10. 阿久悠を送る会に参列して
10 阿久悠を送る会に参列して
9月10日。午後5時。紀尾井町のホテルニューオオタニ「鶴の間」で阿久悠を送る会が爽やかに(秘めやかにの間違いではない)挙行された。献花の列に並ぶこと40分ばかり。その間ずっと阿久悠のなつかしのメロディーがストリングスの生の演奏で流されていた。
写真 参会の記念に戴いた阿久悠の思い出(表紙)
「また逢う日まで」から始まって、私ですら知っている曲が、次々と聞こえてくる。時には場違いな曲と思われそうな曲もあったが、阿久悠の力か、今日の編曲者の腕前か、また、演奏者の心か、この送る会にまったく違和感を与えないのには、ただただ感服してしまった。
献花台の写真。阿久悠はピアノをカウンターにみたててウイスキーの水割りを手に、満面の笑顔で腰掛けていた。そこには菊華燦然と光る紫綬褒章と、旭日小綬章が彼の功績を改めて示していた。
献花のあとのレセプションで阿久悠の言葉を聞くことができたが、その一つ一つが、すべて詩であり歌であった。悲しい歌は嫌いだと宣言したとおり、この送る会も湿った雰囲気はまったくなく、ひたすらさわやかに明るく時が過ぎていった。
「勝手にしやがれ」という焼酎の水割りは素晴らしかった。もう少しほろ苦い味でもするかと思っていたら、これまたさわやかな水割りであった。
励ます会の報告的手法でいえば、3,000人といいたいが、少なく見ても2,000人(翌朝の新聞では1200人としているので訂正する)
を超える人が参集し、阿久悠を送る時間を何時までも惜しんでいた。
参列者に手渡された「YOU」(写真)は、阿久悠の活動のエキスを一杯に詰め込んだ大変貴重な歴史的小冊子である。その中には、阿久悠が自ら編集長として世間に主張してきた物語が濃縮されている。1976年9月の創刊号で阿久悠は「情熱とは情と熱。情は人を理解したいと思うやさしさであり、熱は自分の気持ちを相手に伝えたいと思う誠意である。」と訴えている。ここに阿久悠の詩の原点を見たと思った。
1979年8月に最終号を発行し、これは今までの小船から大船へ乗り移るための休刊であるとしたものであったが、阿久悠を乗せる船は余りにも大きすぎて、建造が未完成であったのか、それともホームページの普及でそちらにうつしたのか、いずれにしても再刊を見ぬうちにご本人はもっと広い世界に旅立たれてしまった。
この「YOU」には手塚治虫氏、鴨下信一氏、岩崎宏美氏(私がフアン)等々の魅力溢れる話が満載され、かの有名な「瀬戸内野球少年団」もこのなかから生まれている。「1955年のテネシーワルツ」は私の女房の世代であり、よく鼻歌で歌っていたのを聞いていた。
良き時代、情熱の時代は阿久悠とともに終ってしまったのであろうか。いな。阿久は決して終っていない。永久に終ることはない。良き時代と情熱の時代と共に。
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