5. 1000mタワーの夢
5.1000mタワーの夢
つくば科学万博は昭和53年3月(1978)に計画局で発想され、6月には新政策として全庁的に(秘密裡に)議論が行われたものです。初めは、1984年の札幌冬季オリンピックの代わりとして、STEXPO’84と呼んでいました。これは、Science & Technology Exposition ‘84 の意味です。テーマは「人間と地球の健康のために」でした。
コンセプトプランを作るにあたっては、松本零士先生には最初の段階から参加していただきました。検討を進めているうちに、大阪も沖縄もそれぞれ70年 75年ときりのよい年に行われているので、つくばも85年がよいだろうということで、STEXPO’85 になりました。こうしてできあがったのが写真に示した模型です。
中心に500mのタワーを配し、半径500mの円形の会場にする。会場の外縁とタワーの尖塔を結ぶと円錐形になります。筑波山に息子(娘)ができたようなものです。
このようなコンセプトプランが発表されると、大林組の方がたずねてこられました。実は大林組では、「ザ・タワー1000」というテーマで、社内研究をしていたそうです。500mのタワーならいっそのこと1000mはどうでしょう。これには全員が飛びついて早速大林組の本社を訪問し、模型と設計図を見せてもらいました。1000タワーならタワーの中をパビリオンにすればいいなど夢はどんどん膨らみました。松本先生はこれが実現できるように、産経新聞の「1000年女王」の舞台として、この1000mタワーはつくば万博のときに建てられたものと紹介されています。
写真 「ザ・タワー1000」
松本先生にはSTEXPO’85の色紙を書いていただきましたが、これにもタワーが描かれていますが、1000mかどうかはわかりません。この色紙をここでご披露したいのですが、常陽新聞の特別企画でお貸ししたので、それをご覧ください。8月20日ごろとのことです。
ホームページをクリックすると、大変大勢の方々が今なおつくば万博を忘れずに、相当量の情報もお持ちなのにはびっくりすると同時に大変感激しています。
これからも思いつくままに、万博の裏話など日記として綴り続けてまいりたいと思います。
写真 STEXPO’85コンセプトプラン図
忘れていました。1000mタワーが実現できなかったのは、ただただお金がなかったからです。少なくても2兆円必要でした。夢を壊して申し訳ありませんでした。
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