2-02 永かった科学万博ーつくば'85の開催への道のり
2-02(08-08-26) 永かった科学万博―つくば’85の開催への道のり
1 “つくば”で博覧会を
人類が科学技術によって発展して来たことを誰も疑うものはいない。科学技術によってのみ人類の未来が輝やかしいものになることを理解する人も少ななくない。
しかしながら、現実の間題として原子力による汚染のおそれや、水俣病を始めとする公害による環境の悪化、あるいは自動車事故の増大、開発による自然破壊等、生活の周囲を見廻わすと、科学技術の成果が、ほんとに人類に幸福をもたらすものなのかと疑問を訴える人も少なくない。
万事そうでうてあるように科学技術も、いわゆる光と影の二面がある。その光の面は、今日では空気と同様、当然のものと思われ、ほとんどの人が科学技術の恩恵が念頭にない。そして実際には科学技術のほんの一部のものであるが、影の面が現われたとき、ジャーナリズムも一般世論も大仰に取り上げ、まるで科学技術がすべての人類の敵であるかのようにあつかわれている。
もちろん科学技術に携さわるものも大いに反省が必要であり、それがまったく新しい最先端科学技術であればある程、世論の理解と支持を得つつ進める必要がある。→方、世論は科学技術の真の姿を理解し、人類の最良の友人として迎えなければならない。
社会の思考を大きく変えるには、よほど大きなエネルギーが必要である。そのエネルギーとして科学万博―つくば’85は発想されたものである。
もちろん、これ以外にもいくつかの理由がある。1兆円を超える莫大な投資によって誕生したすばらしい筑波研究学園都市をほんとの意味で完成させたい。そのためには東京との間の交通整備を急がなければならない。また学園都市の都心部に建設が期待されたまま放置されている国際会議場や科学博物館を実現させなければならない。宿泊施設やサービス施設の誘致もはかる必要がある。これらはいずれも莫大な資金が必要である。科学万博―つくば’85によって一気に実現させようということになったわけである。
さらに、日本の科学技術のメッカである筑波研究学園都市が、科学万博によって世界の研究学園都市として脚光をあびることによりわが国の科学技術の振興にはずみをつけることが期待できる。その外、地域開発、景気浮揚等、どの面をとっても大いに役立つものとして企画が行われたものである。
しかし、何よりも大きなきっかけは成田空港管制塔襲撃のテレビ報道である。右を向いても左を向いても暗い話が多い世の中、せめてテレビぐらいは明るい話題をと期待しているのに、このやるせない報道。世の中をもっと明るくさせたい。博覧会でもやって世間を明るくしようということになった次第である。
2 コンセプトプランの発表
昭和53年3月に発想してからわずか1年8ヶ月、昭和54年11月には科学万博―つくば’85をBIEに立候補させる閣議了解が取りつけられた。これだけを見ると極めて順調にビッグプロジェクトが誕生したと思われる。また、そう見るのが正しいのかも知れないが担当者にとっては極めて長い歳月であった。
筑波で科学万博をという話は不思議なことに反対する人が一人もいなかった。特に、国土庁、建設省に相談した時には、大いにやるべしと激励された。ちょうど札幌冬季オリンピックが意外なことにサラエボに破れたときで、東京以北のプロ"シェクトは歓迎とのことであった。そして地元の茨城県も二つ返辞で乗ってきた。これに力を得て科学技術庁では54年度新政策として科学万博を打ち出すことになり、9月22日にはそのコンセプトプラン(第一図)を発表している。今日進められている科学万博と比較してみると興味深いものがある。当時はサイエンスアンドテクノロジーが頭にかぶされて、STEXPO’85と呼ばれていた。企画の意図として次のように述べられている。
オランダのアイントフォーヘンにある科学技術の展示館「エボリュオン」は次のような美しい言葉で展示を始めている。「人類だけが、なぜ文明をもち得たのだろうか。その理由は、人類だけが自然の現象の中に秩序を見いだしその秩序を美しいと感じる能力をもった生物だからである」。科学技術の適正な活用なしでは人類の明日はない。科学技術の思想は歴史の相異、文化の壁をこえて全世界の人類に共通する価値基準、共通の理解をもたらす可能性を秘めている。また、科学技術の思考は環境に対する正確な理解、人間生活と自然との関係について誤りのない判断を教えてくれる。それゆえに明るい未来展望を求めている一つの手がかりとしてSTEXPO’85を提案する。STEXPO’85はすべての人たちに、身近な現象、手近かな世界を通じて、科学技術の世界をわかりやすく、輿味深く理解させる。宇宙を時空を超えて貫ぬく原理へと、観客を導びいてくれることだろう。時あたかも1985年はハレー大彗星の接近により世界的に宇宙・科学技術について関心が高まることだろう。また、世界最高.最大の科学都市の一つ筑波研究学園都市が完成する年でもある。天の時地の利を生かせばSTEXPO’85は必らず世界中の支持と好評を得ることだろう。
そしてテーマは「人問と地球の健康のために」とうたわれていた。
当時の考えでは博覧会場をそのまま後世に残して科学技術のメッカとしての機能を持たせようというものであった。したがって科学技術一般展示は科学技術に対する正しい理解を広め、日常生活の中に科学的思考、科学的態度を育てるための人間を中心とする5つのゾーン(人問、大地、水、大気、宇宙)に分けて展示を展開する計画であった。
これらは現実の科学万博における政府出展にほとんど生かされていることが分る。
中央部には600mのタワーを配し、直径120mの円形会場は地球のちょうど1万分の1を表わしているものであった。
会場内にはリニアモーターカーとコンピュータによる自動運転バスを走らせる計画も用意されたものである。
このようなコンセプトプランの発表と同時に模型を作っての各界へのアピールも好意的に迎えられ、昭和54年度予算に約600万円ばかりの国際的科学技術博覧会調査費が計上されることになった。これには11月24日に結成された国際科学技術博覧会開催促進議員連盟(約450名)の力が大きな援護となったことはいうまでもない。
3. 三閣議了解のとりつけ
翌昭和54年3月には土光さんを会長にいただいて国際科学技術博覧会推進協議会が発足した。虎ノ門の岡本屋の5階(三菱銀行が借りていたもの)を無償で借り、10人足らずのメンバーも女性1人をのぞいて全員手弁当で参画したもので財産といえば508-1985番の電話一本だけ。これも土光会長の個人名儀で銀行から1,000万円の借金枠をもらって運営を開始することになった。周囲の人達はもし博覧会ができなかったら誰が借金を返済するのだと随分心配したものである。
金子岩三科学技術庁長官の再三にわたる閣議での不規則発言によって、博覧会の論議は11月のBIE総会に向って霞ケ関をゆるがす大論争となった。暑い夏の盛り、2ヶ月半にわたって関係16省庁が集まり、科学万博開催の是非を論じ合った。科学技術庁側が提出した資料は厚さにして20cmはゆうに超えたと思う。国家的な大事業を計画した際にこのように関係省庁で集まって議論をしたのはこれが初めてだそうである。
結論は両論併記、つまり、意義があるのでやるべきであるという推進派と、財政負担が大きいのでやるべきでないという二つの意見が並行したまま、官房長官に決断を仰ぐことになったわけである。
官房長官は特に関係の深い5省庁の閣僚を集めて引き続き検討を進めたが、11月28日のBIE理事会に間に合わせないと開催が不可能となるという時間的制約を背景に、最終的には在パリ井川全権大使のいまやるべしという公電をもって大来外務大臣が関係閣僚会議で発言し、ようやく合意が得られた。しかし、開催の条件として財政当局からは厳しい注文がつけられたことは一般に知られているとおりである。
3 具体化への遠い道のり
開催が認められるや早速推進協議は発展解消し国際科学技術博覧会協会の発足となり引続いて土光会長をいただくことになって具体化への作業が始められた。
科学万博の基本構想から基本計画へと順調に進んでいるように見えた作業も、多くの人々が参加するようになり、それぞれの考え方にも相異が現われるようになった。そのため計画の具体化作業の遅延が心配されるようになった。
そこで政府出展を早目にスタートさせ全体の進行を引張ることとし、政府出展プロデューサー組織を作り、総合プロデューサーに大沢宇宙開発事業団副理事長(当時)を任命した。
