわが国の発展にとってますます重要な役割を果たす科学技術について、これを単に専門家だけのものとしないで、国民の11人にとって身近なものであり、親しみの持てるものであることを肌で感じてもらいたい。そのために、科学技術についての新しいイメージを探求しよう。

また、昭和38年以来営々として建設と整備を進めてきた筑波研究学園都市を、世界に誇る近代的頭脳センターとして、国内のみでなく、広く世界に紹介したい。発展途上国をはじめ、世界のあらゆる国々から多くの人びとを招いて、わが国がどのような路を経て現在の科学技術の水準に達したかを明らかにするとともに、今後わが国が科学技術の分野において大いに世界に貢献するという姿勢を示したい。

このような目的と意図のもとに、日本万国博覧会(1970年、大阪)、国際海洋博覧会(1975年、沖縄)に続くわが国で第3回目の国際博覧会が筑波の地に開催され、多くの曲折を経ながらも、最終的にはその目的を十分に達成することができたのである。

これを具体的に例示すれば、 1)入場者数2,033万余人、 2)参加国、参加国際機関数合計85、 3)国内出展28、 4)訪れたVIPは、海外からは元首6名を含んで約7,000人、国内からも天皇陛下の行幸をはじめ約13,000人という記録を達成するとともに、展示において、催事において、会場運営において、数々の新機軸を生み出した。

しかも、建設工事において、会場運営において、また会場周辺の交通システムにおいて、ほとんど事故らし事故もなく、平穏裏に準備と運営とを終えることができたことも、また特筆に値すると言えよう。

ひるがえって考えると、科学万博の準備に当たっては国内的には財政再建、行政改革というきびしい背景のもとに、また国際的には世界同時不況という不利な情勢の下でその成功が危ぶまれたが、政界、官界、財界、学会をはじめ、国内のあらゆる方面からの手厚いご支援をいただき、また海外から多数の熱心な参加をいただくこととなったのは、誠に有り難いことであった。

また、準備期間中の物価の安定と労働力の安定供給が得られたこと、たまたまハイテク・ブームと時期を一にしたことも幸いであったと言えよう。

このようにして、.準備万端も整い、内外の大きな期待のもとに開会の幕が切って落とされた。開会当初は、多少の不具合の手直しに忙殺され、天候不順も加わって、やや盛り上がりに欠ける嫌いも感じられたが、内容の素晴らしさの噂が広まるにつれて、会期の後半、青少年を中心に多数の観客の来場を迎えて、会場の雰囲気はいやが上にも盛り上がったのである。

ここに、事務局の責任者として、多くのご支援者の絶えざるはげましと、関係職員一同のご苦労に深く感謝し、科学万博を永く心に刻みつける縁として、この記録が完成したことを喜びとしたい。(公式記録刊行にあたって。昭和613月)

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写真 コスモ星丸

7-9-2  科学万博を振り返って

184日問に及ぶ会期を振り返って、科学万博一つくば‘85は壮大な祭典であったというのが改めての実感です。そのなかで、参加国として日木政府が出展した5つの施設は博覧会の中心的な役割を果たし、所期の目的を達成したものと確信しています。

ちなみに、日本政府出展施設を訪れた観客は、内外の賓客、要人を含めて会期中テーマ館550万人、歴史館400万人、つくばエキスポセンター100万人に達しました。

また、こども広場では、会場を訪れたほぼすべての人々がここを憩いの場、遊びの場として利用し、エキスポプラザでは各国のナショナルデーや各種の大型イベントが催され、連日多数の観客をひきつけました。

過去に開催されたいずれの博覧会も、常に科学技術と密接に結びついており、このかぎりにおいて本博覧会も例外ではありません。しかし、本博覧会は科学技術を一般の人々の手に取り戻すこと、すなわち科学技術に対する人間の復権に真正而から取り組んだという意味において、従来の博覧会とは趣を異にしたものでした。

日本政府各館は、本博覧会のこの難しいテーマに多角的かつ大胆に取り組み、この課題を巧みに展開、表現することによって国内および海外の観客にアピールしました。さらに、展示物のみならず会期中に積極的に実施した様々な催し物の効果が加わり、全体として先に述べた多数の入館者を迎えることにつながったものと考えます。

本報告書は、日本政府出展の準備を開始してから閉館、後処理まで、本プロジェクトに直接、間接にたずさわった多くの方々の成果をとりまとめたものです。ここに、関係者各位のご尽力に深く謝意を表する次第です。

昭和613月(政府出展報告)

政府館総館長

福島公夫  

7-9-3      エキスポセンター解散式

  恒久施設として残すことが決まっているエキスポセンターは、博覧会の記録・資料等の保管が託されていた。そこで地元との今後の良好な関係を考慮し、博覧会に参加した、各パビリオン、政府館を代表する意味で、エキスポセンターで解散式を挙行することにした。

927日正午から地元桜村、商工会、警察、消防、住宅都市整備公団、各研究機関、有力企業、旅行運輸機関、推進組織、学識経験者、協会、各パビリオンの代表約220人を招いて解散式が行われた。

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写真 レプリカ贈呈

館長からの運営報告および感謝のことば、また政府館総館長、桜村村長からの挨拶があり、ついで、国際発明博覧会(1985年プロビティフ)、国際交通博覧会(1986年バンクーバー)、国際レジャー博覧会(1988年ブリスベン)に贈呈した記念盾のレプリカが、三菱未来館館長からつくばエキスポセンター館長に手渡された。これらは今日財団法人つくば科学万博記念財団として、エキスポセンターに大事に保管されている。

 

7-9-4 あとがき

 

 万博は終わった。関わったすべての人一人ひとりに、何らかの感慨を残して。所詮、筆者もその一人に過ぎない。個人としては、ある程度の満足感と、一種の虚無感の中におかれた。

917日の朝、テーマ館に出勤。総館長室はそのままであったが、明るい顔をみせて元気に助けてくれた秘書はだれもいない。警備と運営の職員は昨夜の疲れをのこした面持ちで、片付けなどしていたが、会期中は立ち入れなかったコンパニオンの控え室は、きれいに片付いていた。その整然と片付けられていたロッカーが、突然途方も無い寂しさとなって、襲ってきた。この涙はなんだろう。

後日、土光会長のもとに、あと始末の終了の報告と、御礼を合わせてお伺いしたが、会長は筆者の顔をご覧になるやお足がご不自由にも関わらず、すっとおたちになり、こちらに歩み寄られたので、あわてて会長のそばに寄らせていただいた。御礼を申し上げる筆者に、ただ、良かったね、よくやったね、と声をかけてくださった。そのお顔に涙を見たとき、筆者はこみ上げてくる感激に、感情を抑えることができなった。会長が一緒に流してくださった涙。

これほどの宝はこれからも持つことはできないに違いない。

5ヶ月にわたった、冗長な「つくばへの道」にお付き合いしていただいたことに、深く感謝しつつ、筆を折らせていただきます。ありがとうございました。         

なお、新しいブログを準備いたしておりますので、また、よろしく。

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2007年6月 6日 (水)

7-8-3 成果と評価(その3)

7-8-3  海外の新聞等の論評

海外の新聞・雑誌は、科学万博に対し次のような評価を与えていた。

7-8-3-1 アメリカ『ボストン・サンデー・グローブ』 BOSTON SUNDAYGLOBE(198569日付)

「この博覧会は、映像の博覧会である。日本の企業パビリオンの大部分が3Dの映像装置を備えている。本格的な3Dの体験ができるのである。多くの展示物が若者の好みに合っている」

7-8-3-2 アメリカ『マーケット'プレース』 MARKETPLACE(19853月号)

「東洋と西洋が混在する日本の土壌で、科学万博もまた東洋と西洋の技術が調和している点がいちばん興味をそそられる」

7-8-3-3 カナダ『サン』SUN(1985318日付)

「日本は戦後、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万国博と、着々と世界に認められる努力をしてきたが、つくば博は、日本が真に大国に成長したことを証明している」

7-8-3-4 フランス『フィガロ』LEFIGARO(1985317日付)

「つくば博は現代における夢」と評価

7-8-3-5 フランス『ル・モンド』LEMONDE(1985326日付)

「つくば博は日本人にとって現代科学技術の発明とそれを受け入れた要因を見つめ直すいい機会である」

7-8-3-6 西ドイツ『ゲネラル・アンツァイガー』GENERAL-ANZEIGER(1985318日付)

「つくば博には見るに楽しいものがたくさんあり、質量とも、これまでのどの博覧会より優れていることは間違いない。なかんずく、世界に著名な4人の日本人建築家によって設計された会場は、美的にも素晴らしいものである」と評価。

7-8-3-7 ハンガリー、『ニープサバッチャーグ』NEPSZABADSAG(1985320日付)

「主催者の努力によりつくば博は、非常に素晴らしい見世物、正に1つのショーとなっている。このようなショーを予測した人は少なく、むしろ、真の科学技術情報を得ることを予測していた。しかし、この万博が見せているのは、21世紀の杜会である。たとえ展示物の4分の3が何十年経過した後もユートピアに過ぎなくても、21世紀への道はつくばを通過するのである」と、科学万博が21世紀へのかけ橋であることを強調した。

7-8-3-8 ブルガリアの『ラボートニーチェスコ・デーロ』RABOTNICHESKODELO(1985610日付)

「会場に一歩足を踏み入れると、そこは楽しい雰囲気に満ちている。会場にはよく雨が降るが、道路上には水たまりができず、これはアスファルトに吸水装置が施されているためとの説明を受けた。科学万博で何がいちばん面白いかと問われても、パビリオンが種々の趣向を凝らしているので、回答に窮してしまう」

7-8-3-9 ポルトガル、『エスプレッソ』EXPRESSO(198594日付)

「テーマ館の演奏ロボットに集約された日本のエレクトロニクス技術の高さには驚かされた。宇宙、海洋、通信等の分野において次世代の科学技術をリードするのは日本である」と評価。

7-8-3-10中国の、『世界博覧』(19853月号)

「こども広場は、いろいろな道具と造形物を利用して、その面白さと楽しさが満喫できると同時に、科学の原理を身につけ体験することができる。これは、子どもだけでなく、大人にも非常に有益なことである」

7-8-3-11 『人民日報』(1985518日付)

「日本は過去数1,000年にわたり、中国の発明した科学技術を導入し進歩発展を遂げてきた。中国館の展示物は、伝統的科学技術と先進技術の協調という点で、博覧会の目的と一致しており、専門家も一般の人も学ぶべきものが非常に多い。中国の今回の参加によリ、日中の科学技術の交流が一層密接となることを確信した」と論評

7-8-3-12 インドネシアの『メルディカ』MERDEKA(1985713日付)

「つくば博は現在の最先端技術を展示するだけでなく、21世紀に実現するであろう科学技術の夢を映し出している」と述べた。

7-8-3-13 メキシコの『エルワィナンシェロ』EL FINANCIERO

「当博覧会の目的は、先進諸国が途上国とともに科学のさまざまな分野における経験を共有し、同時に歴史、価値観、文化、伝統をも理解しようというものである。このようにして参加者も入場者も、今日、われわれが日々のものとしている科学技術を見直し、あるべき未来像を考えることができるはずである」

7-8-3-14 モロッコの『アル`ミタック・アル・ワタニ』AL-MITHAGAL-WATANI(1985730日付)

「この博覧会は、驚異で、科学のファンタジー、技術の充溢を展示し、21世紀初めの世界の姿を見せてくれる。ただし、世界がそれまで〈生き延びれば〉の話だが…」と、評した。

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2007年6月 5日 (火)

7-8 成果と評価(その2-2)

7-8 成果と評価(その2-2

7-8-2  評価―国内の新聞論調(続き)

7-8-2-5 魅力が薄れた国際博覧会―毎日新聞(916日・社説)

21世紀へ向けての新しい科学のイメージづくりをうたった国際科学技術博覧会(科学万博)16日、184日間の会期の幕を閉じる。2,000万人が参加した6,500億円の祭典、科学万博とはいったい何だったのか。

閉幕を6日後に控えた10日、実質的な最高責任者である伊原義徳・事務総長は早々と成功宣言をした。入場者が特別博としては史上最高の2,000万人に達すること。外国館の参加も多く、要人(VIP)13,700人来場したこと。収支も黒字基調のトントンであることなどが、その理由だと思う。

だが、博覧会は映画やプロレス興行とは違う。お客の入りや収支も大切だが、それ以上に国民にどんな知的刺激を与えたかが間題のはずだ。その点で本当に成功といえるかどうか疑問である。

確かに出展には見るべきものがあった。大画面、立体映像、知能ロボット、ニューメディア。先端技術の織りなすショーは、21世紀の世界の一端を先どりして見せてくれた。科学技術の成果に目を見張った人もいるに違いない。しかし、どれだけの人がお目当てのパビリオンにすべて入館でき、見物を堪能しただろうか。

会場では、人気館の前で何時間も立ち続ける姿、一カ所をみただけで休憩をきめこむ人、整理券を入手できず不満顔の若者などが連日のように見られた。入場者については、青少年が少なかったことも予想外で、15歳-29歳の年齢層は全体の27%。大阪万博を12%も下回った。若者の科学心を揺さぶりたい、とのねらいも、はずれたわけである。

主催者の見込み違いや不始末は、ほかにもいろいろある。例えば輸送手段。来場者の半数は国鉄利用との予測は完全にはすれ、国鉄とシャトルバスは大赤字を出した。

また、会場設計のミスから人の流れが偏り、一部の物品販売店にさっぱりお客が来ないという現象を招いた。このためか、会期中に事業部長と観客輸送部長が更迭されている。国際博では異例のことだ。

こんどの催しが「人間`居住・環境と科学技術」というテーマからズレてしまったことは、以前にも指摘した。国内出展企業が派手さを競ったためでもあるが、テーマに忠実であろうとした外国との間にアンバランスが生じた。その結果、人気は民間パビリオンばかりに集中、地味な外国館は影が薄くなってしまった。国際博覧会として好ましいことではない。

科学万博は筑波研究学園都市の名を世界に広める効果はあった。地域開発にも貢献した。企業のPR効果も大きかった。しかし、国民的な盛り上がりは会期を通じてほとんど見られなかった。国際博という催しが魅力を失ってきたためではないか。

わが国での国際博開催は大阪万博、沖縄海洋博に次いで3回目。世界的にはエネルギー博(昭和57)、河川文明博(59)、科学万博、交通博(61)、レジャー博(62)と日常化した観がある。

そのうえ、今日では世界の出来事が瞬時に茶の間のテレビに映し出される。毎年何100万人が海外へ出かけ、国際見本市もしょっちゅう開かれている。もう国際博覧会の時代ではない、といったらいい過ぎだろうか。

7-8-2-6 科学万博は何を見せたか―日読売新聞(年917日・社説)

国際科学技術博覧会(科学万博つくば‘85)16日閉幕した。6,500億円の巨費をかけたハイテク(先端技術)ショーを、2,000万人もの人が見た。万博協会の調べによると、入場者の約63%が、科学万博に対して「よかった」と評価している。「よくなかった」と答えたのは、わずか12%だった。

科学万博を見て、「世界の最先端技術が見られた」「未来の生活を知った」「科学技術の重要性がわかった」などと答えた人が多く、科学技術に対する啓発効果はあった。

万博の歴史を見ると、万博が開かれるたびに新しい技術が生まれている。電話、タイプライター、自動車、ナイロン、テレビ、人工衛星などは、万博でデビューした。つくば科学万博は何を見せただろうか。

それは、映像だった。

科学万博は、別名「映像博」といわれた。28の民間パビリオンのうち、26までが映像をみせた。政府の歴史館、テーマ館などにも例外なく映像があった。

21世紀へ向けて、われわれの身の回りには、ますます映像がはんらんするということを示すのだろう。

人工頭脳や自動通訳機が目についたくらいで、新しさを感じさせる技術はなかった。知恵の見せどころであるにもかかわらず、民間パビリオンには、ディズニーランドをまねたものが目立った。

まだしばらくは、日本のハイテク製品もオリジナルなものが少ないということだろう。

開幕前の世論調査では、若い層に関心が強かった。いざ始まってみると、1529九歳は、全体のわずか27%だった。大阪万博に比べ13%も少なかった。

若い人を引きつける新鮮さに欠け、中年の勤め人が、職業意識に駆られて見に行ったケースが多かったようだ。

「人間・居住・環境と科学技術」が科学万博のテーマだったが、わが国からの出展物は科学技術に偏っていた。人間・居住・環境のテーマは、表現が難しいというより、関心が高くないのだろう。

ハイテクを掲げて、「働け働け」という日本の現状はまだ続きそうだ。

ロボットのショーは楽しかったが、よく故障した。会場内の情報ステーションも、期待ほどのことはなかった。寝たきり老人の介護などにロボットの導入が期待されているが、まだ甘い期待は禁物だ。

それにしても、炎天下で2時間も3時間も行列しなければ入場できない会場の運営にはあきれた。主催者は、入場者の利益よりも、「赤字を出さない」という主催者側の利益を優先させていたからだ。

これが、人間や環境をテーマにした科学万博の実体だった。国鉄の駅と会場をつないだシャトルバスはなかなかいい乗り物だったが、600円の料金に1,000円札を出しても、釣り銭が出ない。バス停に両替機はあったが、15レーンのバス・ゲートに対し、2か所にしか置いてない。そのことを知らせるアナウンスも掲示もなく、不満の声が高かった。

いくらハイテクを見せても、心が通っていなければ効果はない。ハイテク社会でも心の大切さを教えられた万博だった。

7-8-2-7 茨城と科学万博総決算―いばらき新聞(918日―28)

科学万博の成果、問題点を開催地元の立場から検討してみよう。

まず2,000万人をやっと超えた入場者数だが、目標を達成できたといっても、開幕前後には3,000万人の予想があり、科学万博協会や県はそれなりの対応策を検討し、期待もかけていただけに、もの足りない印象を受けた。大阪万国博や神戸ポートピアが目標を大幅に上回る実績を残しており、科学万博の場合、なぜ2,000万人以上入らなかったのかを考えてみる必要がありそうだ。

採算面は黒字基調のトントン、というところに落ち着いた。しかし、シャトルバスが大赤字となったほか、撤去費が予算を上回るなど、資金計画にミスがみられた。

財団の性格から、積極的にもうける必要もなかったろうが、入場者数の目標突破にもっと意欲を燃やせば、その結果が黒字という形で表れたのではないか。

運営面の問題点としては、会場内の営業施設も挙げられる。開幕当初、「高い」「まずい」と不評を買ったのを発端に、売れ行き不振をめぐって、協会と業者のトラブルが絶えず、営業参加者協議会は

①当初計画より営業施設が増え過ぎた

②営業施設の設置場所、構造が悪い

③店舗獲得のための入札金などが高過ぎた一などの理由で、協会の責任を指摘していた。

会場周辺に目を移しても、民問駐車場や旅館・ホテルなどの“あやかり商法”が相次ぎ失敗。倒産する業者が出たり、賃金不払いのまま雲隠れを決め込む業者などもあり、結果的に本県のイメージ・ダウンにつながった。

これら問題点があったにしても、それを差し引いて十分おつりがくるほど、成果は大きなものがあった。

本県のPR効果からみると、会場となった筑波研究学園都市が国内だけでなく、海外にまで広く知れ渡り、「世界的な科学技術の中心として育成する」との開催目的を達成できた。また、「茨城」の名前も全国的に売れ、東京から近いイメージを与えられたのも、成果の一つだ。

国際交流の深まりは、「世界に開かれた茨城づくり」の契機となった。会期中、100万人近い外国人が会場を訪れ、世界のVIPも続々と詰めかけて、いばらきパビリオンなどを見学。それがきっかけになり、姉妹都市や姉妹県の提携に発展。閉幕後は外国館が出展施設を本県にプレゼントしてくれる、おまけまであった。

教育上の効果をみると、県教委は県内小一中学生の万博見学を授業の一環と位置づけ、約33万人の入場料1億円を予算化。その結果、高校も含めた924校が万博を見学。次代を担う児童、生徒の科学に対する興味や関心を高めたばかりでなく、国際教育、科学教育の面でも大きな成果を収めた。

科学万博は地場産業や県内観光の振興にも役立った。科学万博県産品協会は、会場内で目標にしていた10億円を軽く突破する売上高を記録。県産品のPRに大いに貢献した。県内の観光地は万博見学の前後に訪れる行楽客で潤い、会期中の入れ込み客は前年同期に比べ、全体で41%も伸びを示した。

最後に、いばらきパビリオンのおまつり広場を舞台に繰り広げられた郷土芸能をみると、文化振興、伝統芸能の見直しに結びついた。「市町村の日」をはじめとした催しには、県内92市町村の郷土芸能団体などが参加し、公演数が延べ1,000回を超えた。出演者は8万人にも及び、まさに県内郷土芸能の一大祭典だった。

7-8-2-8 取材班も一言―つくば衛星新聞(916日)

・心が動いた。映像が浮いた。不思議と思った人にだけ一科学はおもしろい(川勝)

・万博万歳!何時間も並び何を見せられても怒らない忍耐力にもバンザイ(福井)

・次の万博は5年後、関西で「花と緑の国際博覧会」か。再会を(赤羽)

・ビカピカ、チカチカ。レーザー光線。ガタゴト、ロボット君、ああ万博(高野)

・「あれっ」と思う心が未来の礎に。子らよ、がんばれ!(島名)

・難しいことを言いなさんな。好きこそものの上手なれ。興味は科学の母(白井)

・学んだのは、開門と同時に目指す館にダッシュする、あのエネルギー!(氏岡)

・炎天と行列にめげず万博をめざした4,000万の眼。21世紀をしっかり見つめて.(八田)

・ドタンバでようやく満員御礼。春先の閑散がウソみたい。これも国民性?(岡崎)

・エばらきつくばは キよねんもあすも スぁいえんすの ポりすです(佐藤)

・幕開けは小雪、閉幕は冷雨。でも心はいつも温かだった(松野)

・ワープロ、ネガのダイレクト電送機など、時代は変化(星野)

