14.ブログ掲載一周年 常陽新聞が紹介
14. ブログ掲載一周年 常陽新聞が紹介
早いものでブログに挑戦してから一年過ぎてしまいました。最初の頃は写真を載せるのに半日奮闘したものでした。もちろん今でもさっぱり進歩はしていませんが、とにかく夢中でパソコンに向かっていました。
思い立ってから万博閉会まで、原稿用紙にして8,800枚というボリュームになってしまいましたが、振り返ってみるとまだまだ書き残したことが多く、カテゴリーを史実から日記・コラム・つぶやきに変えて、補遺として書き続けて行きたいと考えています。
一年間で特に印象的な出来事は、日本の日の賛歌「時の魔法」に関わる暖かい人間のふれあいでした。作詞家の阿久悠との別れ、ブログにアクセスして情報を提供してくれた方々、「時の魔法」の譜面とコーラス版を送ってくださった茗渓学園の先生。どんな万博グッズよりも貴重なふれあいでした。
この「時の魔法」をつくばの歌としてつくばを盛り上げるこtができたら、どんなにか楽しいことでしょう。
この一周年を記念?して、常用新聞の林裕一記者が、1月28日の新聞の第一面に紹介してくださいました。写真はまるで漫画的ですが、非常に好意的な内容で、感激しています。
ここにコピーを紹介させていただきます。
常陽新聞2008年1月28日
1985年の「科学万博」振り返るブログ始めて1年
当時の仕掛け人 福島 公夫 さん(78)
1985年に開催された国際科学技術博覧会。通称「科学万博EXPO85」。48カ国と37の国際機関が参加、延べ入場者数は2000万人を超え、「TSUKUBA」の名を全国区に押し上げた。科学万博の仕掛け人だった福島公夫さん(78)が始めたブログ「つくば科学万博はじめから終わりまで~経緯・資料・グッズ」は、1月で開始から1年が経過した。ブログでは、さまざまなグッズや思い出話などが紹介され、興味深い。(林裕一)
■科学方博の仕掛け人
福島さんは群馬県生まれ。通産省(現・経産省)入省後科学技術庁(現・文部科学省)を経て、科学万博では政府館総館長を務めた。
その後、つくば科学万博記念財団理事長を経て現在、技術を中心にした経営コンサルタントを都内で営む。これまでにブログのアクセス数は8600を超えている。
ブログには、期間中の6月10日「日本の日」で歌われた「時の魔法」などを作詞し、昨年8月に死去した作詞家、阿久悠さんと科学万博に関する思い出話しもつづられている。
■進化したものコンピューターとロボット
福島さんは、「科学万博では、コンピューターとロボットを中心に展示した」と当時の状況を話し、「両者は20年間で最も進化したもの」と現在と比較しながら続ける。
例として、同博で公開された松本零士さん原作のアニメ「アレイの鏡」。コンピューターグラフィックス(CG)を採用した。当時、CGは3分で1億円近いコストがかかったので一部でしか使用できなかったが、今は気軽に作成できる。パソコン本体も、さらに小型化、そして高性能化が進む。
■アトムとフランケン
ロボットも進化し、当時はおとぎ話だったが、かなり現実味を帯びてきた。日本人が欧米と比べ、ロボットを抵抗なく受け入れている背景に、「手塚治虫さんの名作『鉄腕アトム』がある」と福島さんは指摘する。
アトムによって、日本では「ロボットは友達」という親近感があった半面、欧米では、「労働者の職場を奪うもの」とされ導入が遅れた。
福島さんは「アトムとフランケンシュタインというイメージの違い」と例える。
■科学万博開催の背景
科学万博開催の背景には、「科学技術の復権」がある。当時、原発や公害間題などが深刻化。科学技術に対するマイナスイメージにつながっていて、福島さんも「科学技術はあくの権化」とブログで振り返っている。
だから、科学が身近に感じられるようなお祭りを想定していた。
「科学万博は子供だまし」とマスコミに報じられた時、「してやったり、というところでした」と回想する。
■福島さんの思い
事務所には、福島さんが携わった科学万博のグッズが所狭しと並べられている。所有数は数え切れないという。福島さんの目下の悩みは「数々の思い出の品」を置くスペースが手狭になってしまったこと。
ぱっと見た限りでは科学万博に関係なさそうなものでも、福島さんから出てくるエピソードは終わりがない。ただ、自分しか由来を分かっている人がいないので「由緒あるものでもごみになってしまう」と案じている。
「空き教室など展示するスペースを提供してくれるところがあれば」と福島さん。
「ブログのアクセスが1万を超えたら何かやりたいですね」と話す。
福島さんのブログのアドレスは http://chisouken.cocolog-nifty.com./05101/
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