この政府出展でもいろいろの考えがあり、当初科学技術庁が博覧会開催の大きな目的と考えていた研究学園都市都心部のエキスポセンターが風前の灯という情況に置かれていた。離れた会場は不都合であるという考えである。しかし、博覧会は184日で終ってしまう。そのあとも博覧会の趣旨を受けて、国民と科学技術の結びつきを推進するものとして、また、筑波研究学園都市の都心部の機能から見てもどうしてもエキスポセンターを恒久施設として残す必要があったので、懸命の巻き返しを行った結果、今日すでに建て上ったようなりっぱなセンターが出現することになった。恒久施設であるが故に、特に地元(桜村)との関係が深いわけで、建設の趣旨を地元の方々と話し合い理解をいただいた上での建設であった。世界最大の直径25.6mのプラネタリウムは、桜村議会の議員との懇談の中から希望が出て実現されたものである。
政府出展を先行させることが良い結果を生んで、各方面の計画がようやく具体化されてきた。
ここで民問出展の問題が発生した。博覧会協会が民間出展者に配布したインフォメーションEXPO’85の中で、パビリオン建設について新しい考え方を打ち出したためである。
その内容を引用すると「この会場は21世紀に向けての新しい工業団地にすることにしているので、パビリオン建設は新しい工場建築の未来を考えさせるものであってもよいのではないか。」という呼び掛けが示されていた。これはようやく科学万博への出展の意慾を持ち始めた民間企業に冷や水をあびせる結果となり、多くの人々から不満と苦情が述べられた。確かに都市計画の視野から眺めれば協会のイメージは極めて進歩的な面白い発想ではあるが、工場で博覧会はできないという民間企業の立場も理解された。この問題は扇千景科学技術政務次官の民問出展者への説明会でのパビリオンはそれぞれ自由な発想で来場者を楽しませるものにして下さいとの挨拶できりがつけられたが、仲々むずかしい問題であった。
4 目玉がいっぱいの科学万博
以上述べてきた問題はほんの一例にすぎない。新交通計画の頓挫から連接バスの採用、パビリオン内売店における品目制限、遊園地の建設等、どれ一つとっても博覧会の成否を左右するような問題で、その解決には担当者の苦労は計り知れないものがある。
しかしながらこれらの問題を乗り越えて、科学万博は確実な足取りで3月17日の開場に進んでいる。そこには来場者を喜ばせ、楽しませ、驚ろかす数多くの目玉商品が並んでいる。
政府館だけを見ても、前述したようにエキスポセンターには世界最大のプラネタリウムがあり、これはコンピュータによって例えば来場者がハレー彗星に乗って太陽系宇宙を眺めるシュミレーションも可能である。そのコズミックホールにはNHKが開発している高品位テレビ(走査線1,125本、4,8m×8m)では極めて鮮明な画像が見られ、松本零司のコンピュータァニメーションのアレイの鏡が上映される。
歴史館には国産第一号の機関車を建造中の人形が展示され、ロボットで作られたヤマタノオロチがおどる。
テーマ館では国産70mm映画によるわが国土の紹介があり、1本に12,000個も実がなる水気耕栽培のトマトがすでに実をつけて待っている。また、人間に無限に近づいたロボットが2本足で歩いたり、自ら楽符を読んで鍵盤をひいて演奏している。宇宙の世界ではオーロラが美しい光をはなっている。
子供のひろばでは地球の10万分の1の地球儀が日本列島を示し、全長270mのおもしろチューブが数多くの体験を与えてくれる。
民問館の方を見ても、一つ一つ数えきれない程楽しい仕掛けが用意しているが、眼につくものだけをあげても、まず、磁気浮上によるHSST。28m×40mの巨大テレビジャンボトロンは昨年大みそかで全国に披露された。EXPO’85に因んで建てられた直径85mの大観覧車。巨大なパラボラアンテナのパビリオン。中に足を踏み入れるととび出す映画、立体映像で驚ろかされる。
5 おわりに
7年問にわたった発想から開催まで、長かったといえば長かったような、短かかったといえば短かかったような気がする。いよいよ開催が眼前に迫ってきたが、科学万博―つくば’85の成否を決めるのは何といっても観客である。観客の一人々々を心からもてなすつもりでお待ちしたいと思っている。
建設月報 1985/2
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