・こんな世界だけだったら、イヤだなあ。21世紀(宮本)

・科学もよかったけど、新しい友もできた。ありがとう(花井尊)

・人肌のぬくもりを感じさせた外国館。これから必要なのはその配慮では……(金森)

・科学の未来、限りなき人間の情熱に“バンザイ”(平野)

・「科学技術」が、ぼくたちの未来を裏切らないように(山本)

・科学の美にユニバースの美。感動するって大切ですね(森下)

・一度にたくさんのドラマが生まれた。「ベリーナイス」(花井崇)

・何千行書いても万博はお祭りか国民の教育の場か。わからずじまいで秋の風(大野)

・地球儀、トマト、立体画像、観覧車、行列、筑波の山並み(見角)

  (見角さん、皆さん、いろいろ勝手に使わせていただいてありがとうございました。)

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7-8 成果と評価(その2-1)

7-8 成果と評価(その2-1)

7-8-2  評価―国内の新聞論調

7-8-2-1  科学は万博だけで終わらない―朝日新聞(916日・社説)

「科学万博一つくは'85」は、入場者2,000万人という目標を達成し、16日幕を閉じる。

「人の波を見に行ったようなもので、人気パビリオンには、一つも入れなかった」とか「メディアあってメッセージなし」「ハードあってソフトなし」といった批判が入場者、とくにおとなの間にあった。店を出した人たちにも「思ったほどの商売にならなかった」という不満が残った。

しかし、何はともあれ、「科学」と銘打った博覧会に、500万人近い子どもたちが訪れ、最先端の技術や科学史、技術史の実物に触れて楽しむ機会を持った。その事実を高く評価したい。

確かに、高度成長の時代には、技術のマイナスの影響を企業の経営者や行政担当者がないがしろにした。環境が汚染され、多くの人たちが病気になったり、命を失ったりした。そのこともあって、人びとは科学と技術に少なからぬ敵意を抱いた。「技術」と聞くと「公害を生んだ元凶」ととらえ、「科学的」という言葉から「人間のやわらかい心を押しつぶすもの」を感じる人が増えた。

しかし、今日、日本人の平均寿命が世界一となり、ひと昔前と比べ比較的平等で豊かな暮らしを楽しむことができるのは、日本の科学や技術の水準が近年大いに向上したことと無縁ではない。

高い平均寿命は、抗生物質や手術だけで支えられはしない。科学的なものの考え方に裏うちされた食生活や医学知識が国民各層にしみ通っていることが大切である。住まいの暖冷房や環境の浄化度も平均寿命と深いかかわりを持つが、その裏方として技術が果たしてきた役割は大きい。

技術力は、福祉の基盤としても重要である。スウェーデンの今日の高福祉水準も、長年にわたる経済成長と、それによって実現された世界最高の経済水準を基盤としてはじめて可能になったのである。資源に乏しい日本の場合、経済を支えているのは、加工貿易であり、製品の国際競争力である。

幸い、日本の技術者はさまざまな分野で、わが国の技術を世界のトップレベルに押し上げた。その結果が、いま、膨大な貿易黒字となリ、経済摩擦のもととなっている。

しかし、摩擦を恐れる余り進歩を止めたり、技術レベルの高さに酔っているわけにはいかない。科学も技術も日進月歩である。きょう「最高の技術」といわれるものが、明日は陳腐化してもはや商品価値を持たない、ということが絶えず起きる。研究と開発の手綱を緩めるわけにはいかない。

これから21世紀にかけて、科学と技術は、さらに急速に発展することが予想される。そのテンポの中で日本が立ち遅れることなく、しかも進歩に伴うマイナスの影響を見落とすことのないようにしてゆきたい。そのためには、科学的なものの考え方や技術の開発に対する国民の冷静な理解と支持、そして若い頭脳の創造性が不可欠である。

つくば博が成功したかどうか。それは、科学や技術に対する国民の理解と親しみを高めることができたかどうかで判断すべきものである。成果は、これから21世紀にかけて、ゆっくりとにじみでてくることだろう。

科学技術に対する人々の目が冷ややかななかでこの博覧会を企画し、実現した関係者たちの労苦に敬意を表したい。

また、この博覧会で得たノウハウを駆使し、失敗の経験を生かし、こどもたちの科学的なものの考え方と創造性の芽をのばす、質の高い常設の科学博物館が、全国各地につくられることを期待したい。

7-8-2-2  成功した“科学のおまつり”―サンケイ新聞(918日・主張)

茨城県筑波研究学園都市の西方で、184日間にわたって繰り広げられていた国際科学技術博覧会(科学万博一つくば‘85)が幕を閉じた。目標の入場者数2,000万人を閉幕前日に超えたこと、大きな事故が会場建設時から会期中を通じてなかったことなど、わが国で3度目の万国博覧会は一応成功したといっていいだろう。

「科学」という中年以上の世代にはとりつきにくいテーマをかかげた万博に、いかにして観客を動員するかが、主催者である国際科学技術博覧会協会の基本構想の主要な課題であった。このむずかしい課題を「科学のお祭り」と位置づけた時、はじめは千葉・浦安の東京ディズニーランドとの差をどう出すのかという疑間を抱いたのはわたくしたちだけではなかったと思う。

しかしこの疑問は、開幕と同時に消しとんだ。ディズニーランドとの決定的な違いは、観客自らが参加できることであった。入場者のうち、文句なく万博を楽しんだのは小学生である。展示施設のコンピューターを操作し、ロボットを動かし、体全体で真剣に“科学”を体験しているようにみえた。これに対し、主催者のねらいの中心であった中、高校生はやや消極的、青年層や中・高年層のサラリーマンや自営の人たちはさらに自ら参加することをためらい、ハイテクが生みだした映像に接してもなんとなく不満足な表情を示す人が多いようにみえた。

仕組みを理解し、納得してから体験をする世代と、生まれた時からコンピューターがあり、すべてを抵抗なく肌で感じとる小学生以下の子供たちとの感性の違いであろう。この傾向はとりもなおさず、21世紀の科学技術の発達の方向づけを示したともいえる。

識者の中には、また観客からも「万博は科学遊園地のようで“なぜ”'に答える科学性がない」との批判がきかれた。確かにそうした面がないではなかった。しかし、もし中年以上の一般の人にもこれらハイテクの最前線にある展示物の仕組みを納得するように説明するとなれば、事実上不可能である。ハイテクの現状は、もはや一般市民の理解を超えるほど高度なのだ。

「なぜ」にこだわるよりも、「科学とは楽しいもの」「むずかしくないもの」という感覚を子供に植えつけ、将来の科学者の底辺を広げることができたら、今度の「科学のお祭りは成功したといってもいいだろう。

科学万博でありながら、およそ科学とは無縁なところでの批判もあった。筆頭は想像を絶する人気パビリオンヘの入場待ちの長時間行列である。観客側にも人気館への集中のし過ぎという面があったが、「万博に行かなかった」人の大半が、この行列に対する嫌悪からだったのは惜しい限りである。

また、地域の活性化と言うねらいと、国の財政難から地元負担を前提に計画されたために、地元に対するゆきすぎた妥協があった。この結果、歴史的イベントらしからぬ、営利のみと便乗の商魂が横行した。売店の騒々しさときたならしさはその典型である。

本来なら純農村地帯である万博会場周辺は、万博のおかげで多くの外国人と接することができ、会場に入れば各国のナショナルデーの催しもみることができた。いわば地元の人は居ながらにして世界旅行を体験するという幸運に恵まれたのである。

この経験を今後に生かすも殺すも地元次第である。

7-8-2-3  科学万博と日航機事故の間―東京新聞(916日・社説)

「未来は明るい」と科学万博。「いや科学は万能でない」と日航機事故。人間と科学の在り方を改めて考えさせられた半年だった。きょう16日、科学万博閉幕。

もし、モノに対する安全装置と同様に、人についての安全装置が確立されていたらと悔しい思いかいまでも走る。

例えば、812日夕、伊豆沖で日航機が操縦不能の第一信を発した直後に救難機が飛び出せる緊急システムが整備されていたとすると、事態は大変わりしていたかもしれない。そして、迷走する日航ジャンボ機を両翼の下から救難機が支えることができたら……、あるいは、ジャンボ機自体が地面に垂直に噴射できる緊急用ジェットエンジンを取りつけることができたら……。

ジャンボ機そのものについては長らく“安全神話”が伝えられていた。確かに、操縦機器のフェイルセーフのシステムや機体の堅ろうさには定評があった。しかし、それはあくまで、飛行機という物体に対して科学・技術が凝集したもので、乗客、つまり人間を救うための高度のシステムにまでは、残念ながら、まだ科学・技術は到達していない。

きょう閉幕する科学万博のメーンテーマは、まさにこの人と科学・技術のつながりを考える「人間・居住・環境と科学技術」であった。

かいつまんでいえば“科学”は学問として物事の「なぜ」を追求し、“技術”は科学の成果を「どのように」人のために役立てるかを考え実現させていくものだ。

184日間で2,000万人を超える観客を呼んだ会場は、こうした科学と技術の最先端を映像やロボットの形でわかりやすく情報として伝えるパビリオンでいっぱいだった。

そこには、情報を主役とした明るい技術社会の未来像があり、とりわけ、日本の各企業が得意のハイテクの工夫を凝らした“`パフォーマンス”は、娯楽としても一級品といえるほどの質の高さを誇っていて、15年前の大阪万博では超人気だった海外諸国の展示さえ今回は色あせて見えたほどだ。

それに、これだけの観衆を連日迎えながら、大きな事故が起こらなかった設備、機器の優秀さも及第点がつけられよう。国際的にも抜きん出てきたわが国の技術の分厚さを改めて知らされた思いである。

“モノ”の視点で見る限りでは、このように成功といえる科学万博だったが、さて“人”とのつながりというメーンテーマの理念に戻ると、やはり、日航機事故と同種の懸念がわく。超人気パビリオンの長過ぎる待ち時間、そして最後まで解決しなかった土産物店とのトラブル、駐車場のわかりにくさ……。

科学万博は“お祭り”であり、観客には、まず科学・技術のおもしろさを知ってもらえればいいと、主催者の万博協会側は開催当初から語っていたが、“祭りの客”の迎え方としては、こうした不備は失礼だった。つまり“人”に対する技術が未熟だったのである。

日航機惨事も、有毒のジエチレングリコールのワイン混入が検査できなかったことも、もとをたどれば、これと同じ結論にたどりつく。これからの科学・技術は、よりいっそう“人”とのつながりを重視する形に変えなければならないということだ。科学万博と日航機惨事の二つの出来事は、そのことを、片や2,000万人の人出、片や500余人の犠牲者の口を借りて語りかけているように思われる。

“お祭り”のあとの哀愁は、この秋、ひとしおである。

7-8-2-4  科学万博「つくば‘85」の総決算―日日本経済新聞(916日・社説)

317日から6ヵ月、184日間にわたって、筑波研究学園都市(茨城県)の西部、広さ約100㌶の会場で開催されていた科学万博つくば‘85がきょう最終日。名誉総裁の皇太子殿下と中曽根首相らを迎えて、午後二時から閉会式が開かれる。「人間・居住・環境と科学技術」をテーマに延べ2,000万人の老若男女が内外から集まった科学技術の祭典であった。パリ条約、(1928)に基づき、主催国日本を含め48ヵ国、37国際機関と28の国内企業グループが参加した万国博。官民6,500億円の巨費を投入したビッグイベント。西暦2,000年まで残り15年の段階で21世紀を展望する未来博。先端技術のシーズ(種子群)が一堂に会したハイテクのショーウインドー。万華鏡のように多種多様、多彩な角度から筑波博をとらえて意義付けることができる。

わが国としては大阪万国博(昭和45)、沖縄海洋博(50)に続く3度目の万国博である。大阪博は総投資額13,500億円で入場者は64,218,770人。

沖縄博は総投資額3,000億円で入場者3,485,750人。総投資額6,500億円で入場者2,000人の筑波博は、沖縄博に比べてはもちろん、高度成長の絶頂期に開かれた大阪万国博に比較してもまずまずの成績を収めたといえる。

国家財政窮迫の折から、筑波博は地元負担、民間活力利用を前提に全体プランが立てられた。会場用地は茨城県が提供し、博覧会以後は筑波西部工業団地として使用される。分譲価格が3.3平方㍍当たリ13万円弱と比較的安いこともあって、ハイテク企業が進出、14区画中12区画は決定、残り2区画も来年3月までには進出先が決まる。会場内の公園や池、周辺道路もそのまま利用される。

6,500億円の投資といってもその内訳は政府館365億円、企業館674億円、外国館約1,000億円、関連公共投資4,400億円である。常磐自動車道など公共投資の前倒し分はそのまま施設が残り、社会資本、国民資産として広く、長く利用される。企業館、外国館は先方の負担だし、政府館関係も会場を離れて研究学園都市の中央に建設されたつくばエキスポセンターは恒久施設として残り、世界最大級のプラネタリウムや大スクリーンの高品位テレビも継続利用される。

筑波博は国が主催するプロジェクトであって、初めから営利事業ではない。事前予想の2,000万人の目標の入場者数を超えたか超えないかとか、博覧会協会の入場料主体の収支が「50億円の赤字」か「10数億円の黒字」か、とかだけで、成否を論じようとするのは本末転倒である。収支をつぐなって余りがあるのは結構だが、博覧会の本来の効用は文字通り“広く見る場”としてのデモンストレーション効果にある。

1851年にロンドンで初めて開かれた万国博のモニュメントには水晶宮が残り(のち焼失)、“ガラスの時代”を予告した。1889年のパリ万国博の後にはエッフェル塔が残り、“鋼の時代”の象徴となった。大阪万国博の跡地、千里丘陵にはいまも“太陽の塔”がそびえている。筑波博の跡には何が残るか、後世への最大遺産は何か。

万国博を機会に世に出た新発明や文明の利器は過去にも数多い。電話、白熱電灯、冷蔵庫、エレベーター、アイスクリームコーンなどはそのほんの数例である。今回の筑波博でも超LSI、光ファイバー、半導体レーザー、バイオテクノロジー、ロボット、人工知能、リニアモーターカー、通信衛星、ニューメディアなどのニューテクノロジー群が会場いっばいに展示され、巨大スクリーン上に乱舞した。

2,000万人という入場者は12,000万人の全国民の6人に1人に相当する。その心に深く刻まれたハイテクの臨場感と印象が筑波博の後世への最大遣産になる。博覧会協会のまとめた入場者の年齢構成は、4歳から22二歳までの若者が37.2%を占め、大阪万国博の34.8%や神戸ポートピアの35.3%よりも高い。“未来への窓”の体験者である若い魂の持ち主からアインシュタインやエジソン、湯川秀樹や江崎玲於奈に匹敵するあすの人材が輩出するか。今後の宿題である。

入場者へのアンケートでは「日本人の3分の2、外国人の7割が来てよかったと答えた」と協会のリポートは述べている。元首6人を含めて外国からは6,600人、国内も合わせると14,000人の要人やリーダーたちが参加した。“豊かな時代の平和な万国博”としての印象が外国関係者の間には強かったといわれる。大混雑はしたが、死傷、火災、中毒などの事故がなくて済んだことも幸いであった。

筑波博で紹介されたハイテクの種子群は今後企業グループの手によって続々と商品化、実用化されて杜会に導入適用される、21世紀博、未来博、ハイテク博としての筑波博の意義がそこに存在する。その意味で、テクノロジーアセスメント(技術の事前評価)のこよなき機会として筑波博の体験を活用せねばならない。

科学技術は使い手の意思と目的によってプラスとマイナスの効果を持つ。原子力、宇宙、海洋、コンピューターなど最近の巨大科学は軍事と平和利用という二つの顔を持つ。また最新の先端技術はいわば未完成であり、思わぬ副作用を社会にもたらすおそれもある。また可能な技術をすべて導入、実用化する必然性や必要性は人間社会にはない。

取捨選択の基準がこれからはきわめて重要になる。国民の一人一人が主役であり、判定を下さねばならない。科学技術への過信や妄信は極力避けねばならないが、不信も正解ではない。是々非々で進まねばならないところに今後の路線のむずかしさがある。イエスとノーを使い分け、注文を出して、よりよい代案を求めるには、一般国民も科学技術の専門家も、ともに話し合う場が不可欠である。

国民の9割以上が中流意識を持つに至った“豊かな社会”の平和な日本であるが、われわれの周りにはまだまだ満たされぬ空白がある。一瞬にして500余の人命を奪った日航ジャンボ機事故が示す「安全」の問題、“核の冬”報告が物語る「平和」と「環境」の問題、社会にまだ絶えぬ「犯罪」や「災害」、筑波博自体が如実に示した「交通」と「混雑」などの課題がある。

われわれの身辺にはまだまだ必要な科学技術が不足しており、われわれの世代にはそれを解決すべき知恵が足りない。筑波博を総決算し、真に望ましいあすの日本の社会設計、生活設計へのスタート台と推力としてそれを役立てねばならない。

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7-8 成果と評価(その1)

7-8 成果と評価

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7-8-1-1           地元茨城県は、その公式記録の中で、つくば科学万博’85の成果を次のように、高く評価してくれた。

 第2節 21世紀に向けて

 1茨城のイメージアップ

筑波研究学園都市で繰り広げられた科学万博は、2,000万人を超える内外の人々を迎え、茨城の地で育った科学技術や発展躍進する茨城の産業、歴史と伝統に育まれた香り高い芸術文化に触れてもらう絶好の機会となった。

科学万博を機会に学園都市は、一層国内外から注目され世界的な科学技術の中心地として、基盤が築かれ、茨城の名も国内外に広く知れわたった。

いばらきパビリオンを訪れた観客は、本県を紹介する映像・展示を見学されて

・日本の科学技術の""筑波研究学園都市はすばらしい

・筑波研究学園都市、原子力研究施設、日立・鹿島の工業地帯は、今後世界から注目されるであろう

・茨城は、東京から意外と近いのにびっくりした

などのコメントが残された。

このように、科学万博に訪れた人々は、豊かな大地、躍進する産業、そして県民の心あたたまるもてなしなど、開催県茨城への認識を新たなものにしてくれたに違いない。

2広がる国際交流

かつてこれほど、さまざまな国から多くの外国人が茨城県を訪れたことはなかった。

科学万博会場では、いばらきパビリオンを舞台に国際交流セレモニーが繰り広げられたり、ナショナル・デー、スペシャル・デーへ児童生徒をはじめ県民が友情出演してマーチングドリルや郷土芸能を披露。さらには、遠来の客をあたたかく迎えたホームステイなど、民間ベースの交流も活発に行われた。

また、開催地元県に感謝の念をこめて、出展参加国のエジプトやイタリアから古典音楽コンサートがプレゼントされたり、友好の絆としてフランス、ベルギー、アメリカ、ソ連など13か国の外国館から展示品が寄贈された。

外国からの観客の多くは、科学万博会場のみならず、頭脳都市筑波研究学園都市をはじめ東海・大洗に広がる原子力研究施設、21世紀のエネルギーといわれる那珂町の核融合研究施設、日立・鹿島の工場群や観光・文化施設を回遊し、県内各地で交流親善を深めることができた。

こうした国際親善交流の芽は、牛久町(カナダ・ホワイトホース市)、豊里町(カナダ・サマーランド市)が科学万博を契機に姉妹都市を締結するなど地域で国際交流の輪が広がった。

このように、県民は、世界のさまざまな人々と出会い、理解し合い、国際性を高めることができた。

こうした人と人の交流、心と心の通い合いは、それぞれの胸の内に科学万博の想い出として残されただけでなく、明日への「世界に開かれた茨城づくり」の糧として活かされていくことだろう。

3はばたく茨城

科学万博の成功は、21世紀へ飛躍する茨城づくりにさらに弾みをつけた。

科学万博の開催は、県内の産業・生活基盤等の社会資本の充実をもたらし、ひいては、県経済の長期的発展を促すなど県民福祉の向上に寄与すると考えられる。

とりわけ、常磐自動車道が県内を縦断し、首都東京までの時間を短縮したことは、民間資本の導入促進などに大きなメリットをもたらし、「調和のとれた活力ある地域づくり」の推進力になるものと期待される。

また、わが国の国立研究機関の3割が立地し、21世紀の科学技術の拠点として名実ともに期待される筑波研究学園都市の生活環境も一段と整備された。

科学万博会場跡地は、この都市にふさわしい筑波西部工業団地として生まれかわり、筑波北部工業団地とともに研究開発型企業の立地が決定するなど、ここでは最先端技術の集積をますます高め、真に魅力ある都市として自立発展することが期待されている。

一方、270万県民が一丸となって、科学万博の成功というひとつの目標に向かって遭進したことは、県民すべてに新たなる連帯感と郷土愛を育み、未来に挑戦する勇気と自信をもたらした。

さらに、いばらきパビリオンでは、さまざまな県内の郷土芸能や催事が披露され、自分たちの郷土文化を見直そうという大きな気運にもつながった。

科学万博は茨城県のもつ潜在的エネルギーを掘り起こし、県民に明日への大いなる夢をかきたててくれた。

特に、目を輝かし、興奮とときめきのうちに科学万博を見学した新しい時代を担う子供たちは、日本と世界を同時に見るという貴重な体験をもつことができ、やがては広く海外に視野を向けた国際的人間として成長することであろう。

7年間にわたり県民総参加のもとに進められてきたこのような国際的大イベントの経験は、21世紀に向け、世界にはばたく新しい茨城づくりに大きな財産を残してくれたのである。

7-8-1-2           国際科学技術博覧会協会は、公式記録の中でその成果を、つぎのように述べている。

 国際科学技術博覧会の成果

 

  国際科学技術博覧会(科学万博一つくば'85)は、昭和60916日、2,000万人を超す観客を動員して6ヵ月の会期を終了した。

科学万博は、わが国において日本万国博(昭和45)、沖縄海洋博(昭和50)に次ぐ3番目の、また首都圏で初めて開催された国際博覧会条約に基づく博覧会である。従って、国家的な大規模イベントとして、開催地・茨城県を含む関東地域および全国の社会経済のさまざまな側面に、大きな影響を及ぽした。中でも、次の諸点を「科学万博の成果」としてあげることができるであろう。

1.科学万博の出展規模は特別博覧会として最大規模を達成し得た。

科学万博は、海外から47ヵ国、37国際機関、国内からは日本政府のほか、28企業・団体の出展参加を得るとともに、内外から2,033万人もの入場者を得、国際博覧会条約に基づく特別博覧会としては史上最大の規模のものとなった。

また、財団法人国際科学技術博覧会協会が実施した来場者実態調査において、日本人来場者の621%および外国人来場者の83.6%が「非常によかった」「よかった」と答えているように、科学万博に対する内外の人びとの印象は、おおむね良好なものであった。

さらに、大規模な行事であるにもかかわらず、開催準備および開催期間を通じて、特別な事故や混乱もなく無事終了したことも大きな成果といえよう。

2.科学技術に対する理解を深めることに貢献した。特に青少年への啓蒙効果は大であった。

博覧会協会は科学万博の意義の1つに、「21世紀を創造する科学技術のビジョンを示し、科学技術に対する理解を深める。特に、青少年に未来の科学技術を正しく理解させ、優秀な人材を科学技術の分野に誘引する」ことを掲げた。これは科学技術の啓蒙促進効果が、科学万博開催の大きな柱の1つであったことを示している。

人類社会の発展の原動力としての科学技術の重要性については、広く認識されてきているが、多くの人びとにとって、依然として科学技術は専門的で難解なものである。そこで科学万博においては、観客が楽しみながら科学技術に親しめるよう関係者が創意工夫した結果、科学技術を身近なものとして表現することができた。

博覧会協会が民間調査機関に委託して行ったアンケート調査によれば、科学万博は開催意義があったと思う理由のトップは「青少年の科学技術に対する関心を深めた」(49%)、次いで「科学技術が身近になった」「世界の科学技術を知ることができた」(346%)の順である。この項目は科学万博の啓蒙促進効果を示すものであり、この点を開催意義に上げた人が最も多いことは、人びとが科学技術の啓蒙効果を非常に高く評価していることを示している。

特に小中学生の科学技術に対する関心は、「見学後、興味が強まった」(34.7%)という数字でもわかるように、向上効果が顕著であった。

また、科学万博においては、入場者に対してのみでなく、各種マスメディアを通じて科学万博の模様が大々的に報道されることにより、極めて広い範囲の人びとに科学技術に対する関心を高めることができた。

また、科学万博では、コンピュータ・グラフィックス、液晶大画面、平面テレビ、超指向性スピーカー、人間の動きに近いロボット、ニューメディアを使った情報・通信システム、人工知能、バイオテクノロジー等の最先端の技術について、さまざまな新しいプレゼンテーションがなされ、観客に未来の生活に対する関心を高め、人間・居住・環境とのかかわりから科学技術のあるべき未来像を考えるきっかけをつくった。

3.科学技術に関する情報・交換を世界的レベルで行うことができた。

科学万博における海外からの出展は、47ヵ国、37国際機関に達した。この中に、多くの発展途上国が含まれていたことが特筆される。また、催事においては、非出展国24ヵ国を含む49ヵ国が"This Is My Country"に参加したのをはじめ、世界中の多数の国々が何らかの形で科学万博とかかわった。

これらの国々は、各国の科学技術の状況を多面的に紹介するとともに、科学技術と密接な関係にある文化や歴史などについても情報交換を行い、相互理解を深めた。

6ヵ月の会期中、外国人入場者は2,033万人の総入場者の3.7%に当たる755,000人にも上ったと推定される。この中には6人の国家元首を含む多数の外国要人の姿を見ることができた。

また入場者に対するアンケートによると、国内では、科学万博に参加したことで国際親善交流に対する興味が以前より増したという人が約4割もいた。また、来場した外国人観客の科学万博に対する評価は、8割以上の人が肯定的評価をしており、この万博を機会に7割以上もの人が日本への関心が増したと答えている。

4.筑波研究学園都市の知名度・評価を高めることに役立った。

筑波研究学園都市には、その学術研究機能に着目して内外から多くの企業が進出しつつある。中でも、科学万博の会場となった「筑波西部工業団地」と研究学園地区の北方に位置する「筑波北部工業団地」は、科学万博の開催とともに分譲が始められ、合わせて23(昭和615月現在)の企業が進出した。この中には、半導体メーカーの日本テキサス・インスツルメンツ㈱や日本電気㈱、医薬品メーカーの武田薬品工業㈱、総合化学メーカーの住友化学工業㈱など、エレクトロニクス、バイオテクノロジーなどノ・イテク志向の優良企業が含まれ、全国初の「研究学園開発型工業団地」を形成することとなった。立地企業の中には、今まで関東にはなじみの薄かった関西系、中京系の企業、また外資系の企業が多いのが特徴である。

従来、比較的知られていなかった「筑波」の知名度・評価が、科学万博を契機に急速に高まり、国内のみならず海外からも注目されるようになったといえよう。

5.茨城県の開発、整備を促進した。

科学万博開催に向けて、茨城県では、地域開発・整備を促進した。

中でも公共投資の内、最も支出規模が大きなものが道路関連事業であり、特に常磐自動車道の開発と首都高速道路への接続は、茨城県と首都とを結ぶ動脈として茨城県の経済はもとより、県内外交流の基盤となった。この結果、東京都心より100㎞圏上都市の中で、水戸が最も短時間(80)で結ばれることとなった。

この他、高速道路関連では東関東自動車道の成田JCT~大栄インター間の開通により、国際空港と観光地の潮来および鹿島臨海工業地帯へのアクセスの良化をもたらした。また、一般国道では、国道4号、6号、50号といった幹線道路でバイパスが建設されたのをはじめ、筑波研究学園都市を中心とする地方道・街路の整備が積極的に行われ、筑波研究学園都市周辺地区のアクセスは飛躍的に向上した。

港湾整備としては、大洗~北海道(苫小牧、室蘭)間のカーフェリー就航にかかわる大洗港の整備が行われ、フェリーも就航した。

交通安全施設は、科学万博開催に合わせて「交通管制センター」が設置されるとともに、道路案内標識、信号機の整備が行われ、県内外の人びとのスムーズな自動車交通が図られた。この他、生活関連施設では、上・下水道、ごみ処理施設、医療施設などが整備された。

7-8-1-3 陳列区域政府代表会議は、科学万博閉幕後、次のような共同コミュニケを発表した。

陳列区域政府代表会議共同コミュニケ(抜粋)

広く世界各国の参加を得、多くの国々の国家元首や賓客の来訪を得た科学万博―つくば‘85は、国際友好と理解を深める上で、貴重な貢献をしたというのが、万博参加者一同の一致した意見であります。

発展途上国および参加国際機関の代表は、今回新しい措置がとられ、これらの国々や国際機関の万博への参加を容易にしたことに感謝しております。

外国出展者一同、このような成功をおさめた万博を組織し、実施した日本に対し、衷心より感謝の意を表する次第であります。

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2007年6月 4日 (月)

7-7-3 閉幕へ

7-7 -3   2,000万人突破 そして、閉会へ

7-7-3-1  915日(日) 遂に2,000万人突破

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写真 2,000万人突破

科学万博会場への総入揚者数がこの日正午まえ、目標の2,000万入を超えた。閉幕日を1日残し、開幕以来183日目の達成。2,000万人達成の瞬間、会場の4つのゲートでは一斉にくす玉が割られ、ゲートを通った茨城県稲敷郡桜川村堀之内、主婦小川知子さん(43)、群馬県群馬郡箕郷町、会社員森本勝美さん(37)、福岡県粕屋郡笹栗町乙犬、美容専門学校生高村マリ子さん(16)、栃木県下都賀郡野木町丸林、主婦栗原節子さん(41)ら入場者4人にコンパニオンから花束が手渡された。

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写真 政府館の記念品

77313_2000 写真 だるまに目を入れる(科技庁担当者上原技官と総館長は高崎の同窓。ともに中曽根総理の後輩。郷里より贈られた少林山の福達磨に目を入れて喜んだ)

政府館でも入揚者2,000万人達成の瞬間に、用意した達磨に目を入れた。そして、これまた用意していた、記念品を来場者に配った。記念品は水をテーマにしたテーマ館の大映像のフィルムを栞に造ったもの。

各館でもそれぞれ知恵を絞ったイベントで、この快挙を祝った。

 食事の際、口々に2,000万人達成を喜びあう話題でにぎわったが、総理から「それにしてもどうやってぴったり2,000万人を予測したのか」とのご質問が土光会長にむけられた。土光会長は副会長や役員の方々をみやった。役員の方々は事務総長をみやった。そしてすべての目が総館長に向けられた。総館長は末席で首を回す相手がいなかった。「それは、2,000万人入る容物を作ったからです」。全員大爆笑で落着した。2,000万人来てくれたことを心から感謝している。

7-7-3-2  ミス・インターナショナル・ビューティー・ページェント

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写真 左は優勝者エルナンデス嬢

2,000万人達成の興奮の中、かなりあわただしい思いで審査員席の腰をすえたのは、筆者だけかもしれない。岡田真澄名司会のもと、"美のオリンピック"と形容されるミス・インターナショナルの世界大会。43ヶ国から頗つきの美女が集い、世の中にこれ以上華やかなものはないと思われるほどの幽玄で華麗な祭典が、満員のエキスポプラサで広げられた。。

オープニングは、前日のアトラクション、前々日の日本大会でも披露した民族衣裳によるデモンストレーション。アトラクションを挾んで、プロポーションを競う水着での審査。出場者の妖精たちは、自国のムードをアピールする彩かな色と趣向の限りを尽くしたデザインの水着でビーナスのごとき磨き抜かれた珠玉のボディを披露。蟻の這い出る隙間もないほど埋め尽くした観客は、余りの眼福にすっかり夢見心地。絶え問なく拍手をするが、眼はトロンと溶けてしまっていた。三次審査のイブニングドレスでの勢揃いは、ゴージャスそのもの、観客は忙然自失といった態。結局、準ミス3位にオランダのお人形さんのようなジャクリーヌ・シューマン嬢、準ミス2位は現代的美女のアメリカ代表サリー・ネレ-ン・ジュペラー嬢、晴れの栄冠は塑像のように端正なベネズエラ一代表の二一ナ・シシリア・エルナンデス嬢の頭上に輝いた。

7-7-3-3  民間館の集まり

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写真 さよならコンサート

広場では、民間館のコンパニオンによる、「レインボー5さよならコンサート」が開かれて、集まった観客と一緒に、後一日となった万博の名残を惜しんでいた。

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写真 前夜祭バンド

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7-7-3-4  今日の入場者

雨一時曇り

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写真 33万人を超えた日

 

早朝より周辺道路は大混雑。心配しつつも期待に膨らんだ一日の始まりであった。午前に2,000万人を超えた観客は、その時点で滞留観客数は20万人を突破し、その後も増え続けたが、シンボルタワーからの観察ではまったく混乱はその兆しさえなかった。それにあしたは閉会。今日の観客に対する入場制限は話題にものぼらなかった。

 この人出の影響で、国鉄常磐線大混雑。国道294号と県道土浦境線で12km、常磐自動車道路谷田部インター出口で4kmの渋滞と知らされた。

 結局夜間入場者数もよく伸びて、338,539人の記録がつくられた。予測値は 216,000

7-7-3(続き)  916日(月) 最終日

184日間の終わりの日になってしまった。 雨一時曇り

7-7-3-5 閉会式

 

「さよならEXPO’85」わが国で3番目の国際博覧会「科学万博―つくば’85」は16日、184日間、半年にわたった会期を終えた。総入場者は15日に目標の2,000万人を達成。最終日の入場者を合わせて、20,334,727人となり、特定のテーマに基づいて開催される特別博覧会としてはこれまで最大の観客を集めた。

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写真  皇太子殿下ご夫妻をお迎えして

会場では、午後からエキスポプラサで閉会式。午後2時から、皇太子ご夫妻をお迎えし、中曽根首相をはじめ約2,000人の紹待客、約1,000入の一般客が出席して姶まった。

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写真  国旗入場

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写真  運営従業者整列

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写真  世界から拍手

地元高校生の演葵する「エキスポマーチ」の先導で、まず、わが国を含めた参加48ヵ国の国旗、37国際機関の旗やブラカードが入場、次いで、観客の案内に当たった政府館、28の国内民間パビリオン、科学博協会の順でコンパニオンが登場し、式典に彩りを添えた。会場内の店舗関係者や清掃員、観客の輸送を担った連節バスの運転手たちもステージヘ。

中曽根首相らのあいさつに続いて、皇太子殿下が閉会のおお言葉。参加各国の国旗と国際博覧会旗が降ろされ、国際博覧会旗は、来年開かれるバンクーバー交通博のパトリック・リード・カナダ政府代表の手へ。

各パビリオンも、閉幕に相応しいファイナルショーを催し、観客を楽しませた。

◎皇太子殿下のお言葉

国際科学技術博覧会は、本日幕を閉じることになりました。参加の各国、各国際機関を始め、内外関係者の多大な協力の下に各種の行事を滞りなく終え、この日を迎えたことは誠に喜びに堪えません。

この博覧会はここに終わりを告げます。しかし、本博覧会のテーマ「人間・居住・環境と科学技術」の示唆するところは・今後も永く大きな意義を持つものであり、私たちは相協力し合って、人類の望ましい世界を築くよう力を尽くしていきたいと思います。

この会場を訪れた多くの人々の心の中に、将来への新たな展望が開けていくことを願い、閉会の言葉といたします。

◎中曽根内閣総理大臣挨拶

本日ここに、皇太子同妃両殿下の御臨席を仰ぎ、国際科学技術博覧会の閉会式が挙行されますことは、誠に感慨無量なるものがあります。

国際科学技術博覧会は、開幕以来、内外から.2,000万人に及ぶ来場者を迎え、成功裡に終了することができました。これは、ひとえに参加各国及び国際機関の代表をはじめとする参加者各位・地元県市町村各位の絶大なる御尽力の賜物であり、ここに深甚なる謝意を表するものであります。

私は、この国際科学技術博覧会が、21世紀に向けての科学技術の発展の方向を示し、科学技術の重要性に対する人々の理解を深めるとともに、世界的な交流の場としての役割を十分に果たすことができたと確信いたしております。

もとより科学技術は、人類の幸福と社会の発展に奉仕すべきものであり、世界各国の各民族の伝統及び文化と十分に調和するものでなければなりません。私は、「人間・居住・環境と科学技術」という国際科学技術博覧会のテーマが、今後とも世界の至るところで想起され、人類の発展と国際平和が推進されることを心から希望してやみません。

終りに、国際科学技術博覧会の成功のために今日まで惜しみない尽力を重ねてこられた国際科学技術博覧会協会並びに関係者各位に対し深く敬意を表し、御挨拶といたします。

7-7-3-6 感謝のパレード

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写真 「ありがとう」政府館

 政府館では、184日の感謝をこめて、政府館の周りを「ありがとう」パレードをおこなった。そして、テーマ館の脇の池の前で、観客に向かって感謝の挨拶をささげた。

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写真 さよなら

7-7-3-7日本政府出展施設合同閉館式・解団式

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写真 閉館式場    

閉会式終了後、午後3時から4時まで、主会場テーマ館レセプションルームにおいて日本政府出展施設合同閉館式が行われた。関係された方々も参集されたが、みな笑顔、笑顔が員層的であった。

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写真 みな笑顔 井深副会長、伊原事務局長 

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写真 豊田運営総合プロデューサ

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写真 竹内知事

竹内科学万博担当大臣を始め、政府野幹部が列席し、運営の労をねぎらった。各館の館長、副館長および各館の運営関連の個人・協力会社が多数が招待され、この席上表彰状の授与が行われた。

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写真 竹内大臣

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写真 科学技術庁幹部

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写真 花束を頂いて政府館館長

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写真 解散パーティ

さらに、午後840分から、日本政府出展施設合同解団式が開催されすべての館より、可能の限り多くの職員、従業員多数が参加し深夜まで名残を惜しんだ。

7-7-3-8  最終日の入場者

 最終日の入場者数は216,085(予測値194,400)

累計 20,334,727人(予測値 2,000,700人)

 

このあと 8 成果と評価

9 あとがき 

で閉める予定です。

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2007年6月 1日 (金)

7-7-2 9月(その2)

7-7 -2   9 (その2) 世紀の祭典いよいよ終幕へ

7-7-2-1  98日(日) 

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写真 会場を埋め尽くす観客

期待される日曜日。朝から快晴。宿舎の脇の道は早朝から渋滞気味。渋滞を避けて抜け道を通り会場へ。駐車場から会場までの動く歩道もいっぱい。ゲートは開場まえから溢れている。今日は30万人超えるかも知れない。

 北ゲートの到着する連接バスも満員がつづく。正午過ぎに20万人を突破したとの情報がはいる。協会として滞留観客数が20万人を超えたとき、入場制限をするかどうかを検討することになっていた。押し寄せるVIPの対応の合間を探して、シンボルタワーに上り、会場の混乱の度合いを調べ、協会本部と協議するのも筆者の仕事であった。

 タワーからの眺めは、人・人・人であったが、中央プロムナードの人の流れはスムーズであり、普段は人出の多くないダベリング広場や、ぽっかりが丘への流れも緩やかに続いており、まだまだ余裕ありと報告する。

 ダイエー館前の群馬和太鼓の演奏にも大勢の観客が集まっていた。

 なお、エキスポプラサでは、引き続きボリショイ・サーカスが演じられ、まさに立錐の余地がなかった。

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写真 まだ余裕を感じさせる政府館の周辺

 13時過ぎには、滞留240,890人の表示が示されたが、まったく問題ないと確信が得られた。

 昨夜(7日)は夜間入場者が98,520人で記録をつくったと知らされ、30万人入場の期待は高まった。そして花火が打ち上げられた頃には、待望の30万人を超えていた。

今日の入場者 324,543人(予測:224,000人)

7-7-2-2  99日(月) 

曇り一時晴れ

昨日の興奮が夢のよう。10万人の観客は、なにかがらがらという感じ。しかし、残暑まだまだ暑い今日も大勢の観客の来場には、頭が下がる思い出ある。気になることといえば団体バスの数が急に減ったこと。昨日は400台を下回っていたが、この日も同様。旅行エージェントが大阪万博の先例で会期末は第混乱と見て、営業を抑えたのかと考えられる。とすれば、明日意向もあまり期待ができない。

エキスポホールでは、モニカ&藤岡琢哉のラストサマーコンサートが演じられて、2回の公演で4,000人余りの観客を魅了していた。

エキスポセンターも22,389人の記録を作り、累計100万人のイベントの準備を始めた。

今日の入場者 135,680人(予測:155,100人)

7-7-2-3  910日(火) 

 曇り一時晴れ

プラサでのボリショイは今日まで。

少し余裕ができたか、閉館後の相談が入ってくる。しかし、現実はまだまだ優先入場で振り回されている。今日も総館長自らでないとだめという人気パビリオンに、3度も足をはこんでしまった。お願いするほうも、されるほうも大変。VIPの方は是非8月のお盆前にきていただきたい。そうすれば懇切丁寧にご案内できるのだが。VIPといっても民間館の場合、出展社の役員やその家族はこの頃は一切だめ。お得意様のご家族様が最優先なのである。どうにかならないか。どうにもならないのである。

今日の入場者 138,358人(予測:119,800人)

7-7-2-4  911日(水) 

あいにくの天気となる。曇り一時雨

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写真 中曽根総理大臣にご報告

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写真 歴史館ご視察

いよいよ閉会に向かっての準備に入る。

 中曽根総理には十分万博の実地検証をお願いする。この日は会場建設の担当者としての木部建設大臣もご来場。国際機関では最後のスペシャルデーを催したISOのコタリ総会議長も来館。

来賓もお忙しく、ホスト側もめちゃくちゃの常態であったが、万博成功の確信を抱いての応接は、常に笑いがあり、満足の顔で満たされていた。

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写真 クバン・コサック合唱団

エキスポホールでは、ソ連の国立クバン・コサック合唱団のコンサートが行われた。「カリンカ」「ボルガの舟歌」「カチューシャ」などポピュラーな曲目を演奏して、観客を楽しませた。12日まで。

なお、この日エキスポセンターでは、待望の100万人の入場者を迎えた。福岡県の女性で、センター館長室で、榊館長より記念品が渡されている。

今日の入場者 156,504人(予測:133,100人)

7-7-2-5  912日(木)

 

曇り一時雨

この日は最後のナショナルデーが行われた。

ネパール

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写真 ビレンドラ国王

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写真 ネパール館

ネパール王国の環境は、熱帯気候から万年雪の宿るヒマラヤまで多種多様であり、その中で育った伝統的技術や文化は、それぞれの環境に適応し調和するものとなった。科学万博への出展に際しては、この多様な環境と文化、平和を愛する国民性、そして特異な環境に対して独自の開発を進めていく姿を5つのテーマに分けて紹介することが基本構想とされた。

「人問」コーナーでは、ネパールの人びとのいきいきとした表情がスライドと写真パネルで紹介され、「環境」コーナーには、「世界の屋根」ヒマラヤ山脈の写真パネル、高山に住む180種の蝶の標木が展示された。「平和」コーナーに安置された仏像が、平和を愛する国民性を象徴、「開発」コーナーの水力発電所のタービン部品等が、豊かな水資源を利用する姿を紹介した。最後の「居住」コーナーには、カトマンズ盆地のネワール族の農家のモデルが展示され、パネルではそれぞれの環境に適応した多彩な住居形態が紹介された。

なお、館内中央には、木彫を施した寺院風のカウンター兼売店と、カーペットを敷いた台「チョータラ」(休憩所)が設けられた。

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写真 工ベレスト・カルチュラル・トループの踊り

912日、ビレンドラ・ビル・ビクラム・シャー・デープ国王・王妃両陛下を迎えて、エキスポプラザでナショナルデーの式典が開催された。当日は、総勢22人の「工ベレスト・カルチュラル・トループ」がヒマラヤ山系高地に伝わる神秘的な踊りを披露し、映画「ジス・イズ・マイ・カントリー/ネパール王国」も上映された。このほか、仮面舞踏「マハカリ・ピャクン」の公演、シェルパ族宮大工による彫刻の実演等、エキゾチックで神秘的なネパール文化を伝える数々の催し物が行われた。

 

 竹内科学万博担当大臣来館。終幕へのピッチ急。

今日の入場者 154,563人(予測:131,700人)

7-7-2-6  913日(金)

 晴れ

国際科学博覧会名誉総裁であらせられる皇太子殿下・同妃殿下をお迎えするのにふさわしい秋晴れの日であった。

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写真 観客にお手を振られる皇太子殿下・美智子妃殿下

皇太子殿下ご夫妻は、3月の開会式の前に、エキスポセンターを含む政府館をご視察いただいている。今回は閉会式にご参列いただくために、13日から会場にこられ、くまなくご視察をいただいた。

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写真 日本代表(向かって右側小林さん)

この日、エキスポプラサでは、915日に行われる‘85ミス・インターナショナル・ビューティ・ページェントに参加する日本代表の選出大会が行われ、同時にミス・ワールドも選出された。

85ミス・インターナショナルには静岡の小林利花さんが、ミス・ワールドには大阪の杉本治子さんが選出された。

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写真 モンゴル国立歌舞団

また、エキスポホールではモンゴル人民共和国国立歌舞団の公園が行われたが、モンゴルの歌は、日本の民謡「追分」「馬子歌」に驚くほど似ていて、観客の共感を呼んでいた。

 

今日の入場者 130,863人(予測:146,600人)

7-7-2-7  914日(土)

曇り後晴れ

皇太子殿下・同妃殿下には今日も場内をご視察いただいた。

閉会式の主役になられるVIPがだんだんお揃いになってきて、事務局の緊張は大変高まってきた。そんな中、明日のミス・インターナショナルの審査員にさせられた総館長は、世界の美女の大挙訪問を受けてびっくり。秘書も事務局も仕事の手を止めて、何事がおこったかと、総館長室を覗く。

美女たちの背の高いのにまた、びっくり。この審査員訪問は恒例とのこと。としてもどんな顔で応接していたか、本当に冷や汗ものであった。

今日は土曜日なので、期待していたが、やっぱり2,000万人は明日のお預けとなった。それでも夜間入場者が68,615人と新しく記録を更新してくれた。

今日の入場者 177,325人(予測:201,300人)  累計 19.780,103人(予測:19,590,600人)  

明日の正午前には念願の 2,000万人となるだろう。

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2007年5月31日 (木)

7-7-1 9月(その1)

7-7 -1   9 (その1) 最後の踏ん張り

 目標の2,000万人危うしという8月を終えて、いよいよ最終の月。不思議と筆者も、政府館スタッフも、それほど悲観的な見方は流れていなかった。むしろ、博覧会の成否の論調が2,000万人問題に集中していることは、歓迎されていた。とはいっても、これからの16日間は観客数との戦いであった。その11日を追ってみる。

 

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 幸い快晴である。宿舎の脇に会場駐車場への道がある。朝から異常な数の乗用車が通っていく。今日は期待してもよさそうだ。朝から観客が続々入場する。午後、滞留ピーク時には173,012人の記録が報告される。従来の記録は815日の167,060人。

41mの政府館シンボルタワーに上って眺めると、会場には溢れんばかりの観客が、あるいは記念写真を、あるいは食堂の列に、もちろん列をつくっていないパビリオンは見当たらない。

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写真 バリ島ブリアタン歌舞団

今日はエキスポプラサでバリ島ブリアタン歌舞団の公演が行われ、インドネシアのアラムシャハ宗教大臣がこられる。いつものことだが、ご案内が日程に組み込まれている。バリ島ブリアタン歌舞団の公演が見られないのが残念。エキスポプラサは超満員であったとか。

 今日の入場者 232,345人(予測:226,600人)

 協会の駐車場を利用したマイカーの台数は21,172台。これは新記録。今まで2万台を越えた日は、815日、16日の2回だけ。15日の20,527台が最高であった。

 

7-7-1-2  92日(月) 

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写真 宝くじー夢にかける橋

今日も快晴。今日のイベントはエキスポホールでバリ島ブリアタン歌舞団の公演と「宝くじの日」記念ドリーム・スペシャル(92日の92の語呂合わせで「くじ」となる故とのこと)。宝くじからは10億円の協力金を頂いているので、今年も100枚ほど購入したが、300円以外の当たりはない。今回のイベントはそのはずれくじの救済とのことであったが、筆者は救済されなかった。エキスポプラサではオランダ舞踊団の公演。

 今日の入場者 105,781人(予測:115,700人)

7-7-1-3  93日(火)

 一日中曇り勝ちであったが、会場は返って暑すぎない状況であった。

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 写真 秘書たちと誕生日

今日は一生忘れられない日となった。政府館総館長室の4人の秘書が中心になって、総館長の誕生日を祝ってくれた。56歳である。

実は、49日にコンパニオンから誕生祝いの花束を頂いたことがあった。エキスポセンターのコンパニオンの代表の方が総館長室に訪ねてこられ、「お誕生日おめでとうございます!」。驚いたけれど、ここは純粋な彼女らの気持ちを大切にしたいと考え、花束を頂戴し、心からお礼をのべさせていただいた。そのときのことをコンパニオンは日記で次のように綴っている。

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写真 コンパニオンと一緒に.

ごめんなさい!総館長 (49日)

あーもう「こっけい」という言葉以外では語ることもできない日だった〃まず第一ホテルにバラの花束を取りに行ったら、ちょうどセネガル共和国のナショナルデーということで、ホテルのロビーはでんとしたかっぷくのいいおじ様方でいっぱい。その中で大きな花束は異様に目立ち、視線は自然と私たちに!いい気分だった〃

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写真 メモ

そして運営本部に到着。私たち2人と市川さんの3人連れだっていそいそといざ総館長室へ。ドアは開かれ、熊さんさながらの総館長は、全身で喜びを表してくださり、

「いやー感動ですなあ。人生最良の日だよ」

とおっしゃった。ご一緒に写真までにこやかに撮ってくださって、あーそれなのに、それなのに(一瞬の空白)。総館長の誕生日はなんと5カ月も先の93日だった……。今思うと、こちらが問違ったのにそれをおくびにも出さず、49日が誕生日であるように振る舞ってくださって、あーなんとお優しいことかと感動した。さて、93日にはいったいどんな顔してお祝いを述べたらいいのかしら……。

(本当にうれしいですね。)

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写真 でんでんINS館コンパニオン

 

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写真 歴史館のコンパニオン

 当日は民間館を含め、各館コンパニオンからたくさんの祝福を受けた。目標2,000万人を目前に、まさに至福のときといえよう。料理は政府館の食堂を担当をしている「六本木VIVI」が腕をふるってくれた。

 肝心な入場者は109.142人(予測:101,500人)

7-7-1-4  94日(水)

 この日はウルグアイ東方共和国のナショナルデーであった。曇り時々晴れ。

ウルグアイ東方共和国

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写真 イグレシアス外務大臣

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写真 ウルグアイ館

ブラジルとアルゼンチンにはさまれた国ウルグアイ東方共和国の面積は日本の約半分、人口は約300万人だが、羊の数は、人口の8倍の約2,500万頭に上っている。このことからもわかるように、ウルグアイの基幹産業は農牧業とその製品加工である。

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写真 館内展示

したがって、展示の中心は、毛糸、セーター、ベスト、カーディガン、タペストリー等の羊毛製品であった。セーター等は、いずれも羊毛100%、手編みの製品で、女性観客の大人気となった。

一方、ウルグアイの新しい産業技術の成果としては、イヌやライオンなどさまざまな動物をかたどった陶磁器の置物、みかげ石(花崗岩)の原石と彫刻、医薬品等も紹介された。また、首都モンテビデオの街並みを始め、自然、文化、生活などをビデオ等で紹介した。

ウルグアイ東方共和国のナショナルデーは、94日であった。当日は、エンリケV.イグレシアス外務大臣をエキスポプラザに迎えて式典が行われ、続いて「池田光夫とロス・アミーゴス」と歌手の前田はるみによる「ミニ・タンゴ・コンサート」が開催された。

910日には、1985年の神戸ユニバーシアードで準優勝した同国サッカー・チームのメンバーが来館し一日館長を務め、館内でサイン会等を開催、観客の好評を博した。

 VIPとして秩父宮妃殿下がお成りとなり、5日までご見学された。

 今日の入場者 118,892人(予測:101,700人) 大変に順調と思われる。

7-7-1-5  95日(木)

 4日に続いて曇り時々晴れ。天候には恵まれている。

 

この日から10日まで、ボリショイ・サーカスがエキスポプラサで開演された。

ステージ上には空中ブランコのロープや台、安全網、アリーナ上手には直径13mの円形舞台、その入口にバンドのブースが設えられるなど、サーカスのムードいっぱい。世評に高いソ連の国立サーカスの登場で、エキスポプラザは黒山の人だかりとなった。

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写真 ボリショイサーカス

オープニングは空中ブランコ、4人の男性と2人の美女の妙技の一つひとつに「オー」「ホー」ともつかぬ歓声と溜め息が大合唱のように巻き起こった。次のプログラムは「動物村の火事騒動」、さまざまな犬たちが健気に救助や消火をする姿に、観客は頬を緩めっぱなし。第1部の圧巻は「豪快!コーカサス・ジキト上コーカサスの馬の曲乗りを、ストーリー性のある芝居仕立てで演じたがエキゾチズムいっぱいのコスチュームと、ただ見事としか形容できないアクロバット的曲乗りに、観客はただただ驚嘆するのみ。息もつかせない迫力と神技に、あっという間に1時間が過ぎた。

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写真 ボリショイ

1時間の休憩後第2部が開演。「空中大回転」「シーソー・アクロバット」と、趣向を凝らした名演技が続き、ポリショイ・サーカスの呼びものの一つ熊の登場。檸猛な熊が音楽に合わせてよちよちとダンスのステップを踏む仕草には、子どもの黄色い歓声が渦巻いた。さらに、機械体操の技術を折り込んだ「棒上のアクロバット」、華麗な「夢のマジック」、ソ連の体操の強さを連想させる「平行バランスサーカス」などを披露し、8頭のライオンによるダイナミックな曲芸がラストを飾った。各演技の幕間は軽妙なピエロが繋ぎカリンカなどロシア民謡が雰囲気を一層盛り上げ夢のように時間が過ぎた。手に汗握る興奮、胸が早鐘のように鳴るスリル、爆笑、驚嘆……これらが全てあて嵌まるような、文句なしに楽しめるイベントだった。

今日の入場者 119,465人(予測:100,800人)

7-7-1-6  96日(金)

晴れのち曇り。会場は相変わらず混雑。各パビリオンも残り少なくなった会期を、優秀の美で締めくくろうと、押し寄せる内外のVIPの優先入場・アテンドで苦しみながらも頑張っている。

政府館も終了したあとのことを考える余裕はない。だれかが考えているものとは思うが。

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写真 フラメンコ

エキスポホールでは、5日と6日にかけて、フラメンコの小松原庸子スペイン舞踊団の公演が行われた。2日間で2,500人を超える観客の喝采を浴びていた。

今日の入場者 129,407人(予測:127,400人)

7-7-1-7  97日(土)

曇り時々晴れ。

あと一週間となった土曜日。期待どおり25万人を超える観客が集まってくれた。団体バスは、9月3日以来、毎日600台近く安定して観客を運んでくる。会場を廻ってみると、本当にどこもいっぱい。人気パビリオンに入れない観客も、とにかく楽しそうな顔をみせてくれる。政府館の制服を身にまとっていると、時々ご苦労様と声をかけられる。こちらこそ観客にたいして、心からご苦労様といいたい。

この調子でいけば、成功―2,000万人は間違いなし。

今日の入場者 252,097人(予測:208,800人)

今日までの累計 入場者 18.562,267人(予測:18,478,700人)  達成率 100.45%

 

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2007年5月30日 (水)

7-6-4 8月の入場者

7-6-4  8月の入場者 

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写真 日傘の貸し出し

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写真 花も盛り

8月に入って会場ではいろいろなイベントが精力的に展開された。その成果は着実に集客数に表れるはずである。

実際には、8月の第1週は天候に恵まれず、週末の雷雨などもあって、予測値に対して83.3%と伸び悩んで、関係者をやきもきさせた。しかし、第2週に入ると情勢は一変した。815日には、252,488人という本博覧会の入場者記録を更新することができた(これまでの記録は55日の235,016人)。翌16日も24万人を超す来場者を迎え、この週の対予測値は109%を示した。20万人を超すと、会場は異常な雰囲気をかもし出す。しかし、滞留ピーク時観客数は167,060で、まだまだ十分余裕があった。因みに本会場の収容能力は、滞留ピーク時20万人と設計していたと思う。

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写真 混雑する南ゲート

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写真 人気館を目指して

各パビリオンは入場予約券の取得のために、1時間も並ぶとか、ひたすら2時間も待つとか、大変であった。このころから政府館総館長の仕事として、VIPの優先入場のお世話が相当の用務量となってきた。政府館への優先入場は、パビリオンを設計・建設する前に手を打ってあったので、団体でも対応はそれほど困難ではなかったが、人気民間パビリオンへの斡旋は日に日に大変になってきた。日ごろ民間館との交流を密にし、政府館への優先入場依頼もどんどんこなしていたので、各館も大変協力してくれた。しかし、各館とも優先入場のキャパシティーを遥かに超える依頼に、出展社の社長のご家族もお断りせざるを得ない館まで現れるにいたった。政府館として総館長の秘書が直接お連れしなければ、引き受けられない―から、総館長自身で連れてきてくれなければだめ、となり、依頼をお断りするのが秘書たちの日常業務となってしまった。やはり、博覧会は早めに見るほうが楽である。

考えてみれば、これほど人気が高まったということ、本当は大変ありがたいことなのであろう。とにかく頑張って目標の2,000万人をと話し合ったものである。

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写真 事故もなく

しかし、第3週に入ると、観客は一休みの状況を示して、また、関係者をあわてさせた。第3週の入場者の対予測値は73%、第4週は80%に留まり、報道記者などは2,000万人の目標は困難。したがって、つくば科学万博は失敗だ。と盛んに協会事務局をあおっていた。そして、831日にはとうとう予測累積入場者17,496,200人に対して、実績累積入場者は17,495,138人と始めて下回ってしまった。

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写真 今日も一日ボランチア

入場者の数だけで博覧会の成否を諮ることには、大いに異存があったが、9月の閉会が迫るにつれての入場者の増加はつくばという地勢的条件から、十分期待ができたので、メディアが2,000万人に勝敗ラインを設けてくれたことは、関係者にとっては幸いなことと思われた。これで科学万博は成功といわれるわけだからである。

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写真 会場にはこんな風景もありました。

一方、シティー会場のエキスポセンターでは、主会場と同様815日に15,261人という記録を作った。これまでの記録は55日の13,060人であった。831日現在の累計入場者は887,998人となり、会期中100万人の目標に手が届いた感じがする。

写真 スナップ

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2007年5月29日 (火)

7-6-3 8月を盛り上げる

7-6-3  8月を盛り上げる

7-6-3-1 茨城県の日

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写真 賑わういばらきパビリオン

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写真 若人の祭典

  茨城県は地元として、会期を通じて県の日や県民の日を、県民総参加という形で会場の盛り上げに大いに尽力した。さかのぼって、7月には「若人の祭典」と銘打って、茨城県の若人の心意気を、世界に向かって発信している。

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写真 ふるさとの祭典

 84日には「いばらきの夏祭り」をテーマに、パビリオン内お祭り広場でイベントが盛大に挙行された。これは会場外の県内各地でも、同時に行った祭りであった。

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写真 茨城県の日 

そして、 814日には茨城県の日が竹内知事、青木茨城県議会議長、井川博覧会日本政府代表、江戸博覧会協会副会長ほか多くの来賓の出席を得て、エキスポプラザで開会。

協会の記録には次ぎのように記されている。

観衆4,000人。出演者(国体):①茨城県警察音楽隊・水戸署カラーガード隊(38)②茨城県立大洗高校ブラスバンド(60)③土浦日大高校ブラスバンド(53)④川又音楽学院生徒⑤3B体操協会メンバー(200)⑥茨城磯節保存会、●司会/北出清五郎ほか。

科学万博つくば'85のホスト県茨城県が行ったスペシャル・デーのアトラクションは、県内有数のブラス・バンド、ダンスチーム、民謡保存会などの出演で、質量ともに華やかで賑やかなイベントが催された。中でも県警音楽隊とカラーガード隊、県下でも有数のマーチングバンドの大洗高校、土浦日大高校、色を添えた川又音楽学院生徒のバトントワラー、この合同演奏「いばらき賛歌」が、最も華やかに場を盛り上げた。また約200人の女性出演による3B体操、磯節保存会の「常磐炭鉱節」「三浜おどり」も祝いの日にふさわしい彩りと賑々しさを見せてくれた。エキスポプラサを中心に華々しく開催された。

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写真 知事メッセージ

 なお、当日記念品と一緒に配られた短いメッセージに、知事のこの博覧会によせる想いが凝縮されている。(合掌)

7-6-3-2           エキスポ盆踊り

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写真 盆踊り

こども広場の中央に、やや場違いとも思えるやぐらが建って、科学万博音頭に合わせ浴衣姿の輪がゆれる。政府館が企画した「納涼盆踊り」。ふるさとへお盆の帰省で列島大移動のこの時期に、誘客策に打ち上げるイベントは、「科学だ何だといったって、夏は盆踊けがよく似合う」と協会出展部。

踊り手は、谷田部町婦人会の主婦に、政府館、科学博協会などのコンパニオン約300人。「万博に盆踊りなんて」「ディスコの方が」と最初はしりごみしていたが、そこは現代っ子。切り替えは早い。「万博音頭で、手を後ろに引くところは、レーザー光線を表していて、勢いよくしなくちゃならないのです」と、踊るようになる。

 パビリオン回りに熱中する見物客は、コンパニオン娘の呼び込みの笑顔も振り切って、足早に通りすぎる。が、夜も更けるにつれ、一人二人と輪に加わって、「いいんじゃない、夏らしくて。もともとお祭りなんだから」と、夫婦で汗を流した北相馬郡守谷町の農協職員氏(49)。

「谷田部音頭」「東京音頭」「花笠温度」「炭鉱節」と進むうちに、輪は大きくなったり、小さくなったり。ふれあいの輪が続く。踊りの終わりのころには花火も打ち上げられて花を添え、空にはレーザー光線が舞っても、盆踊りに、やはり日本人の血は、騒ぐ。(つくば衛星新聞金森定博記者)(ありがとうございました).

7-6-3-3 阿波踊り

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写真 阿波踊り

「踊れ星丸、見せるアホウに見るアホウ。來なきゃ損だよ、科学万博」。17日、万博会場で、約900人の阿波踊りが繰り広げられた。毎日、入れ替わり各種のイベントが行われているが、これまで最大級の催し。

先頭は、そろいの浴衣姿の東京徳島県人会約50人で作る徳島県天恵連。「万博で故郷の踊りを踊れるなんて、願ってもないチャンス、精いっぱい踊るアホウになります」と連のリーダー藤原信一さん(47)。その後に茨城県内各市町村の婦人会や政府館、博覧会協会のコンパニオンや館員らが続く。半月間毎日、朝礼後に練習してきたという健康・スポーツ館は160人が参加した。約50人の外国館スタッフも器用な手さばき足さばき。

カネや太鼓、にぎやかな鳴りものに乗って、全長100mを超す踊りが、パビリオンの谷間を右に左に、エネルギッシュに進む。一般入場者の中には、たまりかねたように踊りの輪に飛び込んで、「踊るアホウ」になる人も。最後に、こども広揚で全員が輪になっての乱舞。筑波の夜に大輪の花をいくつも咲かせた。(つくば衛星新聞記事より)

7-6-3-4 会場点描(写真集)

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写真 人・人・人

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写真 水辺の賑わい1,2(ぽっちゃん湖への流れ)

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写真 噴水に集まる(こども広場)

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写真 こども広場のプールは裸天国

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写真 こども祭り

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写真 宇宙飛行士来る(テーマ館)

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写真 ウエルカム!ハレー彗星コンサート

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写真 市町村の日(園児舞う)

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写真 主役は可愛いいロボット(数時間待ちのパビリオン続出)

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写真 アメリカ・カンカン・レビュー

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2007年5月28日 (月)

7-6-2 8月のナショナルデー

7-6-2  8月のナショナルデー

7-6-2-1 タイ

G ブロック

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写真 ワタナクン駐日タイ大使

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写真 タイ館

  タイ王国は、国のほぼ中央に大河をかかえ、熱帯圏に位置し、乾季と雨季のはっきりとした気候である。この自然条件が大きな影響を及ぼている文化や生活、歴史的遺産、仏教、技術等の展示を通じてタイの姿を伝えることを目的として、科学万博に参加した。

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写真 高床式家屋(タイ)

観客は、壁に沿った仏教寺院風回廊を歩きながら展示を見学するようになっていた。中央には、タイの伝統的な木造家屋が復元されていた。床の高さが大人の背以上もある高床式家屋で、熱帯特有の暑さや雨を逃れて涼をとるために、歴史的な生活の知恵が育んだものである。柱はレッドウッド、壁は名産のチーク材と、屋根瓦以外はすべて木でつくられており、パビリオン事務所として使用された。奥には水槽が設けられ、タイ王室が重要な公式行事で使う華麗船「ロイヤルバージ」の模型が浮かべられた。

そのほか、2万年以上もさかのぼる旧石器時代の石器、新石器時代の陶器等の歴史的遺産が展示されており、金および黒の2体の青銅製仏像も安置されていた。タイの工業技術の発展に貢献した銅技術が、仏教国らしい形で表現されていた。

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写真 タイ国立舞踊団

タイ王国のナショナルデーは、812日であった。当日はエキスポプラザにウィチアン・ワタナクン駐日タイ大使を迎えて式典が開催された。同日および89日~n日のナショナルウィークには、エキスポプラザおよびエキスポホールで、タイ王国芸術省から派遣された「ダイ国立舞踊団」が華麗で多彩な舞踊の数々を披露、映画「ジス・イズ・マイ・カントリー/タイ王国」も上映された。

7-6-2-2 コートジボアール

 F ブロック アフリカ館

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写真 アングバ商業大臣

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写真 コートジボアール展示

コートジボアール共和国は、西アフリカに位置し大西洋に面している。国名は奴隷貿易時代の主要取引品の1つだった象牙にちなんでヨーロッパ人たちが名付けたものである。フランス領であったが、19608月に独立した。国土322,463㎞に人口が850万人、その58%20歳以下の若者である。科学万博の展示では「平和と発展を通じて人間社会に奉仕する姿を示すことが、基本であった。

展示は、泥とわらで建てられたセヌフォ族の伝統的集落(模型)、長さ1.5mの見事な象牙、などが中心で、伝統的工芸品、近代産業の成果を紹介した。強烈な色彩を使った仮面や民俗衣装が、観客の眼を奪った。

コートジボアール共和国のナショナルデーは、816日であった。当日は、ニコラ・クアンディ・アングバ商業大臣夫妻をエキスポプラザに迎えて式典が行われ、同国の観光・文化・風俗等を紹介するビデオも.ヒ映された。

7-6-2-3 ドイツ連邦共和国

 B ブロック 

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写真 リーゼンフーバー研究技術大臣

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写真 ドイツ館

ドイツの最先端技術が、さまざまな分野において批界の最局水準にあることを、展示を通して証明するこれが、パビリオン出展にあたっての、ドイツ連邦共和国の目標であった。

ドイツ館の展示は、外国展示館B-4号館の西端を占めた本館(B4パビリオン)と、B-1号館の2階に設けられた別館(Blパビリオン)から構成された。主会場であるB4パビリオンは、テーマ別にドイツ連邦共和国の先端科学技術とその応用例を展示し、映像ホールを備えたBlパビリオンは、映画を通してドイツ人の生活を紹介するとともに、定期的に内容を変える「特別展示」で、科学技術の質の高い展示を行うことが基本構想であった。

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写真 ジャーマンスクエア

B4パビリオンでは、エレクトロニクスを駆使して紹介する「ドイツ・インフォメーション・センター」と「ジャーマン・スクエアー」が用意され、周囲の大映像投影により、まるでドイツの美しい街角に.立っているかのような感覚を味わうことができた。さらに、「レジャー・スポーツ」コーナーで、「パリ~ダカール・ラリー」を制したオートバイの展示など、モトスポーツにおける最新の科学の成果が紹介され、バイオトープ(小生活圏)のジオラマ展示が設けられていた。ジオラマの中では、ソーラー発電を使って人びとが生活する様子などにより、科学の進歩と自然の調和が示された。

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写真 「トランスラピッド」

次いで「交通・輸送」コーナーの中心は、最高速度時速400kmを目指す磁気浮上式鉄道「トランスラピッド」の1/20スケール模型や、「磁気と車輪を併用した都市交通システム「Mバーン」の模型が展示され、コンピュータ制御の自重力車エンジンの実物が展示された。最終コーナーはテレコミュニケーションの展示にあてられ、観客はシステムの実体験ができるようになっていた。

B1パビリオンでは、①ルイジ・コラー二展…「曲線の魔術師」と呼ばれるドイツの産業デザイナー・ルイジ・コラー二のSF的な作品展。②ホーム・テクノロジー展…設置の簡単な省エネ床暖房システム、タッチ・センサー付きのホーム&オフィス用エレクトロニクス照明器具等。③レーザー技術展…エキシマ・レーザーやホログラフィーの医療用・工業実用化のが実演展等。④粒子加速器の技術展⑤医療技術展⑥ドイツ磁気共鳴イメージング技術展⑦宇宙技術展…最近25年間のドイッの宇宙技術の成果。⑧原子力エネルギー技術展…などが展示された。

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写真 ニナ・ハーゲン

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写真 ジャーマン・クラシカル・ロック・ナイト

ドイツ連邦共和国のナショナルデーは820日であった。当日は、ハインツ・リーゼンフーバー研究技術大臣をエキスポプラザに迎え、式典を開催した。アトラクションでは、人気ロック歌手のニナ・ハーゲン、クラシック・ピアニストのニコライ・エコノム等の出演で、クラシックとロックをミックスさせた「ジャーマン・クラシカル・ロック・ナイト」公演が行われた。このコンサートは、衛星回線を使って科学万博会場とミュンヘンで同時演奏を行うものであった。

このほかの催し物としては、421日に、ドイツ民俗音楽グループが、グリム童話に出てきそうな服装を着けて演奏を披露し、パレードも行った。また、99月には、同国を紹介した映画「ジス・イズ・マイ・カントリー/ドイツ連邦共和国」が、エキスポプラザの大画面で上映された。74目~8日の毎夕方、Blパビリオンの映像ホールで、「オペラ映画フェスティバル」が開催され、上映された映画は、『魔笛』『タンホイザー』等全部で5本、いずれもハンブルグ国立歌劇場上演やバイロイト音楽祭公演等による、最高水準のものであった。

7-6-2-4 インドネシア

 G ブロック 

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写真 ハビビ研究技術担当国務大臣

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写真 インドネシア館

南太平洋に浮かぶ、トロピカルアイランド・インドネシアには、13,000の島々があり、人口15,000万人、世界第5位の大きな国で、アジア大陸とオーストラリア大陸の間に位置し、その島の数が示すように、変化に富んだ国である。

イ ンドネシア館の展示は、科学万博の統一テーマにのっとり、インドネシア共和国の恵まれた自然と資源、すぐれた伝統と文化、人びとの生活の知恵と科学、工業技術、先端技術などを紹介し、インドネシアヘの認識と理解、世界各国の人びととの友好を深めることが出展理念とされた。

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写真 ボロブドゥール寺院(模型)

パビリオン入口上方には、トラジャ地方のオーナメント・トラジャを取り付け、インドネシアのアイデンティティで観客を迎えた。

屋内展示 「第1ゾーン」では世界最大の仏教遺跡ボロブドゥール寺院の模型と実物レリーフが中心とされた。トラジャ地方の家屋の模型を含め、9地方の家屋模型が展示され、インドネシアの多島国と多民族を知ることができた。インドネシアの象徴「パンチヤシラ」(国家5原則)が大壁面に取り付けられ、伝統的な展示物が出展された。

「第2ゾーン」は、今日のインドネシアの科学技術を伝えるもので、国産第1号飛行機「CN-235飛行機」の模型や人工衛星の模型が展示された。日本との協力のもとで完成したアサハン・ダムと、アサハン・アルミニウムエ場の模型が展示され、日本との友好関係が一目でわかる展示であった。展示物の中で観客の注目を集めたのは、知識の神様で古くからインドネシアに伝わる科学工業技術のシンボル「ガネッシャ」の像であった。

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写真 国立舞踊団

「第3ゾーン」は、200の観客席を持つ「マルチメディア・シアター」で、46台のプロジェクターによる「マルチメディア・ショー」が、インドネシアの自然や祭り、文化遺産、などがあますことなく紹介された。また、ステージでは、インドネシアから来た45名のアーチスト(ミュージシャン、ダンサー)156回、民俗舞踊や民俗楽器「ガメラン」の演奏を行い、「芸能の宝庫」インドネシアの一端をみせた。

「第4ゾーン」は、観光インフォメーション・コーナーで、観光案内、ハンディクラフトのバティック布、木彫り等工芸物産の販売が行われた。

屋外展示 「インドネシア・トロピカルガーデン」はインドネシア特有の樹木と花で囲まれた「ガーデン」ではバリ地方の寺院の門「チャンディ・ブンタル」や、日本の東屋に似た休憩所「バレ・バリ」、アスマット地方の木彫像が人目をひいていた。「チャンディ・ブンタル」の前にはステージが設けられ、毎週日曜日には、伝統舞踊の屋外公演等が繰り広げられた。

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写真 ケチャック・ダンス

821日、バハルディン・ユスフ・ハビビ研究技術担当国務大臣出席のもと、インドネシア共和国のナショナルデーの式典がエキスポプラザで開催された。式典に先立らて、パビリオンよりエキスポプラザまで総勢200人によるパレードが行われた。

式典後のアトラクションでは、「インドネシア民俗舞踊団」と少年少女合唱団「ビナ・ボカリア・バリ」がバリ島の民俗芸能を披露し、日本からは、「芸能山城組」が「ケチャック・ダンス」を踊った。また、インドネシアを紹介する「ジス・イズ・マイ・カントリー/インドネシア共和国」が上映された。

インドネシア館では、45人のダンサー、ミュージシャン等が、会期中を通して、エキゾチックな芸能の数々、民俗楽器「アンクルン演奏」、影絵芝居「ワヤン・クリット」などを披露した。

7-6-2-5 ザンビア

 F ブロック アフリカ館

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写真 チンクリ農業水資源開発大臣

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写真 ザンビア館展示

ザンビア共和国は、アフリカ南部の内陸国である。風土は地域によって多彩で、伝統的な焼畑移動農耕を中心とした多雨地域、カラハリ砂漠につながる半乾燥地帯、農耕のできる地味豊かなザンビア高地など3つの代表的な地域に分かれている。気候は、国土が海抜1,0672,350mの間の高原地帯にあるため、熱帯性気候地帯に入っているにもかかわらず全体的には温暖である。

主な産業は、鉱業(銅、コバルトなど)、農業(トウモロコシ、タバコなど)、工業(食品加工など)である。鉱業を基幹産業に、未来への飛躍を目指す姿を伝えるのが、基本構想であった。

銅やコバルトをはじめとする鉱石が展示されて、観客の関心をひいた。伝統的な住居や食糧生産の現状、近代化の進む都市の状況等がパネルで紹介され、未来に向けて着々と開発が進んでいることが訴えられた。

ザンビア共和国のナショナルデーは、826日であった。当日は、キングスレイ・チンクリ農業水資源開発大臣をエキスポプラザに迎えて式典が行われ、ザンビアを紹介した映画「ジス・イズ・マイ・カントリー/ザンビア共和国」も上映された。

7-6-2-6 ポルトガル

 A ブロック 

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写真 モイタ駐日ポルトガル大使

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写真 ポルトガル館

ポルトガル共和国は、日本に初めて鉄砲を伝えた国として、日本人にとってはなじみ深い存在である。科学万博の展示では、大航海時代以来の異文化との交渉や、現代ポルトガルの産業、国民生活等を簡潔に表現することが主眼とされた。

展示パネル固定用のロープ、展示コーナーを仕切る独特のキリスト十字を配したキャンバス地の天蓋等は、大航海時代の「カラベラ船」(大三角帆の帆船)を彷彿とさせ、館全体に帆船の雰囲気を持たせた。さらにアルミ製の館内基本構造や会場中央に置かれた現代彫刻のモダンな印象が伝統的なイメージと調和していた。

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写真 大航海

展示会場は、バスコ・ダ・ガマら、大航海時代に活躍したポルトガル人航海者のたどった航路が地図上に示され、入館者が直接ボタン操作により確認できるようになっていた。航海術および造船技術のコーナーではカラベラ船の模型など、帆船の形態的変遷が時代を追って展示された。武器のコーナーでは、日本史の流れを変えた火縄銃の原形とされる実物の銃2丁のほか、当時の珍しい武器の数々が写真パネルで展示された。

現代のポルトガルについては、ガラス製品、タペストリー、陶製品、じゅうたんなどの伝統工芸品や、花嫁衣装がそれぞれのコーナーに展示され、産業、生活等が紹介された。また、「東洋のポルトガル」として知られるマカオの展示コーナーも設け、ポルトガルの宣教師や日本のキリシタンが建設した聖ポール寺院をはじめ、マカオの現状を解説した写真パネルを展示した。

827日、フランシスコ・マヌエル・バルタザル・モイタ駐日ポルトガル大使を迎え、ナショナルデーが催さレした。当日は、エキスポプラザの大型画像装置を使って貰ルトガルの素顔を伝える映画も上映され、マリオ・ソアレス首相の日本国民へのメッセージに続いて、ポルトガル各地の風景等が紹介された。

7-6-2-7 カナダ

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写真 マザンコウスキー運輸大臣

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写真 カナダ館

豊かな資源を持ち、科学技術の分野でも近年目覚ましい発展を見せるカナダ。カナダ館は、このカナダの人びとやライフスタイル、科学技術が生活にどう取り入れられているかを、映像を中心とする多角的な展示方法を駆使して紹介するものであった。

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写真 カナディアンコンサート

エントランス・ステージは、カナダ各地方からやって来たアーティストたちが、毎日(月曜定休)、歌、演奏、ダンス、コミック・ショー等を繰り広げて入館を待つ観客を楽しませた。

「シアター・ゾーン」は3つの劇場で構成されていた。第1の劇場は、35mmフィルムと10台のマルチスライドを駆使してカナダを紹介する「カナダ劇場」であった。北極からブリティッシュ・コロンビアに至る広大なカナダの自然や厳しい風土、イギリス系、フランス系、エスキモー、インディアンなど、多彩な人びとで構成されるカナダ人の今日の姿が感動的な映像で描かれた。

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写真 マルチスライド

2の劇場は、36面マルチスライドを使ってカナダの科学技術を紹介する「テーマ劇場」であった。400年の歴史の中で、科学技術がカナダ人の生活にどのような貢献をしてきたかを知らせるとともに、エネルギー、宇宙、情報通信、電子、資源輸送、生物工学、原子力、映像といった分野での実績も紹介された。また、科学万博のいくつかのパビリオンでも採用されたオムニマックスやアイマックス等の巨大映像、双方向通信時代を開いたといわれる文字図形情報システム(テリドン)といった、世界の最先端を走るカナダの映像技術も紹介された。

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写真 バンクーバー世界交通博覧会コーナー

3の劇場は、1986年に「バンクーバー世界交通博覧会」を開催するブリティッシュ・コロンビア州を紹介した「ブリティッシュ・コロンビア劇場」。同州の恵まれた天然資源、美しい自然が、60度マルチチャンネル・サウンドシステム付き35mmフィルム映像の迫力の画面で楽しめた。

また、この劇場は、同州から来たホスト、ホステスが登場するライブ・ステージとなっており、モミの木(ダグラスファー)の苗木50万株が、彼らの手から観客にプレゼントされた。

フリーフロー展示は、カナダの科学技術の成果が展示され、特に、宇宙のコーナーに置かれたスペースシャトル「チャレンジャー」に装備されたカナダ製「宇宙の腕」(カナダアーム)が展示され、観客の注目を浴びた。また、双方向通信時代を開いたといわれる、タッチスクリーン端末「テリドン」が10基設置され、文字図形情報を組み合わせて、クイズを盛り込んだ方式でカナダのさまざまな「顔」を紹介した。

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写真 スタジオ・カナダ

さらに、長い国際博覧会の歴史の中でも珍しい試みとして、テレビ放映のスタジオ(スタジオ・カナダ)が設置され、科学万博のパビリオン、催事の情報に加え、コンパニオンをはじめとする人びと情報等、このスタジオで収録された番組は、東京放送テレビ(TBS)のネットワークを通して、毎週月曜~金曜まで毎円、目本各地に届けられ、科学万博を広く紹介する上で大いに威力を発揮した。

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写真 インディアンダンス

カナダのナショナルデーは、828日であった。当日は、ドナルド・フランク・マザンコウスキー運輸大臣夫妻をエキスポプラザに迎え、式典が開催された。アトラクションとして、カナダを紹介した映画「ジス・イズ・マイ・カントリー/カナダ」を上映。「カナディアン・ブラス」の金管演奏、「サイモン・ディック」のインディアンダンス、ロリーナ・マッキンネットのハープとピアノ、ロックバンド「カノー」、女性シンガーK.D.ラング、ボーカルグループ「ザ・ナイロンズ」のコンサート等が、エキスポプラザを華やかなカナダ色で埋めつくした。

また、これらの出演者は、827日~31日の間、エキスポプラザで行われたナショナルウィークの催し物にも出演した。当館のホステス46人は全員が日本語を話せるのが特色で、観客との記念撮影に気軽に応じたり、積極的に話しかけるなど、観客との交流を深め、積極的な「万博外交」を繰り広げたのが持色であった。

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2007年5月25日 (金)

7-6-1 日本の祭り(その2)

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写真 「日本の祭り」の会場となったエキスポプラサ

 7月に続いて「日本の祭り」のパート3とパート4がおこなわれた。夏休みともあって、エキスポプラサは連日満員の盛況であった。

 

3 (82日~4)

 出場人数638人(協会及び各パビリオンコンパニオン24):(司会)ジェリー藤尾ファミリー、ゲスト・原田直之

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3部写真順不同)

◎オープニング=相馬盆唄

①相馬盆唄と踊り(福島)

②谷汲踊り(岐阜)

相馬流れ山(福島)

④掛川・仁藤の大獅子(静岡)

⑤秋保の田植踊り(宮城)

⑥河内音頭(大阪)

⑦日立風流物(茨城)

⑧十津川大踊り(奈良)

⑨六斎念仏(京都)

⑩熊毛町の花笠踊り(山口)

⑪猿の子踊り(鹿児島)

⑫石見神楽(島根)

⑬山あげ祭(栃木)

フィナーレ=相馬盆唄

日本の祭り第3部、8月に入り夏まっ盛りで旧盆も近く、祭りの気分も大いに盛り上がった。リハーサルの時から客入りが良く、3,000人近くの人が本番さながらの祭りの気分を味わった。

オープニングは相馬盆唄、夏らしく浴衣がけの盆踊りで、原田直之の艶のある声が冴えた。

今回の出し物には、掛川・仁藤の大獅子、日立風流物、栃木・鳥山の山あげ祭など、仕掛けが大きくて華やかな祭りが多く、装置そのものがまず目を惹いた。特に、日立風流物は、高さが15mあるという大山車で、それが五重の舞台に変身し、源平盛衰記の5つの舞台をつくり、それぞれがからくりによって人形が演技する、しかもその裏側も、自雷也の舞台になるなど見栄えのするもの。また最後の演目である烏山の山あげ祭も壮大な仕掛け。これは、野外に芝居の舞台そのものや美術のセットなど(山などの借景も含め)を組み立て、出来上がったステージで芝居を演ずるというもの。実際の祭りでは、そのスペースが100mにも及ぼうというものだけに、観客はそのスケールの大きさ、ステージづくりの手際の良さに感嘆するばかりだった。どのお祭りもそれぞれに楽しく、またその生い立ちなどに興味が唆られるものばかり。谷汲踊りのきらびやかな背負い物、頭が人の丈より高く全長30mはあろうかという掛川の大獅子、大蛇が火を吹く何ともユニークな石見神楽などは、特に場内が沸いた。

尚、今回は民謡のトップ歌手、原田直之がゲストで参加、フィナーレで相馬盆唄を歌うなど、祭りに彩りを添えた。

4 (823日~25)

 出場人数679(協会及び各パビリオンコンパニオン24):(司会)ジェリー藤尾ファミリー

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第4部写真順不同

◎オープニング=山鹿流陣太鼓

①八木節(群馬)

②湯河原のやっさ踊り(神奈川)

③足助の棒の手(愛知)

④黒石よされ(青森)

⑤岩木山お山参詣(青森)

⑥小浜太鼓(長崎)

⑦武雄の荒踊り(佐賀)

⑧珠洲御神事太鼓(石川)

⑨太地の鯨踊り(和歌山)

⑩山鹿灯篭踊り(熊本)

⑪春照大鼓踊り(滋賀)

⑫武田流出陣大鼓(山梨)

◎フィナーレ

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写真 フィナーレ

日本全国の各地を代表する芸能を集めて繰り広げた「日本の祭り」も最終パートの第4部を迎えた。ジェリー藤尾の「サァー元気でいこう。日本の祭りパート4」の威勢のよい掛け声で山鹿流陣太鼓の音が会場に響き渡り、出演者全員が団扇片手に登場した。

オープニングは、樽打ちのリズムに合わせて踊る上州名物の八木節、ステージと観客の手拍子が続き、華やいだオープニングとなった。今回の演目は、足助の棒の手、岩木山お山参詣、武雄の荒踊りなどの無形民俗文化財の出し物から、湯河原やっさ踊り、黒石よされ、八木節などの賑やかな踊りと、それぞれに趣きがあった。足助の棒の手では、農民が自衛のために習練した武芸を、棒、鎌、真剣などを使った立ち振舞の妙技を披露。また、やっさ踊りは、湯河原の芸妓衆のキレイどころがヤッサ、ヤッサの掛け声に合わせて舞われるもので、神奈川県祭り50選にも含まれている。最近は和太鼓が世界的にも認められ、国内外を舞台に太鼓打ちが活躍している中で、今回は3グループが出演、エネルギッシュな妙技を披露した。特に長崎県の小浜太鼓は勇壮で大・中・小10個余りの太鼓が掛け声に合わせて力強く打ち続けられ、ジャズドラムスにも似たリズムの変化、テンポの良さは観客を魅了した。最後に出演した武田流出陣太鼓の天野宣氏も国内外の公演に追われている一人で、伝統的なものは勿論、新作も数多く手がけているが、その勇ましく激しい音に観客は拍手を送った。

全国各地には、春夏秋冬色々な祭りが昔から受け継がれていた。その中で生まれた郷土芸能は祭の原点とも言える。ある時は豊年万作を願い、ある時は無病息災を祈願し、形は違っていても祭の心は同じである。同様に祭は日本人の心でもある。

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2007年5月24日 (木)

7-5-4 7月の入場者 

7-5-4        七月の入場者 1,300万人突破

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写真 雨にも負けず

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写真 雨も風情

7月に入っても梅雨が長引いたにも拘わらず、第3週までは予測値を上回る実績を得ることができた。これは海開き、山開きに伴って、団体客が大量に海・山に取られるのではないかという心配であった。これはまったく杞憂であったことが示され、ほっとしたものである。これが、第4週になって、夏休みに入ると返って入場者が減るのではないか、という心配が現実のものとして現れてきた。

