« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007年8月18日 (土)

8. 暑さでぱあになりました

8        暑さでぱあになりました。

今年の暑さはものすごい。地球温暖化が進んでいるためだと環境論者は声を大にして叫ぶ。なるほどそうだと思う。しかし、74年前にすごい記録が出ている。74年間で0.1度の記録更新はそれほどのことはないと冷静を装う先生もいる。自然は大きすぎてわれわれちっぽけな人間にはなかなか真実は分かりかねる。現実としてはCO2の発生を抑えようという人類の挑戦も意義のあることに違いない。

科学万博に想いを馳せるとあの夏も暑かったという記憶が強い。特に炎天下が職場であったこども広場のコンパニオンの苦痛は筆舌に尽くしがたいものがあった。

81

写真 1. 裸天国

彼女たちが職場環境の改善を総館長に直訴したいという申し込みを受けた。そんな暑い話を猛暑の会場内で聞くのはまっぴらということで、コンパニオンの代表を松代の我が家にご招待し、ビールとご馳走で篭絡しながらゆっくり聞くことにした。

821

写真 2. コンパニオンは笑顔が似合う。

彼女たちの希望は突き詰めれば、汗を流す施設を近くに造ってほしいということである。現状は歴史館のシャワーを使用しているが、彼女たちの控え室から歴史館までは結構距離があって、利用するにも不便だし、シャワーを浴びて戻るまでにまた汗をかいてしまう。何とか控え室の近くでシャワーが使えるようにならないかという、きわめてもっともな希望であった。

832

写真 3.  ゴキブリバンバンに興じるコンパニオン

よく分かった。必ず期待に応えるから今夜はゆっくり飲もうということになったが、こうなるともともと育ちの良いお嬢さん方。カラオケにゲーム(特にゴキブリバンバン)に、笑顔が甦ってきた。

結果、こども広場から近い場所にあるテーマ館と話をつけて、メンテの人達用に用意されたシャワーの一部を、こども広場のコンパニオンに提供していただくことで解決することができた。ありがたいことであった。

05821_2

写真 4. 暑さでぱあになりました。

5822

写真 5. ぱあになってもまだ暑い

この日コンパニオンがお土産として持参したのが、写真のガラスコップである。彼女らはこのコップに書かれたコピー「暑さでぱあになりました。ぱあになってもまだ暑い」でこども広場の暑さを総館長に直接訴えたかったのであろう。確か6個セットであったと思うが、今手元(事務所)に残っているのはこの一つだけ。大変貴重な一個である。

これは当時会場で販売されていた模様で、小さな文字で1985.SANRIO CO.LTD.と印刷されている。

記録的な暑さのこの夏、コップを撫でながら感傷に浸っている次第である。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年8月17日 (金)

(番外)Remember EXPO'85 特集号

前回の末尾にあした常陽新聞の記事を持って林記者が来社されると書きましたが、今日お見えになりました。

これは常陽新聞社が発行している「City OPERA」(情報誌)の8月20日号で、TX開業2周年記念号「つくば特集第1弾」として、"Remember EXPO'85 "ということでした。この情報誌はつくばエキスプレスの20の駅に置かれてあるそうです。

内容は大変よくまとめてあり、これから第2弾以下続くそうで、ありがたいことです。ご関心のある方はぜひお読みください。ただ、残念なのは私の顔がとてもみすぼらしく、歳はとりたくないもんだと嘆いております。今日も一枚「日本の日」の法被を被た写真を撮られましたが、とても心配です。

(閑話休題)

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2007年8月16日 (木)

7.制服

 7. 制服

   先日ちょっと触れたが、常陽新聞の取材を受けたとき、写真になるような大きな記念品はないかといわれ、政府館や協会の制服があるがと言ったら、制服ならやはりコンパニオンのほうがいいのでご遠慮すると担当記者の林氏に断られてしまった。それはそうだろうとそのときは納得したが、荷物(資料)を整理していたらダンボールに一箱、制服に混ざっていろいろなイベント使った半纏がぞろぞろ出てきた。感心にすべてクリーニングに出され、きれいに保存されていた。引っ張り出してみると懐かしい思い出がぎっしりつまったもので、なかなか棄てられそうもない。

   ということで私の愛用した制服を展示してみよう。

  501_5

.

.   写真1 数少ない着帽のポートレート(厚手コート)

.

512_2_3

     写真1-2(厚手コート)   

.

    513_2_2

 

     1-3(帽子)

.514_2_2

   写真1-4 (薄手コート)

  会期中は5月まではこれが政府館の正装であり、VIPのアテンドもこのような姿で行ったものである。常時(開場内の視察時も)帽子は持っていたはずなのに、意外に着帽した写真が少ないのは、写真屋さんが私の帽子姿が似合わないとでも思っていたのであろう。開場前の皇太子殿下、妃殿下のご案内した写真も、4月の天皇陛下の行幸の時(7-2-6参照)もこの服装で無帽であった。

502_2

        写真2 協会の制服姿はこれだけ(HSST出展のためのバンクー  バーで)   

522_2_2

   

    写真2-2 協会の制服

  

 .

私は協会から給料を頂いていたので、協会の制服も一式拝領していたが、会場内では一度も着たことはなかった。7-4-4-2で説明したように、バンクーバーの交通万博につくば科学万博協会としてHSSTの出展を約束していたので、そのHSSTの起工式に私が代表として出席したということである。協会の代表なので当然協会の制服を着用したが、このほうが着心地が良かったのが不思議であった。なお、羽織っているのはJALの法被である。

.

