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2007年7月30日 (月)

5. 1000mタワーの夢

5.1000mタワーの夢

つくば科学万博は昭和533(1978)に計画局で発想され、6月には新政策として全庁的に(秘密裡に)議論が行われたものです。初めは、1984年の札幌冬季オリンピックの代わりとして、STEXPO’84と呼んでいました。これは、Science & Technology Exposition ‘84 の意味です。テーマは「人間と地球の健康のために」でした。

コンセプトプランを作るにあたっては、松本零士先生には最初の段階から参加していただきました。検討を進めているうちに、大阪も沖縄もそれぞれ70 75年ときりのよい年に行われているので、つくばも85年がよいだろうということで、STEXPO’85 になりました。こうしてできあがったのが写真に示した模型です。

Stexpo85 写真 STEXPO’85コンセプトプラン模型

中心に500mのタワーを配し、半径500mの円形の会場にする。会場の外縁とタワーの尖塔を結ぶと円錐形になります。筑波山に息子(娘)ができたようなものです。

このようなコンセプトプランが発表されると、大林組の方がたずねてこられました。実は大林組では、「ザ・タワー1000」というテーマで、社内研究をしていたそうです。500mのタワーならいっそのこと1000mはどうでしょう。これには全員が飛びついて早速大林組の本社を訪問し、模型と設計図を見せてもらいました。1000タワーならタワーの中をパビリオンにすればいいなど夢はどんどん膨らみました。松本先生はこれが実現できるように、産経新聞の「1000年女王」の舞台として、この1000mタワーはつくば万博のときに建てられたものと紹介されています。

1000m

写真 「ザ・タワー1000

松本先生にはSTEXPO’85の色紙を書いていただきましたが、これにもタワーが描かれていますが、1000mかどうかはわかりません。この色紙をここでご披露したいのですが、常陽新聞の特別企画でお貸ししたので、それをご覧ください。820日ごろとのことです。

ホームページをクリックすると、大変大勢の方々が今なおつくば万博を忘れずに、相当量の情報もお持ちなのにはびっくりすると同時に大変感激しています。

これからも思いつくままに、万博の裏話など日記として綴り続けてまいりたいと思います。

Stexpo85_2

写真 STEXPO’85コンセプトプラン図

忘れていました。1000mタワーが実現できなかったのは、ただただお金がなかったからです。少なくても2兆円必要でした。夢を壊して申し訳ありませんでした。

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2007年7月20日 (金)

4.つくば宇宙の子

4. つくば宇宙の子

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写真 1. つくば宇宙の子(記念ミニチュア)

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万博開催中、つくばエキスポセンターのイベントで、子供たちの人気が集まった中に焼き物の絵付けがあった。素焼きの皿に各自思い思いの絵や文字を書いて、エキスポ‘85の記念とした。ご指導いただいたのは浜田竹草先生。地元の陶芸家でつくば萩焼きの創始者である。

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先生はつくば万博の記念として背丈1m余りの大きな塑像「つくば宇宙の子」の制作に挑戦された。塑像は大きくなるほど大変で、もちろんお宅にある登り窯では焼くことはできない。制作は開放された空間で行われたが、広場に薪のやぐらを築き、素焼きにもなっていない粘土像を高温度を維持しつつ、形を崩さず、実に巧妙に焼き上げてしまった。

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この塑像は日本の日にはテーマ館に展示され、その夜の打上パーティーは舞台の中心に飾られ(つくば科学万博7-4-1-2)大いに盛り上げられたものである。

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夏のある一夜、私たち政府館のスタッフは、コンパニオンの代表と一緒に浜田邸のご招待に預かった。

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写真 2.浜田邸工房

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写真 3.特訓制作中

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工房で手ほどきを受けて、各人初めてにしてはかなり上等な焼き物を作りだすことができ、十分満足感にひたったが、さらにバーベキューのご馳走に、満腹感も満たしていただいた。もちろんカラオケも、素敵な夏の夜(の夢)であった。

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大勢で宿泊させていただき、朝には一服、つくば萩焼の銘器でお茶を頂戴。すっかりすがすがしい気分で、またその日からの万博へのチャレンジを誓いあったしだいである。

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写真 4.茶室

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写真 5.庭で

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私の作品(といえるほどのものではないが)の中で、先生がこれは一番とほめていただいたものを、記念として残してきたため、今手元にあるのは懐かしいだけの駄作ばかりであり、ここにご紹介するものはない。

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写真つくば萩焼の茶器

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写真

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その代わりということではないが、先生に素晴らしい壷と茶器を作っていただいた。これが今回の思い出のつくば万博グッズである。

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2007年7月17日 (火)

つくばの思い出

3 花仕女

つくば科学万博が終了してからもうすぐ22年になろうとしている。歳月は過ぎてみれば、みな歴史になってしまう。つくばエキスポセンターは、科学万博の記念として創っていただいたものであるが、四半世紀を過ぎようとしている今日、当然のことながら、展示の内容はほとんど更新されたといっても過言ではない。建物の外観だけは変わっていないが。

万博の時、エキスポセンターのエントランスホールに、東洋の歴史的な技術の展示ができないかという議論があって、専門家の検討の結果、古代中国の天文台に設置された「脱進機式水時計」と日本の奈良時代の「多段式漏刻」の復元が採用されることになった。

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写真1 脱進機式水時計(右)と多段式漏刻

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「脱進機式水時計」は中国河南省の開封(KAIFENG)に蘇頒(SUSUNG)とその協力者達が1090年に建造した天文時計塔の内部に造られたもので、ここでは大きさをオリジナルの21に縮小し、時計部は定時12時制1式のみとして復元したものである。

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「多段式漏刻」は中大兄江皇子(後の天智天皇)が660年に「民をして時を知らしむ」ために作らせたもので、実際にはそのモデルとなった唐の呂才漏刻図に基づいて製作された。

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これらは万博期間中からエキスポセンターとして再開された後まで、長く観客を楽しませた。しかし、日本にひとつしかない展示物のメンテナンスは想像以上に大変で、修理不能の段階で撤去されてしまった。まことにやむを得ないことであるが、残念なことでもある。

  

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写真2 時刻を示す仕女

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写真3 花仕女

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手元に「花仕女」がある。「脱進機式水時計」の12時間を示すために1時間ごとに干支になぞらえた12人の仕女が並べられていたが、たまたまそのひとつ、「花仕女」(花のかんざしを着けた召使の女)が私の干支の巳の刻を告げるということで、作っていただいたが、いまではこれが唯一の思い出の品となってしまった。

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2007年7月13日 (金)

2.インターナショナル・ビューティー・ペイジェント

2.インターナショナル・ビューティー・ペイジェント

 S1_1 写真1 パンフレット

見覚えのあるパンフレットでしょう。2冊あるのでこんな写真が撮れました。でも、このうちの一冊には、大事な記念品としての思い出が詰まっています。

 本ブログ「つくば科学万博、始めから終わりまで」の7-7-3-2で「インターナショナル・ビューティー・ペイジェント」について、若干報告しておりますとおり、私はEXPO関係者の代表として審査員に任命されました。決して審美眼が優れているからというわけではありません。でも、結果として私が投票した候補のうち、二人が入賞したのですから、まんざらでもない、ということにしておきましょう。

さて、何が大事な記念品か。次にお見せする写真をみてください。

2 写真2  司会

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写真3. アシスタント等

司会は岡田真澄さんでした。実はこの写真にサインしもらったのです。この写真は22年前のものですが、若いですね。私が芸能人にサインしてもらったのは、これが初めてです。ミーハーがキャッキャッしてサインを強請っている姿を苦々しく眺めていた私が、どうしたわけか、岡田真澄さんの前にこのパンフレット差し出したら、上機嫌でサインしてくれました。

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写真4 審査員1

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写真5 審査員2

これを見て審査員の方々が次々にサインしてくれました。万博の成功おめでとうといいながら。残念だったのは次のご用事を急がれていた山野愛子さんのサインが抜けてしまったことでした。

写真を眺めながら、政府館総館長が由美かおるさんのサインを頂いている姿なんて、今では想像もできません。しかし、今では大変な記念品として大切に、友人たちに見せびらかせています。

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写真6 ミスインターナショナル第1位 ニーナ・シシリア・エルナンデス(ベネズエラ)

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写真7 ミスインターナショナル第2位 サリー・ネレーン・ジュペラー(アメリカ)

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写真8 ミスインターナショナル第3位 ジャクリーヌ・シューマン(オランダ)

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私が選んだ一人も、日本の代表も非の打ちようの無い美人でしたが、残念でした。

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2007年7月11日 (水)

EXPO'85(思い出の記念品)

1.鉄腕アトム

日本では西洋の国々と比較して、ロボットが人間社会に融和しています。お陰で生産技術がこよなく発展し、安価で優れた製品を世界に供給することができるのです。この理由についてはそれぞれ専門の先生方が、いろいろと分析しています。

私はなんといっても鉄腕アトムの影響が一番だと思っています。わが青春(少し無精ひげのはえた青春ですが)はアトムの活躍に胸を躍らせたものでした。

その鉄腕アトムと、なんと筑波で遭遇することができたのです。

1985年、日本政府館フォーラムⅡ「映像新時代」(コズミックホール開館を記念して)が、5月30日と5月31日の二日間、つくばエキスポセンターのコズミックホールでひらかれました。

趣旨としては、映像博覧会とも呼ばれたつくばEXPO'85においても、最先端技術を駆使した高品位テレビとコンピュータ制御のプラネタリウムを連動させたコズミックホールの映像は、特出したもので、「映像新時代の象徴」ということで、世界の権威を集合させて、将来を展望した活発な論議をお願いしようというものです。

綜合監修者は白根禮吉政府館出展総括プロデューサーで、記念講演「目で考える」がわれらが手塚治虫先生によって行われました。

私は政府館の総館長として、開会のご挨拶しただけでしたが、あとで大変なプレゼントを頂いてしまいました。

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写真のようにプログラムの表紙の「アトム」を書いていただいたのです。手塚先生は今はおられませんが、「アトム」はこのプログラムと一緒に、また、わが青春の思い出と一緒に生きています。

なお、この他、このフォーラムにご参加していただいた先生方のお名前を記録させていただきます。

ダグラス・トランブル氏(映画監督)泉眞也氏(インダストリアル・デザイナー)篠田正浩氏(映画監督)八木信忠氏(日本大学芸術学部教授)須之部淑男氏(科学ジャーナリスト)鷲見成正氏(慶応大学教授)坂田英夫氏(東京都神経科学綜合研究所)江森康文氏(千葉大学教授)樋渡二氏(筑波大学教授)村木良彦氏(トゥデイ・アンド・トゥモロウ代表取締役社長)和久井孝太郎氏(NHK技術本部副本部長)松本零士氏(漫画家)以上14名。

演題

特別講演:「新しい映画」 ダグラス・トランブル氏

パネル討論:「映画の将来」 泉眞也氏・篠田正浩氏・八木信忠氏

科学映像:「サイエンス・グラフティ」江森康文氏

パネル講演:「視覚の科学」 須之部淑男氏・鷲見成正氏・坂田英夫氏・江森康文氏・樋渡二氏

パネル討論:「テレビの将来」 村木良彦氏・和久井孝太郎氏・松本零士氏

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