721日から27日の一週間は、予測値の88%28日の日曜日も10万人に達せず、予測値の81%に留まった。しかし、これまでの好調な実績のお陰で、729日には予定より6日早く、1,300万人の入場者を迎えることができた。

このあたりの状況をメディアがどう眺めていたか、例として「つくば衛星新聞」を読んでみる。

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写真 暑さにも負けず

「科学万博への総入場者数が729日午後112分、1,300万入を超えた。開幕以来135日目。7月に入ってから10万入を大幅に下回る日がほとんどだったため、閉会までに目標の2,000万人に届くには、1日平均141,600人の入出が必要。伊原義徳・協会事務総長は、大阪万博、神戸ポートピアでも、8月半ばから閉幕にかけて爆発的な入出となった例をあげ、2,000万人の達成は確実と強気だ。

だが、30日は午前10時にすでに気温31度。正午までの入.場者数は58,000人で、人出のほうも暑さにバテ気味だ。」

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写真 夜間会場は穴場

731日までの総入場者数は13,180,511人。予測値は 12,590,000人。達成率は 104.7%

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写真 さあ あと56日頑張ろう

エキスポセンターでは715日に総入場者数が50万人を突破している。731日までの総入場者数は590,246人。1日の入場者記録は、55日に記録された 13,060人は更新されていない。

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2007年5月23日 (水)

7-5-3 7月会場内の点描

7-5-3-1 日本の祭(その1)

日本全国津々浦々の伝統芸能が、全日本郷土芸能協会の肝いりで、真夏の博覧会会場で賑やかに繰り広げられ、国内外の観客へ日本固有の文化を紹介する役割を果たした。

各都道府県1演目を目標とした出展参加勧奨の結果、参加都道府県は45、出演団体は50、総出演者数は述べ2,765人に達した。

司会にジェリー藤尾に迎え、本番時には政府、博覧会協会、民間18館の各コンパニオンが各パートに20~30人出演し華やかさを添えた。

このような「日本の祭り」は第1部から第4部まで4回にわたって公演されたが、そのうち7月には第1部と第2部が行われた。いずれも3日間で、第1日目はリハーサル、2日目と3日目が本番であった。

1部は7月20日~22日に行われ、出場人数769人であったが、その出演団体およびプログラムは次の通り。

◎オープニング=御諏訪太鼓①よさこい・鳴子踊り(高知) ②下水流の臼太鼓踊り(宮崎) ③北上鬼剣舞(岩手) ④狸踊り一合まいた (香川) ⑤木遣り・梯子・まとい(東京) ⑥上総一の宮裸祭り(千葉) ⑦佐渡おけさ(新潟) ⑧四日市大入道山車(三重) ⑨越中おわら節(富山) ⑩御諏訪太鼓(長野) ⑪竿灯(秋田) ⑫アイヌ古式舞踊(北海道)◎フィナーレ=よさこい鳴子踊り

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ステージとアリーナには、山車、神輿、灯是、纏いなどが所狭しと並べられ、いやが応でも祭りのムードを昂めていた。うす墨を流したような黄昏の空の中、デジタル時計gが6:00の文字を写すと、よさこい節に乗って、出演者全員739人と各種コンパニオン30人が、きらびやかにオン・ステージ、それと共によさこい鳴子踊りがステージとアリーナで繰り広げられた。

オープニングに続いては、各団体のオムニバスでの演技、下水流の臼太鼓踊り、いで立ちも勇壮な北上鬼剣舞と続き、江戸の木遣り・まとい振り、梯子のり、上総の一宮裸踊りでアリーナを練り歩くと祭りのムードも最高頂に達した。後半の呼物は、御諏訪太鼓、そして最もポピュラーな祭りの一つ秋田・竿灯の登場で満員の観客はすっかり祭りのムードに酔いしれた。随所に見受けられる外国人も盛んに手拍子を打つなど、日本の夏祭りの情緒を満喫していた。出演した団体は、それぞれに歴史を担いユニークなものだったが、観衆の反応の大きかったのは、オープニングとフィナーレを賑やかな鳴子の音で彩った「よさこい鳴子踊り」独特なの出で立ちの「北上鬼剣舞」、勇壮な「一の宮裸祭り」、剽軽な「大入道山車」、それに「木遣り・梯子・まとい」、ダイナミックの一語に尽きる「竿灯」、音楽性豊かな「御諏訪太鼓」、自然流で哀愁を帯びた「アイヌ古式舞踊」などだった。司会のジェリー藤尾及びそのファミリーも陽気に立ち振るまい、お祭りの雰囲気にフィットしていた。

2部は7月27日~29日に行われたが、出場人数503人でその出演団体およびプログラムは次の通り。

◎①オープニング=花笠踊り(山形)②大杉のざんざこ踊り(兵庫)③津軽の手踊り(青森)④馬鹿囃子(福井)⑤白子踊り(岡山)⑥硫黄島八朔太鼓踊り(鹿児島)⑦秩父音頭・秩父屋台唯子(埼玉)⑧津軽獅子・高田獅子踊り(青森)⑨壬生の花田植(広島)⑩草地踊り(大分)⑪小倉舐園太鼓(福岡)⑫エイサー(沖縄)⑬鳥取シャンシャン傘踊り(鳥取)◎フィナーレ=花笠音頭

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真夏のギラギラとした太陽が沈むと、プラザにも涼しい風が渡り、絶好のお祭り広場となった。日本の祭り第2部のサブタイトルは"喜"。天地、自然の恵みを享受する者すべてがその嬉びを分かち合うもの。オープニングは、東北四大祭りの一つで、最も華やかな"花笠祭り"。ピンク地の鮮やかな踊り手がステージとアリーナの中央にせり出して、出演者全員の手拍子で蝶が乱舞するようにオープニングを彩った。続いて兵庫の「大杉ざんざこ踊り」、こちらは異様な風態に吃驚させられた。続いて「津軽じょんから」、福井の「馬鹿離子」、岡山の「白石踊り」……とオムニバス的に続いたが、前半でユニークだったのは「馬鹿離子」、さまざまな仮面をつけて太鼓を打つが、その仕草が独特だった。また「硫黄島八朔太鼓踊り」は韓国の民舞に似ている気がした。同じチームの"メンドン"と呼ばれる蓑笠、特大鬼面姿の人たちがコンパニオンや観客を追い掛ける愛嬌もあった。中盤では、秩父夜祭りで名高い勇壮な「秩父屋台囃子」、素朴で和やかな「壬生の花田植」、後半では、これぞ男の祭りの魂といわんばかりの「小倉祇園太鼓」、エキゾチズムいっぱいの「沖縄のエイサー」…などが観衆の注目度の高い祭りだった。フィナーレは、全員が花笠を持って、色とりどりの紙吹雪の舞う中の「花笠踊り」で、出演者・観客が一体となって笑顔のうちにぺ一ジェントの幕を降ろした。

7-5-3-2 花火

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夏休みの期問中には、「EXPO花火・銀河の夢シリーズ」と題した"打ち上げ花火"が、毎夜、ぴゅんぴゅん峠から打ち上げられ、会場の夜空を彩った。通日300発、特定の夜には2倍の打上に、夜間時間の延長を楽しむ観客の心を癒すことができた。

7-5-3-3 灯篭流し

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お盆7月15日にはコンパニオンによって、灯篭流しも行われた。

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2007年5月22日 (火)

7-5-2-(続)7月のナショナルデー(その2)

7-5-2-5                  エジプト

 G ブロック

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写真 サーベット駐日大使

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写真 エジプト館

古代エジプト文明以来、4000年の歴史を持つエジプト・アラブ共和国は、科学技術分野においても古代文明、イスラム科学、現代科学技術と途絶えることなく伝統を受け継いできた。科学万博においては、これらの、エジプト科学の過去の業績と現在の試みが奏でるハーモニーを印象付けることが基本構想であった。

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写真 展示

古代文明は、「猫の女神ベテスト」の像(BC2000年頃)、ネフェルタリ王妃のレリーフ(BCl300年頃)等、古代の王や王妃の墓から出土したレリーフ、像のレプリカ5点が展示された。

イスラムと科学では、総数56点の文化的・歴史的遺産が、日本で初めて公開された。特に医学分野の展示品で、薬品保存用の小型(高さ70㎜)ガラス容器、目に薬を塗るための機器、粉薬の分量を量るスプーン、喉の治療用の器具など、改めてイスラム文化の高い達成が注目された。

現代については、人工衛星「ランドサット」から送られてくる地表の情報と映像。これを地下資源の発見に活用しようとする状況がパネルで紹介された。

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写真 「オム・カルツーム・オーケストラ」

4月13日の開館式には、モハメド・マーヘル・アバサ電力エネルギー大臣がテープカット。7月11日のナショナルデーは、モハメド・サミ・マフムード・サーベット駐日大使夫妻の臨席の下に開催され、「オム・カルツーム・オーケストラ」によるアラビア音楽の演奏が披露された。

7-5-2-6  ジャマイカ

  A ブロック

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写真 セアガ首相

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写真 ジャマイカ館展示

ジャマイカは、カリブ海の中で3番目に大きな島で、白く美しい砂浜を持ち、「太陽の島」とも呼ばれちる。この美しい国土とそこに生活する人びと、文化、産物、手工芸技術を紹介することが科学万博への参加目的であった。

最初に、ジャマイカの人びとの生活ぶりが紹介され、ジャマイカが生んだ音楽「レゲエ」のスターたちによるライブ演奏が上映された。

パビリオン中心部は、国木マホからつくられた3本の人工樹に小鳥の彫刻がとまり、それが両側の壁に貼られた鏡に映えて、あたかも小さな森の雰囲気であった。

「森」の中には、ジャマイカの典型的な田舎家が建てられ、伝統的な細工がほどこされていた。これは展示ブースとして使われ、手工芸品のほか、チョコレート、手巻きの葉巻、ラム、リキュール、ブルーマウンテン・コーヒーなどジャマイカの名産品が紹介された。

ジャマイカのナショナルデーは、7月17日であった。当日は、エドワードP.G.セアガ首相をエキスポプラザに迎えて式典を開催した後、映画「マイ・カントリー・ジャマイカ」のほか「ジャマイカ・ビート」「ボブ・マレー・ライブ・イン・サンタクララ」の2本のビデオを上映した。

7-5-2-7  ブルネイ・ダルサラーム

  G ブロック

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写真 ラーマン開発大臣

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写真 ブルネイ・ダルサラーム館

ブルネイ・ダルサラーム国は1984(昭和59)年にイギリスから独立したばかりの、科学万博の参加国中で最も若い国であった。ボルネオ島北西部に位置し、石油、天然ガスといった資源に恵まれた、個人平均所得でみると世界でも有数の豊かな国である。

科学万博の展示は、新生国の歴史、文化、産業等を紹介することに主眼を置いたものであった。

まず、ハッサナルボルキア現国王陛下を中心に、歴史、人びと、政治体制、社会等の紹介、名物の水上村の風景を写した写真パネルなどが展示された。

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写真 展示

次に、「ヌルル・イマン新宮殿」の玉座、首都バンダル・セリ・ベガワンが写真で紹介されていた。また、束南アジアで一番美しいといわれる有名なモスク(回教寺院)「オマール・アリ・サイフディン寺院」の壮麗な空中撮影写真は、観客に強い印象を与えた。

続いて、金・銀細工品、手織りのかごなど、伝統的な工芸品を紹介。館内中央には、パイプいすを備えた「映像コーナー」が設けられ、スライドで紹介される新生国の横顔をくつろぎながら見ることができた。

最後の産業紹介コーナーでは、海底油田での原油掘削に活躍している「ハーベイH.ワード号」の模型、ブルネイ液化天然ガスプラントの簡略図等が展示され、豊かさを支える基幹産業がわかりやすく紹介された。

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写真 文化青年スポーツ省派遣舞踊団

ブルネイ・ダルサラーム国のナショナルデーは、7月19日であった。当日は、エキスポプラザにペヒン・ラーマン開発大臣夫妻を迎えて式典が開催された。アトラクションでは、同国文化青年スポーツ省から派遣された舞踊団、文化使節団が歌、武術のほか、古式ゆかしい雰囲気を持つ民俗舞踊を披露した。また、ブルネイ・ダルサラームを紹介する映画「ジス・イズ・マイ・カントリー/ブルネイ・ダルサラーム国」も併せて上映された。

7-5-2-8  キリバス

  F ブロック  南太平洋館

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写真 アロバティ貿易・産業・労働大臣

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写真 キリバス展示

キリバスの国土面積は、684 K㎡。気温は通常30℃前後。独立後6年を経た若い国キリバスは、かつてはリン鉱石が基幹産業、最近では海底マンガンの埋蔵が確認された地下資源に恵まれた国である。カツオ、マグロ等の水産物も有名である。また、ココナツからつくられる石鹸製造用のコプラが最大の輸出品目となっている。

科学万博の展示では、マンガンをはじめとする鉱物資源等の紹介に力を入れた。

「分野別民族科学」ゾーンに展示された、伝統的な遠洋航海用カヌーは、高速安定性に優れた横木付きのアウトリガー式のもので、民族の英知の深さを思わせるものであった。

キリバス共和国のナショナルデーは、7月23日であった。

当日は、アカ・ティーウェ・アロバティ貿易・産業・労働大臣をエキスポプラザに迎えて式典が開催された。

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7-5-2-(続)7月のナショナルデー(その2)

7-5-2-5                  エジプト

 G ブロック

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写真 サーベット駐日大使

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写真 エジプト館

古代エジプト文明以来、4000年の歴史を持つエジプト・アラブ共和国は、科学技術分野においても古代文明、イスラム科学、現代科学技術と途絶えることなく伝統を受け継いできた。科学万博においては、これらの、エジプト科学の過去の業績と現在の試みが奏でるハーモニーを印象付けることが基本構想であった。

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写真 展示

古代文明は、「猫の女神ベテスト」の像(BC2000年頃)、ネフェルタリ王妃のレリーフ(BCl300年頃)等、古代の王や王妃の墓から出土したレリーフ、像のレプリカ5点が展示された。

イスラムと科学では、総数56点の文化的・歴史的遺産が、日本で初めて公開された。特に医学分野の展示品で、薬品保存用の小型(高さ70㎜)ガラス容器、目に薬を塗るための機器、粉薬の分量を量るスプーン、喉の治療用の器具など、改めてイスラム文化の高い達成が注目された。

現代については、人工衛星「ランドサット」から送られてくる地表の情報と映像。これを地下資源の発見に活用しようとする状況がパネルで紹介された。

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写真 「オム・カルツーム・オーケストラ」

4月13日の開館式には、モハメド・マーヘル・アバサ電力エネルギー大臣がテープカット。7月11日のナショナルデーは、モハメド・サミ・マフムード・サーベット駐日大使夫妻の臨席の下に開催され、「オム・カルツーム・オーケストラ」によるアラビア音楽の演奏が披露された。

7-5-2-6  ジャマイカ

  A ブロック

7526

写真 セアガ首相

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写真 ジャマイカ館展示

ジャマイカは、カリブ海の中で3番目に大きな島で、白く美しい砂浜を持ち、「太陽の島」とも呼ばれちる。この美しい国土とそこに生活する人びと、文化、産物、手工芸技術を紹介することが科学万博への参加目的であった。

最初に、ジャマイカの人びとの生活ぶりが紹介され、ジャマイカが生んだ音楽「レゲエ」のスターたちによるライブ演奏が上映された。

パビリオン中心部は、国木マホからつくられた3本の人工樹に小鳥の彫刻がとまり、それが両側の壁に貼られた鏡に映えて、あたかも小さな森の雰囲気であった。

「森」の中には、ジャマイカの典型的な田舎家が建てられ、伝統的な細工がほどこされていた。これは展示ブースとして使われ、手工芸品のほか、チョコレート、手巻きの葉巻、ラム、リキュール、ブルーマウンテン・コーヒーなどジャマイカの名産品が紹介された。

ジャマイカのナショナルデーは、7月17日であった。当日は、エドワードP.G.セアガ首相をエキスポプラザに迎えて式典を開催した後、映画「マイ・カントリー・ジャマイカ」のほか「ジャマイカ・ビート」「ボブ・マレー・ライブ・イン・サンタクララ」の2本のビデオを上映した。

7-5-2-7  ブルネイ・ダルサラーム

  G ブロック

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写真 ラーマン開発大臣

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写真 ブルネイ・ダルサラーム館

ブルネイ・ダルサラーム国は1984(昭和59)年にイギリスから独立したばかりの、科学万博の参加国中で最も若い国であった。ボルネオ島北西部に位置し、石油、天然ガスといった資源に恵まれた、個人平均所得でみると世界でも有数の豊かな国である。

科学万博の展示は、新生国の歴史、文化、産業等を紹介することに主眼を置いたものであった。

まず、ハッサナルボルキア現国王陛下を中心に、歴史、人びと、政治体制、社会等の紹介、名物の水上村の風景を写した写真パネルなどが展示された。

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写真 展示

次に、「ヌルル・イマン新宮殿」の玉座、首都バンダル・セリ・ベガワンが写真で紹介されていた。また、束南アジアで一番美しいといわれる有名なモスク(回教寺院)「オマール・アリ・サイフディン寺院」の壮麗な空中撮影写真は、観客に強い印象を与えた。

続いて、金・銀細工品、手織りのかごなど、伝統的な工芸品を紹介。館内中央には、パイプいすを備えた「映像コーナー」が設けられ、スライドで紹介される新生国の横顔をくつろぎながら見ることができた。

最後の産業紹介コーナーでは、海底油田での原油掘削に活躍している「ハーベイH.ワード号」の模型、ブルネイ液化天然ガスプラントの簡略図等が展示され、豊かさを支える基幹産業がわかりやすく紹介された。

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写真 文化青年スポーツ省派遣舞踊団

ブルネイ・ダルサラーム国のナショナルデーは、7月19日であった。当日は、エキスポプラザにペヒン・ラーマン開発大臣夫妻を迎えて式典が開催された。アトラクションでは、同国文化青年スポーツ省から派遣された舞踊団、文化使節団が歌、武術のほか、古式ゆかしい雰囲気を持つ民俗舞踊を披露した。また、ブルネイ・ダルサラームを紹介する映画「ジス・イズ・マイ・カントリー/ブルネイ・ダルサラーム国」も併せて上映された。

7-5-2-8  キリバス

  F ブロック  南太平洋館

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写真 アロバティ貿易・産業・労働大臣

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写真 キリバス展示

キリバスの国土面積は、684 K㎡。気温は通常30℃前後。独立後6年を経た若い国キリバスは、かつてはリン鉱石が基幹産業、最近では海底マンガンの埋蔵が確認された地下資源に恵まれた国である。カツオ、マグロ等の水産物も有名である。また、ココナツからつくられる石鹸製造用のコプラが最大の輸出品目となっている。

科学万博の展示では、マンガンをはじめとする鉱物資源等の紹介に力を入れた。

「分野別民族科学」ゾーンに展示された、伝統的な遠洋航海用カヌーは、高速安定性に優れた横木付きのアウトリガー式のもので、民族の英知の深さを思わせるものであった。

キリバス共和国のナショナルデーは、7月23日であった。

当日は、アカ・ティーウェ・アロバティ貿易・産業・労働大臣をエキスポプラザに迎えて式典が開催された。

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2007年5月18日 (金)

7-5-2(1) 7月のナショナルデー

7-5-2-1        ベリーズ館

A ブロック

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写真 アラゴン健康・労働・スポーツ大臣

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写真 ベリーズ館展示 

中南米ユカタン半島のつけねに位置し、カリブ海に面する国ベリーズは、1981年にイギリスから独立したばかりの若い国である。国土のほとんどを占める人跡未踏の熱帯林は、マヤ文明の発祥地の1つとされ、遺跡の数は600以上、いまなお20以上の遺跡が未調査のまま残されている。今回の出展においても、天文学など高度な文化を誇ったマヤ文明と、サンゴ礁に囲まれた南国の自然を紹介することを基本構想とした。

貴重なマヤの石碑からとった拓本の1つは、ベリーズ北部のラマナイで1983年に発見されたもので、7世紀のこの地の支配者「ロード・スモーキング・シェル」の像を石に刻み込んだもの。当時の支配者の華やかな衣装と、輩翠製と思われる豪華な装飾品が観客のため息を誘った。

拓本のほかに、美しく彩色された陶器、弱翠の装飾品、石斧、石槍、石のかみそり、香炉等のマヤ文明の遺品が数多く展示された。

また、黒檀の彫刻、水牛の角でつくられた鳥の置物、マホガニーの壁掛け等、現代ベリーズの手工芸品も紹介された。

ベリーズのナショナルデーは7月3日であった。エキスポプラザで行われた式典では、エロディオ・アラゴン健康・労働・スポーツ大臣があいさつを述べられ、茨城県結城市の「ひかり幼稚園」園児、同県勝田市の「日本郷土芸能協会茨城県連合会」会員の友情出演によるアトラクションも開催された。

7-5-2-2 アメリカ館

A ブロック

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写真 マンスフィールド駐日大使

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写真 アメリカ館と「光の噴水」

アメリカ合衆国は、人類にとって途方もなく大きな可能性を秘めた分野「人工知能(AI)の研究・開発」を科学万博への出展テーマに選び、アメリカがこの分野で行ってきた研究・開発の歴史、成果、意義等をわかりやすく伝えることを出展の目標とした。

アメリカ館は、「テーマ館」「シアター」「企業館」の3つのゾーンから構成された。映像、実物、ゲーム、概念模型等、多角的な展示手法を駆使して、人工知能の世界を繰り広げることとなった。この結果、アメリカの出展規模は展示面積5,473m2と、単独の海外出展中最大のものとなった。

<テーマ館〉人工知能の研究・開発の歴史、意義、成果、将来像等を紹介する「テーマ館」は以下の11コーナーで構成された。

テーマ館入口前の円形広場には、高さ6m、10層から成るモニュメント「光の噴水」が設置された。このモニュメントは、すべてコンピュータ部品の模型で組み立てられ、アメリカ館のハイテク・テーマのシンボルとなとなった。「人工知能への道」で、コンピュータの発展の歴史が、建物ほどもある初期コンピュータに始まり世界初のIC(集積回路)、人工知能のハードウエアに至る実物で紹介された。

大型ロボットのような「頭脳マシン」は、テーマ館の中でもひときわ目立った。このマシンは、未来の「考える機械」がどのような機能を持つかを示した模型で、ビデオ・モニター、カメラ、ロボット・アームなどを装備、ホストの指示に従って、知覚、記憶保存/取出し、在理、機能、学習等の知的機能を実演、映像と音響によるショーを繰り広げた。

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写真 人工知能の画家「アーロン」

最終コーナーは、現在実用化されている人工知能が実演を披露する「システム・デモンストレーション」コーナーであった。このコーナーは、以下の4つのサブコーナーに分かれていた。

①視覚システム……高解像度カメラを装備した2台のコボット・アームによるパズルの組立てと歯車の選別。デジタル映像処理機「VICOM」システムによる各種映像の高精細化。②音声システム……日本語の命令どおりに壱を描き、色を塗るシステムが登場。英語の発音規則を適用した「目の不自由な人向けリーディングマシン」も髪示。③遠隔操作……軌道上に来ると自動的に生命維持システムを機能させ続ける宇宙ステーションの模型を展示。④エキスパート・システム……「エキスパート・システム」とは、ある分野で高い能力を持ったエキスパートの知識・技術を機械的に再現し、与えられたデータに忙って応用するシステムのこと。このコーナーでは、バコック音楽やジャズの作曲と演奏、人工知能の画家「アーロン」のオリジナル画制作等の実演が披露された。

〈シアター〉「テーマ館」の隣には、ワイドな70㎜画面に人工知能に将来像を描く「シアター」が配置された。映画のタイトルは『考える』で、近未来のアメリカを舞台にしたドラマ仕立ての11分もの。人工知能が、少年期には先生、働き盛りには仕事のパートナー、そして現年には「思い出」を分かち合う話し相手として、一生にわたって人間に協力する姿を描き、人工知能の意義について改めて考え直させる内容であった。

〈企業館〉「シアター」に隣接した「企業館」には、アメリカを代表するハイテク企業4社が出展し、以下の展示を行った。

①デュポン……英仏海峡を越えた人力飛行機「ゴスマi・アルバトロス号」のレプリカ・コクピットを設置。②ポラロィド……35㎜インスタント・スライド2,000枚と42台のプロジェクターを使って、縦2m、横15mのスクリーンに写真の歴史を映し出すスライド・ショー「時の軌跡」を上映。③テキサス・インスツルメンツ……40億年の地球の歴史を凝縮し、ミクロの世界、マクロの世界を繰り広げる映像「ICワールド」を上映。④TRW……TRWの人工衛星と宇宙観測装置が録音し、地球に送信してきた「宇宙の音」を聴くコーナーを設置。

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写真 「ミス・ドリル・USA」

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写真 ルウィツキー・ダンス

アメリカ合衆国のナショナルデーは7月4日であった。当日は、マイケルJ.マンスフィールド駐日米大使をエキスポプラザに迎えて式典を開催、映画「ジス・イズ・マイ・カントリー/アメリカ合衆国」を上映した。また、7月1日~5日の間、ナショナルデー、ナショナルウィークの催し物として、「ハーバード・ラッドクリフ・オーケストラ」「東京佼成ウインド・オーケストラ」(フレデリック・フェネル指揮)「ルウィツキー・ダンス・カンパニー」「ザ・マイレ・アロハ・シンガーズ」「ミス・ドリル・USA」等がエキスポプラザ等で公演を行い、アメリカらしい陽気さで博覧会会場を盛り上げた。

7-5-2-3 イタリア館

B ブロック

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写真 ビザーニョ国防政務次官

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写真 イタリア館

イタリア館は外国展示館B-1号館(B1パビリオン)とB-4号館(B4パビリオン)の2つのパビリオンから構成されていた。

B1パビリオンでは、「住宅と環境」B4パビリオンでは、テーマに「人間生活の質を向上させるイタリアの科学技術」が掲げられた。

この2つのパビリオン展示を通して、レオナルド・ダ・ビンチ以来、数々の巨人を生んできたイタリアの科学技術の姿を紹介することが、基本構想とされた。

B1パビリオンの第1展示室では、環境と文化との調和、第2展示室のタイトルは「前進」で、自動車に代わる未来の都市交通手段として、モジュール式の乗り物、第3展示室ではコミュニケーション・システムの進歩による職場の分散、第4展示室「建築」と第5展示室「家庭生活」では、イタリアの「居住の科学」、特に、イタリアの高名な建築家イニャツィオ・ガルデッラが設計した8人用から10人用に代わる金属製食卓や、SF的な住居の模型が活題を呼んだ。

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写真 ダビンチ

B4パビリオンでは、ルネサンス期イタリアが生んだ万能の天才レオナルド・ダ・ビンチの業績の紹介にあてられた。書架台の上には、レオナルドの手稿が置かれ、そこに描かれた図のとおりに復元された飛行の機械、外輪船、自動車、グライダーをはじめとする、レオナルドの有名な発明の実物大木製模型も展示された。さらに、この巨人の業績がコンピュータに収められ、観客は、関心のある分野を選んでタッチセンサー・テレビの画面に触れると、その分野の業績を見ることができた。

このほか、「人間と時間」のコーナーの一角にイタリアの名選手として知られるフランチェスコ・モゼル選手が、1時間走行51.151kmという世界記録を樹立した時に乗った自転車が展示されていた。

「ベネチア」のコーナーには、大きなベネチアの模型が置かれ、イタリアが地盤沈下を続けるこの人類共通の文化遺産を、科学技術をフルに利用して保護に力を入れている姿を示していた。模型の上方には、ルネサンス期ベネチアの画家ブラガディンが描き、ベネチア市が市の紋章とした絵「サンマルコのライオン」が飾られ、往時「地中海の女王」として隆盛を誇ったベネチア市民の自負を表していた。また、ベネチアのグランデ運河に渡される予定のガラスの橋の模型も展示された。

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写真 スポーツ・カーの最新モデル

また、世界のカー・マニアの憧れの的、イタリア製スポーツ・カーの最新モデルの横には自動車製造ロボットが置かれ、現代イタリアのハイテク産業の一端をうかがうことができた。

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写真 「ボローニャ室内管弦楽団」

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写真 「ラ・ガイア・シェンツア劇団」

イタリア共和国のナショナルデーは、7月8日であった。当日は、トンマーゾ・ビザーニョ国防政務次官をエキスポプラザに迎えて式典が開催された。アトラクションとしては、「イ・フィルハーモニッチ・ボローニャ」(ボローニャ室内管弦楽団)によるバロック音楽の演奏、「ベルサリエーレ軍楽隊」による駆け足での金管演奏、都会派劇団「ラ・ガイア・シェンツア」公演、イタリアを紹介した映画「ジス・イズ・マイ・カントリー/イタリア共和国」の上映が行われた。また、7月7日~12日のナショナルウィークには、エキスポホール、エキスポプラザで、「ボローニャ室内管弦楽団」のコンサートや「ベルサリエーレ軍楽隊」の演奏、「ラ・ガイア・シェンツア」の公演等、バラエティーあふれるショーが繰り広げられた。

7-5-2-4 パプアニューギニア館

F ブロック

南太平洋館

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写真 マイケル・ソマレ首相

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写真 民芸品などの展示

パプアニューギニアは、グリーンランドに次いで世界"2番目に大きい島・ニューギニア島の東半分と、多くの島々から成る国で、南太平洋では、最大の島国である。中央部に海抜4,000mに達する山々のそびえるニューギア島は、沿岸部では年間を通じて温暖である。

鉱物、森林、水産等の天然資源に恵まれ、特に、国土85%を占める森林資源が豊かである。銅、木材、コプラ、えび、コーヒーなどを輸出している。科学万博の展示では、これらの天然資源の紹介が中心となった。

共同展示ゾーンを含め、木彫りを中心とする民芸品が展示されたが、各州、各民族によりさまざまな形や模様があり、見るだけでも楽しい展示であった。

また、昔ながらの手法でつくられた、環境に適応した、いかにも涼し気な伝統的住居も展示され、「各国」ゾーンではパネル展示を中心にパプアニューギニアのプロフィールが紹介された。

パプアニューギニアのナショナルデーは、7月10日であった。当日はマイケル・ソマレ首相をエキスポプラザに迎えて式典が行われ、地元茨城県の保育園、幼稚園児が友情出演でマーチングドリル演奏を披露した。

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2007年5月16日 (水)

7-4-7 6月の入場者 7-4-8

7-4-7    6月の入場者

7-4-7-1 入場者1,000万人突破

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写真 入場者1,000万人突破記念

1,000万人突破は、102日目の6月26日午前9時7分であった。この日は奇しくも天皇陛下2度目の行幸の二日目の日にあたり、二重の喜びとなった。1,000万人突破と同時に4つのゲートでは一斉にくす玉が割られ、コンパニオンの打ち鳴らすクラッカー、花吹雪の中、記念のレイが掛けられた。

74711_10001 写真 入場者1,000万人突破記念(ゲート前で準備万端)

74711_10002 写真 入場者1,000万人突破記念(報道陣もOK)

74711_10003 写真 入場者1,000万人突破記念(あなたですよ)

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写真 入場者1,000万人突破記念(バンバカバーン!)

74711_10005 写真 入場者1,000万人突破記念(晴れて入場)

1,000万人目の入場者は、認定式会場のエキスポパークのぽっかりが丘特設ステージまで電気自動車に乗って場内をパレードした。式典では、新井市彦博覧会協会事務次長のあいさつ、喜びのインタビュー、花束の贈呈、1万円分の食事券のプレゼントなどが行われた。

式典終了後、4組の方々は、出展館から優先入館の招待を受けた。

この日は、1,000万人突破を記念して一般の入場者にも、会場内の店舗と乗り物の割引券プレゼント、花のプレゼントなどを行った。また、午後7時30分から花火1,000発が打ち上げられる記念花火大会が開催された。

各ゲートの1,000万人目の入場者。北:楠めぐみさん(東京都世田谷区)、東:広畑玲子さん(埼玉県上福岡市)、西:小野明美さん(茨城県土浦市)、南:崎田ひとみさん(東京都文京区)。

7471 写真 ふれあいパレードFXPO‘85

74711000 写真 「まもなく1,OOO万人一花自動車パレード」

これに先立ち、6月16日には、あと半年の「ふれあいパレードFXPO‘85」や、1,000万人突破の前日、6月25日午後6時から「まもなく1,OOO万人一花自動車パレード」など、協会コンパニオンを中心に、各種のイベントが華やかに繰り広げられた。

7-4-7-2  6月の入場者

 6月の入場者は、梅雨という悪条件にあったにも関わらず、想定以上の数字を示し、協会関係者を喜ばせた。

 一般的にイベントというと、5月、7月という恵まれた観光シーズンの狭間にあって、6月の観客動員は大変と考えられていた。しかし、現実には、毎日大勢の観客の来場を見、杞憂であったことがわかった。

 5月31日現在で、入場者累計7,008,873人(予測値 7,152,000人)であったが、6月に入って旅行会社経由の団体客が、ウイークデーでも、雨天の日でも来場してくれたので、6月26日には、10,000,000万人達成(予測:7月2日)のイベントを行うことができ、6月30日には、入場者累計 10,331,366人(予測値 9,884,100人)と予測を 50万人以上もオーバーするにいたった。

 これもすべての関係者の努力の賜物ということであろう。

 しかし、7月はこの反動も考えられ、ハイシーズン故に、観客が海、山、海外に向いてしまうことも大いに考えさせられることで、今後も一段と努力を続けることが求められた。

7-4-8  英気を養う政府館

 会期も半分を過ぎて、これからの本番を前に、協会、民間館と同様、政府館も観客との接点で健闘しているコンパニオ、インストラクターの気力・体力の維持にいろいろと腐心してきた。ディズニーランドで英気を養うなど、各館それぞれ工夫をこらしていた。

 

748_1 写真 ゴルフ

政府館全体としても、小さなことの積み重ねで、精神的、肉体的な健康の管理を考え、コンパニオンたちの希望を受けて、テニス大会とかゴルフ教室とか試みられていた。

 

748_2 写真 松代にて

家を離れて久しく、家庭料理を忘れたというコンパニオンのために、松代の総館長宅にも数回にわたり、ご招待したが、我が家の料理が大変喜ばれ、食べ残しの料理を全部三郷の仲間に持ち帰ってくれたのには感激した。

 

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写真 陶芸教室

 

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写真 バーベキュー

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 写真 濱田先生を囲んで(朝のお茶をいただいて) 

宇宙の子を作ってくださった濱田先生のお宅では、何度も陶芸教室を開いていただき、バーベキューをご馳走になったようであるが、総館長も一度うかがわせていただいた。作法も知らないものにとっても、翌朝のお茶のおいしさだけは忘れられない。

 バーベキューの後の試胆会でお化けの役を託され、いつまでたってもコンパニオンが現れないので、お化けのほうが寒気がしてきたのはまったくの計算外であったが、いまでも懐かしい一こまであった。

 ディスコナイトの一晩のことは、いつものようにコンパニオンの日記を転載させてもらう。

ディスコナイトat JOYPACK

6月27日

今夜はサマーフェスティバル前夜祭。例によってお祭り大好きの福島総館長を旗頭に、乗りに乗りまくった大ディスコ大会! 政府館関係者が大集合して、科学万博始まって以来の大パーティ。ミラーボールにレーザー光線飛び交う中で踊る、踊る。警備も、保全も、事務局も、皆、歳を忘れてはしゃぐ。やっぱりストレスたまってるのね、誰しも。

コンパニオンたる者ふだんから化粧が濃いけど、さらに上塗り。そして、突然のジャンケン大会。あれよあれよと人数が減っての決勝戦。見ると、な、なんとわがエキスポセンターの警備のおじさまじゃありませんか。皆の大きな声援にこたえての堂々の優勝(実はこのおじさま三回戦あたりからチョキしか出していないという、すごい事実があるにもかかわらず優勝した)。とにかく万歳〃今夜もエキスポセンター一同おおいに盛り上がり、総館長のホッペに感謝のチュ〃をプレゼントして帰りのバスに乗り込みました。

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2007年5月15日 (火)

7-4-6 歴史館デザイン大賞三冠受賞

7-4-6-1 ディスプレイ大賞

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写真 歴史館正面夜景

博覧会・博物館・ショーウインドウなどのデザインの1985年度の日本一が決まった。6月6、7日の両日、ディスプレイデザイン年賞‘85(日本ディスプレイデザイン協会主催・朝日新聞社後援)の審査会が行われ、ディスプレイデザイン最優秀賞(副賞・朝日新聞社賞)に科学万博会場のわが政府館の「歴史館」が選ばれた。

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写真 受賞記念テレホンカード

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写真 NEC&Cパビリオン観客がつくる宇宙空間アドベ ンチャーストーリー

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写真 日本IBM映像

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写真 エキスポセンター「風で動く時計」

科学万博の展示は全体的に優れた評価を得、「NEC・C&Cパビリオン」「日本アイ・ビー・エム」の2館がディスプレイデザイン優秀賞を、「つくばエキスポセンター」が奨励賞を獲得している。全体では優秀賞や奨励賞として20作品が入賞。これらの中から選ばれる通産大臣賞及び、ディスプレイ産業大賞(社団法人日本ディスプレィ業団体連合会主催)のいずれも「歴史館」が獲得して、初のディスプレイ三冠王に輝いた。

年賞‘85の審査結果について、日本ディスプレイデザイン協会理事長松本次郎氏(審査員)は次のように語っている。「例年より応募作品も増えて、優れた作品が多かつた。全体のデザインのレベルもいちだんと高くなり、数年前なら入賞候補かも知れない作品が今年は落選しているほどだ。最優秀賞の歴史館は満票に近い決定ですばらしい。いま、日本のディスプレイデザインは世界中から注目されている」

(参考)

ディスプレイデザイン年賞'85入賞作品

最優秀賞(副賞-朝日新聞社賞):1点

◎科学万博「歴史館」(日本政府出展)

優秀賞-10点

○科学万博「NEC`C&Cパビリオン」

○科学万博「日本アイ・ビー・エム館」

○有楽町酒武百貨店環境計画

○ジャパンショップショー「三菱化成ブース」

○東京・渋谷「電力館」

○資生堂ショーウインド「冬」・「秋」

○和光ショーウインドウ「1985」

○ショップ「ステージY2(ワイッー)」

○有楽町-西武・資生堂コスメティックハウス

○横須賀・時計塔

奨励賞-10点

○スズキ・ガレージスタジオー

○科学万博「つくばエキスポセンター」

○展示イベンドサニーサイドァップ」

○浜松まつり会館

○水口町立歴史民俗資料館

○有楽町・西武ショーウインドウ「ニュー・キャリア」

○アルビオン化粧品本社ロビーディスプレイ

○銀座カネボウショーウインドウ「レモン&ピーマン」

○「グレマルミ」青山ベルコモンズ店

○コーヒーハウス「ポンパピエロット」

この年の応募作品は556点で、1984年より90点増えている。

7-4-6-1大賞受賞展示(歴史館)の紹介―展示の構成

746_1_1 写真 歴史館注連縄

歴史館では、日本の科学技術史において顕著な飛躍のみられる3つの時代、すなわち中世と近世、近代および現代を構成要素とし、それぞれの時代をテーマとする以下の3つのゾーンで構成した。

①西洋の科学技術の移入を契機に、その積極的な消化と普及のありさまを実証的に提示したAゾーン「技術と自立」

②日本の伝統的科学技術の世界を庶民文化の確立期である中世と近世に探り、技術の成熟と原型について展望したBゾーン「鉄と稲」

③日本人の創意工夫と生活思想が科学技術と結びつき、生活に根ざして様々な実りをもたらした日本の科学技術に焦点をあてたCゾーン「科学と実り」

各ゾーンの関連は「鉄と稲」の大映像ホールを中核として位置づけ、「技術と自立」はそれへの導入部、「科学と実り」はそれを受けての結構部として計画した。

具体的には全体の空間構成を線対称のU字形とし、その中央部に映像ホール「鉄と稲」を配した。さらに3つのゾーンをジョイントする空間にはタイムトンネルとして、それぞれのゾーンの時代設定を転換させる演出機能と、次に続くゾーンのオリエンテーションコアの機能をもたせた。 

746_3 写真 石見神楽の「大蛇」

特に「鉄と稲」へのジョイント部分では、屋外空間に日本の科学技術の起源を語る八岐大蛇と須佐之男命の伝説を表現したモニュメントを配置した。モニュメントと関連させてステージを設け、伝統芸能の実演など多目的に利用できるように計画した。一方、全体のU字形構成の内庭部分には、日本の科学技術を象徴する「鉄と稲」の造形物と「山と川」の造形物を設置した。

展示の展開にあたっては、それぞれの時代の特性を強く印象づけ、親しみやすく劇的な効果をねらうために、時代を入れ替えた配置を計画した。その結果、諸外国からも注目され日本人にとっても身近な歴史である明治期を中心とする近代から出発し、その成功の基盤をなした中世と近世の諸技術の成熟と生活文化を俯瞰し、再び実りをもたらした現代に立ち戻る構成とした。

ゾーン展開の手法

日本政府出展施設としての格調、展示内容にふさわしい環境演出、観客の共感を得る雰囲気の醸成、これが歴史館のゾーン展開上の主要なテーマであった。そのため、日本舞楽の伝統的演出手法である「序破急」の3つの拍子にならい、導入部「技術と自立」を調子の激しい「急」、中核部「鉄と稲」を緩やかな「破」、結構部「科学と実り」を舞手が新しい位置につく「序」と性格づけ、ゾーン展開を行った。また同時に観客に対しても、観客が自らを単なる観覧者ではなく歴史館の舞台に舞う舞手として位置づけられるよう演出などに配慮した。

それぞれのゾーンならびにそのジョイント空間の展開趣旨を以下に示す。

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写真 歴史館高柳式テレビ

◎「技術と自立」

西洋の科学技術のなかでも明治の人々に最も衝撃を与えたのは、機械の存在であった。このゾーンでは、その機械の運動・構造の迫力、重厚な素材感を効果的な照明、音響とともに、圧倒的な力動感で観客に追体験できるよう演出した。また、現代のプロダクトデザインからみて非常に素朴で力感あふれる展示物を陳列し、今日の科学技術の出発点の様相とその時代感性を感じとれるようにした。

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写真 歴史館屋久杉

◎「大地へのタイムトリップ」

「技術と自立」と「鉄と稲」を結ぶ空間に、鉄と稲の起源を象徴的に示すモニュメントを配し、次のゾーンヘのオリエンテーションコアとした。演出手法としては、屋内`屋外空間を融和させる手法を用い、観客自身が自然に過去にさかのぼれると同時に、やすらぎを感じとれるよう配慮した。

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写真 歴史館永代たたら

◎「鉄と稲」

このゾーンのテーマは、日本の伝統的科学技術の土壌である「風土から学んだ技能的感性」と、つくる技術、育てる技術の成熟である「文化に昇華した生活技術感」である。これらを象徴的に扱うため、大空間ホール中央スクリーンの両翼に展示物を配し、映像、音響、照明を総合的に駆使するなどドラマチックな環境演出を行った。この演出のねらいは、個々の展示物や映像情報では表現しきれない「技術の本質をとらえる感性」や「自然のなかに直感される科学」を総体的展示によって現出させ、観客をその空間におおらかに包みこむことにあった。

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写真 伊賀七の時計・山車からくり

◎「現代へのプレイバック」

「鉄と稲」と「科学と実り」を結ぶこのジョイント部分は、外光の差し込む明るい空間とした。ここでは、観客に伝統的工芸の実演や様々な道具と出合わせ、気持ちをリフレッシュさせながらも徐々に視点を現代へ向かわせるよう計画した。