503vip_2

    写真3 VIPの来ぬ間に

.

  532y_2_2

 

  写真3-2(シャツとネクタイ)

. 

   シャツは何枚もいただいたが、残っているのはわずか3枚だけ。日中VIP応接のないときは極まれで、このような写真はなかなか取れなかった。今眺めてもよく似合っていると自賛している。

.

504_2   写真4  揃いの半纏(エキスポセンター)

.

5421_2_3

  5422_2_2

    写真4-2 エキスポセンター半纏

.

エキスポセンターは飛び地会場だったので、イベントも独立して行われることが多かった。地元桜村」(現つくば市)と一体という感じで、町長さんもよく参加していた。

 

.

505_2

    写真5 日本の日は最高の祭り

.

    552_2_2          

   写真5-2 日本の日の半纏

  5522_2

  二日間にわたった日本の日は7-4-1で詳細に紹介している。政府館の使った半纏ではこれが最高に派手であった。物もよく予算も沢山使ったと思う。一緒に写っている豊田運営統括プロデューサーも、終日ニコニコ顔であった。

.

56_2_2

    写真6 その他の半纏

.

  たくさんのイベントが行われたため、そのたびに半纏が作られているがその一部が残されている。

.

    写真7 コンパニオンのラインダンス

.5071_2

5072_2

    写真7-2 飛び入り

制服はコンパニオンに限るというので、最後はコンパニオンのユニホームで飾ることにしたいが、これは総館長飛び入り出演という特別公開写真である。今考えても私が着られたユニホームがあったとは、不思議で仕方がない。

.

ところで、明日はいよいよ常陽新聞の特集が印刷されるとのこと。林記者のお話で、今でも大変多くの万博フアンがいて、私の所有しているような万博の記念品に強い関心をお持ちとのことを知り、いろいろ考えさせられた。
現在持っている記念品や協力していただいた方々との交流の証とか、あるいは
フアンにとって貴重な文献・資料など、維持、整理を続けるには歳をとりすぎていること。また、私に万一のことがあれば、残念ながら家族にとってはこれらの物品は一般の古物と変わりないものとして、塵埃と一緒に処分される運命におかれていること。それならば本当に大事に保存してくださる方々がいるのならばそのような人々にお渡ししたほうがよろしいのではないか。
こんな考えを野澤英明氏と話し合ったところ、すっかり意気投合し、相談に乗ってくれることになった。
氏は私と違ってまだ若い方であるが、万博中つくばに職を持ち(万博会場にもしばしば足を運んでくれた良き先輩(私と同年代)の推薦もあり、安定した公務員の職をすてて今の仕事に入った人物で、これから二人三脚でうまく進められそうな気がする。

なお、科学万博の計画の変遷や実現への試行錯誤などの資料は莫大な量として
未整理のままなので、特に科学万博の開催までの検証は今後も続けるつもりである。そして、できれば出版も視野にいれていきたい。

 

   

.

 

.

.

.

    

   

.

.

.

.

    

.

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年8月 9日 (木)

6. 科学万博EXPO'85のシンボルジャンボトロンと黒木氏

 黒木康夫氏の訃報が報じられたとき、まさか、と信じられなかった。井深大氏、賀田恭弘氏がすでに他界され、また、黒田氏まで。歳老いて日常の感動を失いかけた私にとっても、痛撃なショックが与えられた。科学万博つくばEXPO’85は本当に過去になってしまったのだ。

黒田氏の「ジャンボトロン」との関わりについては、田原総一郎氏の「ソニーが叩き潰されない理由」(発行元:ネスコ 発売元:文芸春秋社)に華麗に描かれている。しかし、その開発は紹介された記事よりも数段困難を伴ったものと承知している。なにしろ真夏の烈日の下でテレビを映し出すのだから。

Photo 写真 トリニライト

.

.

黒田氏から連絡を頂いて、ソニーに向かった。「ジャンボトロン」の発光の素子となる当時「三色もなか」と呼ばれていた「トリニライト」の試作品ができたので見てくれ、とのことであった。本社の屋上にセットされていた「三色もなか」を黒木氏は得意顔で説明してくれた。しかし、当時の私は若すぎてお世辞がいえなかった。まだ、明るさが不十分ではないか。黒木氏の落胆は気の毒なほどであった。素人のわたしがそこまで言う必要は無かったと今では反省している。

それからの黒木氏頑張りはすばらしかった。一月もたたないうちにまた呼び出された。屋上には予想を絶した明るい「三色もなか」が輝いていた。

.

田原氏の記事の中に、私がこのジャンボトロンを皇居前に建てたらと提案したという場面が出てくる。申し上げたことは偽りではないが、その頃会場内にジャンボトロンを建てることに異論があったことも事実であり、「皇居前」はその異論の牽制のためものであった。場所は「東京駅前」とか「大阪駅前」では意味がないことは当然である。

.

いまでも屋上で「三色もなか」と同様に輝いていた黒木氏の顔が忘れられない。

.

私はまだまだこの世に未練があり、科学万博の思い出を書き続けたい。黒木氏への追悼が、科学万博つくばEXPO’85の鎮魂歌にしたくない。また、黒木氏もきっとそれを望んでいると信じている。

写真 夜も輝いたジャンボトロン

.

写真 ジャンボトロンの仕様

Photo_3   

Photo_2 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »