筑波への道 第2部 科学随想
2-01(08-08-25) サラエボの空に想うー幸運を持ったつくば科学万博
今年(1984)の東京はまったく雪国のようだった。せっかくの日曜日も緑に親しむ楽しみを雪に拒まれて、ほとんどこたつでごろごろということになってしまった。おかげでずいぶんテレビのお世話になった。サラエボのオリンピックもじっくり見ることができた。
スキーのジャンプ競技はいつ見てもすばらしい。豪快で、男性的で、そしていつもはらはらの連続である。わずか2枚の板を翼がわりに100mも空中を飛ぶ姿は芸術的な美しさすら感じさせる。こればかりは絶対に女性が割込むことのできないスポーツではなかろうか。 まるで鳥のようなニッカネンとバイスフロクのはなやかな戦いのかたわらで日本選手の不調が残念であった。12年前の札幌オリンピックでの日の丸飛行隊の活躍はまだ瞼にやきついている。70m級ジャンプで笠谷、金野、青地の3選手によって掲げられた3本の日の丸は今でも感激を想い起こさせる。
そういえば札幌は6年程前に、夢よいま一度ということで、1984年、つまり今年の冬季オリンピック誘致をはかり、ほとんど成功したかに見えたが、わずかの差でサラエボに逆転を許してしまい、当時は日本中がひどく落胆したものだった。
しかし、世の中は皮肉なもので、この札幌オリンピック誘致の失敗が、結果的には科学技術庁が始めた科学万博-つくば'85の実現に大いに貢献することになったのである。
当時、人間と科学技術のルネッサンスを標傍して筑波で科学万博開催を実現したいということで、最初に相談したところが建設省であったが、たまたま建設省では予定していた札幌オリンピックがだめになり、何か東京以北で国家的プロジェクトがないかと探していたところであった。つまり札幌の不幸が科学万博に幸運をもたらしたということであった。
しかもこの幸運はその後も引続き科学万博につきまとった。何度もだめになりかかったがその都度救いの手がさしのべられ、とうとうあと一年で開催というところまでこぎつけてしまった。
昭和60年9月に終る科学万博のあとを追うように飛び込んできたプロジェクトが宇宙基地計画である。レーガン大統領の今年の一般教書でこの計画を発表した。宇宙基地は地上高度約500Kmの地球周回軌道上に作られる恒久的な有人基地で、居住部、実験郡、貯蔵部、太陽電池板等から成り、当初6人から8人の乗員を予定している。このためのNASAの所要経費は約2兆円とされている。
レーガン大統領によればこの計画は、10年以内に、広範な国際協力によって、かつ、産業界の参加を求めつつ推進することになっている。
先日、レーガン大統領の特使としてベッグスNASA長官が来日し、日本にも協力を呼びかけた。
日本として参加する方法は三つある。ゴルフに例えてみると第一の方法はゴルフ場の建設に参加することである。アメリカは18ホールのコースとクラブハウスや駈車場、あるいは宿泊施設も作るから、日本はせめて9ホールのコースだけ作らないかと呼びかけられているわけである。つまりゴルフ場のオーナーの一人として参加することであり、これは政府の役割であろう。もちろん日本が参加しなくても立派なゴルフ場はできることになっている。
第二の方法はゴルフ場の会員になる方法である。クラブハウス等共通施設を建設する際に分担金を納めることになる。当然のことながら会員はプレー(施設利用)する際には優先的に、しかも、安いグリーンフィーで済むことになる。これは国の機関だけでなく、民間企業も可能である。
第三の方法はいわゆるビジターである。グリーンフィーは高いが、利用回数を考えて決めることになろう。
いずれにせよ10月からNASAにおいて予備設計が始まる。それまでに参加の意志を伝えなければならない。もちろん宇宙基地計画参加の最大の問題は資金である。国の財政事情は少しも好転していないからである。
しかし、このプロジェクトはポストエキスポプロジェクトだと思う。であるとすれば科学万博の持っている幸運もそのまま引きつぐはずである。
ニッカネンの舞うサラエボの空から筑波の空へ、そして宇宙へと私の想いはどんどん広がってしまうのである。
「翼のある風景」1984 (当時科学技術庁研究調整局長)
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