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写真 歴史館木工道具と木組み

◎「科学と実り」

このゾーンでは、日本人の価値観、生活観を支える文化的特性から導き出される「今日の日本の科学技術の成果」と、その裏付けともいうべき「基層的文化の所産」とを、共通のキーワードのもとに造形オブジェ群として構成した。このゾーンの空間演出はギャラリー型とし、観客が開放感にひたりながら自由に知的散策を楽しめるようにした。

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写真 協調の和

最後のエピローグ空間の核として、生命のリズムの秩序正しい協調現象の原理を美しくオブジェ化し、科学技術と社会の協調を語り、そして歴史館に登場した科学、技術、人物を再構成し、「これからの知恵の歴史を築くのはあなたです」というメッセージを添えて展示をしめくくった。

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2007年5月11日 (金)

7-4-5 天皇陛下2度目の行幸

天皇陛下には会場への2度目の行幸を賜る

6月25日と26日の2日にわたって、天皇陛下の行幸を賜ることになった。ただ、時間と警護の関係などの都合もあり、全部の館をお回りいただくことができなかったことはまことに残念であったが、陛下には、かなり精力的にご視察いただいた。

1日(25日)土浦駅より政府館のエキスポセンターに直行された。

745 写真(MOST16AV) 

11:29 つくばエキスポセンター北玄関御着

御先導者・御説明者 日本政府館総館長 福島公夫

11:33 拝謁室(貴賓室)御着

拝謁

拝謁者 

科学技術庁長官 竹内黎一

国際科学技術博覧会政府代表 井川克一

国際科学技術博覧会協会会長 土光敏夫

茨城県知事 竹内藤男

茨城県議会議長 青木来三郎

11:38拝謁室(貴賓室)御発

11:41 サイエンスフォーマル御着

御視察

御説明補助者 つくばエキスポセンター館長 榊幹夫

御説明者(特別展示コーナー) 建設省国土地理院院長 金窪敏知

11:48 サイエンスフォーマル御発

11:55 コズミックホール御着

御視察

12:09 コズミックホール御発

第一ホテルで御昼食

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写真 INSホール

14:32 でんでんINS館INSプラザ正面御着

御先導者 日本電信電話株式会社代表取締役社長 真藤恒

14:34 INSストリート御着

御視察

御説明者 日本電信電話株式会社・国際科学技術博覧会運営本部長 本間雅雄

御説明補助者 でんでんINS館館長 飯村治

14:42 INSビレッジ御着

御視察

14:46 INSビレッジ御発

14:50 INSホール御着

御視察

15:00 INSホール御発

15:02 でんでんINS館INSプラザ正面御発

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写真 EC館

15:05 EC館御着

お出迎え 在京委員会代表 ロレンス・ヤン・ブリンクホスト 

     EXPO‘85委員会代表 ウオルフガング・エルンスト

御先導者・御説明者 EXPO‘85委員会代表 ウオルフガング・エルンスト

15:06 展示室御着 

御視察

15:24 展示室御発

15:25 EC館御発

お見送り 在京委員会代表、EXPO‘85委員会代表

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写真 英国館(油田開発)

15:28 英国館御着

お出迎え 在京大使 サー・シドニー・ジィファード 

     政府代表(在京公使) ブライアン・ヒッチ夫妻

御先導者・御説明者 政府代表(在京公使) ブライアン・ヒッチ

15:30展示室御着

御視察

御説明補助者 政府代表代理 クライブ・ブラッドレー

15:52 展示室御発

15:53 英国館館御発

お見送り在京大使、政府代表

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写真 ベルギー館(ダイヤモンド加工)

15:54 ベルギー館御着

お出迎え 政府代表 ジョセフ・シャブール

     在京大使 ジョン・ベルウィルゲン夫妻

御先導者・御説明者 政府代表 ジョセフ・シャブール

15:55展示室御着

御視察

御説明補助者 政府代表顧問 ミヤ・デュケ

16:10 展示室御発

16:11 ベルギー庭園御着

御視察

16:13 ベルギー庭園御発

ベルギー館御発

16:14 お見送り 政府代表、在京大使

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写真 鉄鋼館映写ホール映像

16:18 鉄鋼館御着

御先導者・御説明者 社団法人日本鉄鋼連盟会長 武田豊

16:19 ロビー入り口御着

16:22 映写ホール御着

御視察

16:39 映写ホール御発

16:40 展示ホール御着

御視察

御説明補助者 社団法人日本鉄鋼連盟副会長 八木康浩

16:46展示ホール御発

16:47ゲスト入り口御発

16:48 鉄鋼館御発

お泊所(筑波第一ホテル)

2日(26日)

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写真 HSST車内

9:32 HSST駅舎御着

御先導者 日本航空株式会社代表取締役社長 高木養根

9:33 HSST駅舎展示コーナー御着

御視察

御説明者 日本航空株式会社顧問・科学万博エイチエスエスティ共同企業体運営委員長 野田親則

9:43 HSST御乗車

御視察

9:50 HSST御降者車(駅舎)

9:51 HSST 走行路脇御着

御視察

9:57 HSST 走行路脇御発

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写真 アメリカ館

10:01 アメリカ館御着

お出迎え 政府代表 ジェームス・ジョセフ・ニーダム

御先導者 政府代表 ジェームス・ジョセフ・ニーダム

10:03 テーマ館御着

御視察

御説明者 広報担当補佐官 フミ・ファウエルズ

10:27 テーマ館御発

10:29 御休憩室(会議室)御着

御少憩

15:55 御休憩室(会議室)御発

10:41 アメリカ館御発

お見送り 政府代表

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写真 電力館探査艇

10:01 電力館御着

御先導者 電気事業連合会会長 小林庄一郎

10:49 探査艇乗り場御着

御視察

御説明者 電力館館長 加納時男

探査艇御利用

11:04 探査艇降り場御着

11:06 御休憩室(貴賓室)御着

御少憩

11:16 御休憩室(貴賓室)御発

11:19 エピローグ展示場御着

御視察

11:25 エピローグ展示場御発

11:26 電力館電力館

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写真 南太平洋館内部展示

11:28南太平洋館御着

お出迎え パプア・ニューギニア:政府代表(在京大使)ジョセフ・カール・ノンブリ夫妻

     フィージー     :政府代表(在京大使)ジョセフ・ディビット・ギプソン夫妻

     ナウル共和国    :政府代表(在京領事)ニコデマス・ビリアム夫妻

     西サモア      :政府代表 渡辺武次郎

     キリバス共和国   :政府代表代行 石田克

     ツバル       :政府代表代行 石田克

     トンガ王国     :政府代表代行 石田克

     ソロモン諸島    :政府代表代行 石田克

     バヌアツ共和国   :政府代表代行 石田克

御先導者 南太平洋館館長 石田博英

11:31展示室御着

御視察

御説明者 南太平洋館監修者(東海大学教授) 茂在寅男

11:47 展示室場御発

11:48 南太平洋館御発

お見送り 在京大使、政府代表

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写真 アフリカ館展示室

11:50アフリカ館御着

お出迎え セネガル共和国   :政府代表(在京大使)ケバ・ビラン・シセ夫妻

     ザンビア共和国   :政府代表(在京大使)アクソン・チベカ・チャリクリマ夫妻

     ケニア共和国    :政府代表(在京領事)フィリップ・ギチュル・ギトンガ

     象牙海岸共和国   :政府代表代理 ズマナ・ワタラ

御先導者・御説明者 アフリカ館館長 福永英二

11:53 展示室御着

御視察

12:08 展示室場御発

12:10 アフリカ館御発

お見送り 在京大使、政府代表

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写真 ソ連館ソユーズ

12:12ソ連館御着

お出迎え 在京大使 ビオトル・アンドレビッチ・アブラシモフ

     政府代表 ニコライ・ドミトリェビッチ・フィリボフ

御先導者 政府代表 ニコライ・ドミトリェビッチ・フィリボフ

11:53 展示室御着

御視察

御説明者 ソ連館館員 スヴィァトスラフ・ネヴェロフ

12:08 展示室場御発

12:10 ソ連館御発

お見送り 在京大使、政府代表

12:45 迎賓館御着

御先導者 国際科学技術博覧会協会事務総長 伊原義徳

12:47 御座所御着

御昼食・御休憩

14:13 御座所御発

14:15 御発御発

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写真 大韓民国館展示

14:18大韓民国館御着

お出迎え 在京大使 崔慶禄

     政府代表(在京公使)李祺周

御先導者・御説明者 大韓民国館館長 呉世圭

14:18 展示室御着

御視察

14:31 展示室場御発

14:32 多面映像館御着

御視察

御説明者 社団法人韓国舞踊協会理事長 姜善泳

14:41 多面映像館御発

14:43 大韓民国館御発

お見送り 在京大使、政府代表

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写真 みどり館(ホロンシアター)

14:45 みどり館総面御着

御先導者 つくばみどり会理事長 永田敬生

14:47 ホロンシアター御着

御視察

御説明者 つくばみどり会総合プロデューサー 安田益一

14:47 ホロンシアター御発

15:01 バイオテクノドーム御着

御視察

御説明補助者 慶応義塾大学名誉教授 渡辺格

御説明補助者 筑波大学教授 原田宏

15:17 バイオテクノドーム御発

15:18 御休憩室(貴賓室)御着

御少憩

15:23 御休憩室(貴賓室)御発

15:25 みどり館総面御発

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写真 タイ館展示

15:27 タイ館御着

お出迎え 在京大使 ヴィチェン・ワタナクン

     政府代表 サンガ・サッパスィー

御先導者 在京大使 ヴィチェン・ワタナクン

15:29 展示室御着

御視察

御説明者  政府代表 サンガ・サッパスィー

15:45 展示室場御発

15:47 タイ館御発

お見送り 在京大使、政府代表

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写真 中国館展示(垂花門)

15:49 中国館御着

お出迎え 在京大使 宋之光

御先導者 御説明者 中国館副館長 鐘敏

15:51 展示室御着

御視察

16:12 展示室場御発

15:47 中国館御発

お見送り 在京大使

この後、お泊所の筑波第一ホテルに向かわれた。

 

     

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2007年5月10日 (木)

7-4-4 HSST バンクーバー博(1986)へ出展

7-4-4  HSSTバンクーバー博(1986)へ出展

7-4-4-1 HSST-EXPO'85

つくば博の計画当初から、未来の高速鉄道として話題に乗っていたものであるが、当時磁気浮上鉄道の技術は、極低温における超伝導技術を利用する方式と、常温で運転する常伝導技術が競合しており、協会の施設として建設するには、その選択は大変困難であった。

結局は、これを建設する資金の調達可能な方式を採用することに決められた。

会場内Aブロック隣接地に、博覧会協会の事業として設置・運行されることになったが、ここでもうひとつ問題があった。

つくば博の計画をBIEに持ち込んだとき、カナダのバンクーバーも1985年頃、交通博覧会の計画を持っていた。実現性については白紙に近い状態であったが、つくば博を支持するために、バンクーバーは1年ずらして1986年開催にしよう、その代わりに交通に関する展示はご遠慮いただきたい、ということであった。

しかし、協会としては、磁気浮上鉄道は大きな目玉の一つになるので、何とか実現を目指したい、ということで、カナダ側と折衝した結果、つくばで出展した磁気浮上車を、翌年のバンクーバーにも出展するということで、妥協がまとまった。

採用された磁気浮上車は日本航空が中心となって開発されたHSST (High Speed Surface Transportの略称;高速地表輸送機関)であり、その概要は科学万博HSST共同企業体(日本航空株式会社、住友電気工業株式会社)のパンフレットに述べられている。

HSST-EXPO'85(パンフレット)

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写真 会場を走るHSST-EXPO'85

日本航空が昭和49年より開発を進めてきたHSST3号機(HSST-EXPO'85))が、皆様の前に登場いたします。

HSST(常電導磁気浮上システム)とは、電磁石で1cm程浮き上がり、リニアモーターで前進する、いわば"空飛ぶじゅうたん"のような乗り物で、国際科学技術博覧会協会の事業として設置運行されています。航空技術をふんだんに応用した「HSST-EXPO'85」号は、長さ13.8m、巾2.95m、高さ3m、重さ約12トンと軽量で、座席が48席あります。この「HSST-EXPO'85」号が、「科学万博一つくば'85」会場内の約350mの軌道の上を、皆様をお乗せして、浮上して走ります。

日本航空は、これまで2機のHSSTを製作し、いろいろな実験を積み重ねてきました。最初のHSSTであるHSST1号機は、無人機で、高速性をテストするために作られました。

HSST l号機は、昭和532月に時速307.8㎞の高速走行に成功し、所期の成果をおさめることができました。また、HSST 2号機は有人機、8座席で、乗り心地等をテストするために作られました。HSST 2号機には、昭和563月の実験終了までに、3,000名以上のお客様にご試乗いただき、HSSTの乗り心地の良さが十分に実証されました。

それでは、HSSTは一体どのようにして浮いて、どのようにして走るのでしょうか?

まず、浮く原理(浮上の原理)ですが、逆U字型のレールに、U字型の電磁石が吸いつこうとする吸引力を利用して浮き上がります。吸いついてしまっては進めませんので、吸いつきそうになった時、レールとの間のすきまを常時監視しているギャップセンサーの信号を基にコンピユーターが働き、電流を減らします。電流を減らすと、レールから離れようとしますので、今度はコンピューターか電流を増やすように働きます。これを繰り返すことにより、約1Cmの間隔を保ちます。

また、横方向へのずれに対しては(横方向案内)、この磁石に元に戻ろうとする自然の復元力があるので、問題はありません。一方、前に進む原理(推進の原理)ですが、円形モーターを切り開いて、一直線状にした、リニアモーターで前進します。

*HSST I号機、2号機は、上野の国立科学博物館に寄贈され、展示されています。〉

HSSTは浮いて走りますので、レールとの接触がありません。従って、騒音、公害が殆どなく、保守整備が非常に軽減されます。また、電力の消費量は、高速走行になればなる程、車輪方式にくらべ、省エネ効果か増大します。このようにHSSTは、低公害性、整備性等にすぐれた乗り物で、中低速から高速まで幅広い応用が期待されています。

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1図 HSST走行位置

「科学万博一つくば'85」で運行される「HSST-EXPO'85」号の技術的な最大の特徴は、モジュール方式を採用した点にあります。「モジュール」とは、電磁石とリニアモーターを一つにまとめたもので、モジュール方式を採用したことにより、

1.磁気的な抵抗が小さくなり、高速走行にも適する。

2.運動性が向上し、凸凹やカーブのある軌道をスムーズに走行できる。

3.車体の重量を、車体の全長にわたって均等に支えることができるため、車体及び軌道が軽くなる。

等の特徴があります。

過去の万博の歴史を見ますと、常に、その時代、時代を先取りした先端技術が紹介されています。「科学万博一つくば'85」で、低公害性、整備性にすぐれ、幅広い応用の可能な乗り物「HSST」が、皆様をお乗せして走ることは、明日の交通を考えるうえで大きな意義があると考えられます。

 なお、会期中の運行実績は、626日天皇陛下御一行および713日ボードワン・ベルギー国王陛下御一行の特別便を除き、総便数13,220便、総利用者数611,068人に及んだ。

7-4-4-2  バンクーバー博(1986)出展のセレモニー

 

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写真 パトリック事務総長と代表団(会場模型を前に)

 カナダ‐バンクーバーの交通万博(198652日~1013)は、会場建設が順調に進んでいたが、いよいよHSSTの建設に着手することになり、621日、着工式の挙行となった。そのため、協会から筆者を代表として、協会職員ならびに日本航空の関係者総計5名の代表団を送った。代表団のコンパニオンの一人はカナダ人が含まれていた。

 EXPO'86はこのHSSTの出展に対して、大変な感謝と期待を抱いており、お陰で代表団に対する接遇は、超BIP級であった。

 式典は日本からの出展ということで、神道式地鎮祭(Shinto Groundbreaking Ceremony)が行われた。カナダでは珍しいことのようで、ジャーナリズムを始め、沢山の観客が詰め掛けた。

つくば博が9月に終了し、すぐ撤去作業が行われたとしても、翌年5月のEXPO'86の開場までに移転し、試運転も済ますというスケデュールは大変忙しいが、日本航空も博覧会事務局も自信満々のようすであった。

 

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写真 バンクーバー「つくば会」寄書き

このセレモニーに参加させてもらえたことがきっかけとなって、翌年、EXPO'86の参観が実現したが、そのとき、つくばのコンパニオンでEXPO'86でもコンパニオンとして働いていた「つくば会」の面々10数名、政府館、協会、三井館、健康・スポーツ館、電力館、三菱未来館、中国館、英国館・・・との再会、懐かしい交流の記念として、カナダ国旗に記された寄書きは、いまでも大切なメモリーとして大切にしまってある。

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2007年5月 9日 (水)

7-4-2 (続き)6月のナショナルデー(その2)

7    7-4-2-5           ソロモン

 F ブロック 南太平洋館

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写真 トバ外務大臣

ソロモン諸島は、ガダルカナルを中心に、100近くの島々から構成されている。基幹産業は、農業、漁業、林業の3部門であり、農業部門で最も重要な農産物はコプラの原料となるココナツだが、オイルバーム、米、カカオ、タバコなどの栽培も行われている。また、林業では、パルプ用材の試験植林など、積極的な試みが続けられている。

科学万博では、展示を通して伝統と開発の調和を示すことが、基本構想であった。

昔ながらの手法でつくられた家屋と現在新しく建設されている家屋等の、伝統と現代を比べるスケッチや、カヌーの写真やスケッチも展示された。また、樹皮からつくられた布地タパや手づくりの素朴な仮面といった民芸品も展示され、「先人の知恵を見直し、新たなる発展を」目指す姿が紹介された。

ソロモン諸島のナショナルデーは67日であった。当日は、エキスポプラザにポール・トバ外務大臣夫妻を迎えて式典が開催された。

   7-4-2-6 フィリピン

    (G ブロック)         7426            

    

    

      

       写真 バルデス中日大使

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   写真 フィリピン館

   7,000を超える島々から成るフィリピン共和国は、肥沃な土地と温暖な気候に恵まれ、多くの天然素材を産出する国である。科学万博の展示では、豊かな天然素材と長い歴史に育まれた、そのむだのない加工法を紹介し、先進国の先端技術とは異なる技術もあることを訴えた。   館内に実物展示された原材料は、ココナツ、アバカ()、竹、パイナップル・ファイバー、ラタン()等、多彩をきわめ、その加工法はパネルや館内のビデオ・モニターで紹介された。

  籐細工と竹細工製品で、太い籐を豚皮でつないだものや、手織りでつくられる竹細工のかご類はフィリピン名産の1つでもある。さらに、パイナップルやバナナの皮でつくられた繊維・布、マニラ麻でつくられた麻製品が展示された。

  幹からは家具、葉からは財布やバスケット、果実からはジュースや油、タバコのチャコール・フィルター等をつくる様子が展示され、長い伝統に培われたむだのない利用技術をあますところなく伝えていた。カピス貝などの貝がらが加工されてつくられた照明器具のシェード、ウィッカー(籐の若木)で編まれたいす等も、その美しいでき栄えで人気を集めた。

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   写真 民俗楽器アンサンブル「ロンダリア」

   フィリピン共和国のナショナルデーは613日であった。当日は、カルロスJ.バルデス駐日フィリピン大使夫妻をエキスポプラザに迎えて式典を開催した。その後、アトラクションとして、南国ムードいっぱいの民俗楽器アンサンブル「ロンダリア」の出演により、弦楽器を中心にしたアンサンブル演奏でフィリピン民謡が披露された。

  

  7-4-2-7 ドミニカ

  (A ブロック)

      7427      

  

   

 

  

    写真 ゲレロ大蔵大臣 

  

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    写真 ドミニカ館 

   カリブ海に浮かぶ「熱帯の楽園」ドミニカ共和国は、インディオ、アフリカ人、フランス人、スペイン人など多民族によって、独特の文化が築かれてきた、カリブ海諸国の中でもひときわ穏やかな気候に恵まれた国である。  科学万博においては、芸術、環境、農産物、工業資源等の幅広い展示を通して、ドミニカの姿を世界の人びとに紹介することが基本構想とされた。

入口前のコーナーには、サント・ドミンゴ島の最初の住人であり、コロンブスが漂着する以前に絶滅したタイノー・インディアンの彫刻と焼き物が展示され、ドミニカ芸術の高い水準を象徴していた。また、手工芸品、面・帽子とセットになった真紅のカーニバル衣装、純白の美しい模様が入った民俗衣装、カーニバルの写真パネルなどで、ドミニカの民俗文化が紹介された。 さらに、首都サントドミンゴの国立美術館から持って来た絵も展示された。これらの絵は、ポール・ギラディセリの「雄牛」をはじめ、全部で6点。いずれも、ドミニカの現代絵画を代表する作品であった。               館内奥には、鳥やイグアナのはく製等が展示され、美しい花々とともにドミニカの豊かな自然を紹介していた。號珀、ガーネット、大理石等の鉱物資源や、珍しいコーヒー豆のバニ、シバオ、葉巻等の農産物など、主要輸出品目も並べられ、鉱石採掘工場の模型、発電所、製紙工場の写真パネル等と併せて、ドミニカの今日の姿を伝えることをねらっていた。海外投資等の豊富な資料で構成された経済のコーナーも設けられた。            さらに即売コーナーでは、コーヒーやカリブ料理も味わえ、ドミニカの雰囲気が満喫できた。

  617日、エキスポプラザでドミニカ共和国のナショナルデー式典が行われ、マヌエル・ココ・ゲレロ大蔵大臣があいさつを述べた。当日は、ドミニカの観光、産業、文化等を網羅した「ドミニカ共和国紹介ビデオ」も上映された。

  

 

  7-4-2-8 オーストラリア

   (B ブロック)

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   写真 バトン商工技術大臣 

    

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   写真 オーストラリア館