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2007年6月 7日 (木)

補遺

 本ブログを始めるに当って、記念グッズの情報なども挿入するつもりでいたが、なかなかそのチャンスもなく、方法も定まらず、終わってしまった。

 今、手元に散在する博覧会グッズ・記念品・記念となる印刷物等、整理してご紹介したいと考えているが、ご関心あるいはご助力していただける奇特な仁がおれば、ご連絡ください。

 福島公夫 kimiof98@mb.infoweb.ne.jp

よろしくお願いいたします。

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7-9 つくば科学万博‘85を終えて

7-9               つくば科学万博‘85を終えて

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写真 伊原事務総長

7-9-1  国際科学技術博覧会を終えて

 ()国際科学技術博覧会協会事務総長  伊原義徳

構想を得てから7年半、()国際科学技術博覧会協会が設立されて具体的な準備作業が開始されてから5年半、その間いろいろの困難な条件を乗り超えて、関係者の熱意と時の動きに支えられながら、また関係職員の汗と涙のうちに、多くの話題を集めた「科学万博―つくば‘85」は、昭和60916日、盛会裏に無事184日間にわたる会期の幕を閉じることができた。

21世紀に向かって、これからのわが国の発展にとってますます重要な役割を果たす科学技術について、これを単に専門家だけのものとしないで、国民の11人にとって身近なものであり、親しみの持てるものであることを肌で感じてもらいたい。そのために、科学技術についての新しいイメージを探求しよう。

また、昭和38年以来営々として建設と整備を進めてきた筑波研究学園都市を、世界に誇る近代的頭脳センターとして、国内のみでなく、広く世界に紹介したい。発展途上国をはじめ、世界のあらゆる国々から多くの人びとを招いて、わが国がどのような路を経て現在の科学技術の水準に達したかを明らかにするとともに、今後わが国が科学技術の分野において大いに世界に貢献するという姿勢を示したい。

このような目的と意図のもとに、日本万国博覧会(1970年、大阪)、国際海洋博覧会(1975年、沖縄)に続くわが国で第3回目の国際博覧会が筑波の地に開催され、多くの曲折を経ながらも、最終的にはその目的を十分に達成することができたのである。

これを具体的に例示すれば、 1)入場者数2,033万余人、 2)参加国、参加国際機関数合計85、 3)国内出展28、 4)訪れたVIPは、海外からは元首6名を含んで約7,000人、国内からも天皇陛下の行幸をはじめ約13,000人という記録を達成するとともに、展示において、催事において、会場運営において、数々の新機軸を生み出した。

しかも、建設工事において、会場運営において、また会場周辺の交通システムにおいて、ほとんど事故らし事故もなく、平穏裏に準備と運営とを終えることができたことも、また特筆に値すると言えよう。

ひるがえって考えると、科学万博の準備に当たっては国内的には財政再建、行政改革というきびしい背景のもとに、また国際的には世界同時不況という不利な情勢の下でその成功が危ぶまれたが、政界、官界、財界、学会をはじめ、国内のあらゆる方面からの手厚いご支援をいただき、また海外から多数の熱心な参加をいただくこととなったのは、誠に有り難いことであった。

また、準備期間中の物価の安定と労働力の安定供給が得られたこと、たまたまハイテク・ブームと時期を一にしたことも幸いであったと言えよう。

このようにして、.準備万端も整い、内外の大きな期待のもとに開会の幕が切って落とされた。開会当初は、多少の不具合の手直しに忙殺され、天候不順も加わって、やや盛り上がりに欠ける嫌いも感じられたが、内容の素晴らしさの噂が広まるにつれて、会期の後半、青少年を中心に多数の観客の来場を迎えて、会場の雰囲気はいやが上にも盛り上がったのである。

ここに、事務局の責任者として、多くのご支援者の絶えざるはげましと、関係職員一同のご苦労に深く感謝し、科学万博を永く心に刻みつける縁として、この記録が完成したことを喜びとしたい。(公式記録刊行にあたって。昭和613月)

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写真 コスモ星丸

7-9-2  科学万博を振り返って

184日問に及ぶ会期を振り返って、科学万博一つくば‘85は壮大な祭典であったというのが改めての実感です。そのなかで、参加国として日木政府が出展した5つの施設は博覧会の中心的な役割を果たし、所期の目的を達成したものと確信しています。

ちなみに、日本政府出展施設を訪れた観客は、内外の賓客、要人を含めて会期中テーマ館550万人、歴史館400万人、つくばエキスポセンター100万人に達しました。

また、こども広場では、会場を訪れたほぼすべての人々がここを憩いの場、遊びの場として利用し、エキスポプラザでは各国のナショナルデーや各種の大型イベントが催され、連日多数の観客をひきつけました。

過去に開催されたいずれの博覧会も、常に科学技術と密接に結びついており、このかぎりにおいて本博覧会も例外ではありません。しかし、本博覧会は科学技術を一般の人々の手に取り戻すこと、すなわち科学技術に対する人間の復権に真正而から取り組んだという意味において、従来の博覧会とは趣を異にしたものでした。

日本政府各館は、本博覧会のこの難しいテーマに多角的かつ大胆に取り組み、この課題を巧みに展開、表現することによって国内および海外の観客にアピールしました。さらに、展示物のみならず会期中に積極的に実施した様々な催し物の効果が加わり、全体として先に述べた多数の入館者を迎えることにつながったものと考えます。

本報告書は、日本政府出展の準備を開始してから閉館、後処理まで、本プロジェクトに直接、間接にたずさわった多くの方々の成果をとりまとめたものです。ここに、関係者各位のご尽力に深く謝意を表する次第です。

昭和613月(政府出展報告)

政府館総館長

福島公夫  

7-9-3      エキスポセンター解散式

  恒久施設として残すことが決まっているエキスポセンターは、博覧会の記録・資料等の保管が託されていた。そこで地元との今後の良好な関係を考慮し、博覧会に参加した、各パビリオン、政府館を代表する意味で、エキスポセンターで解散式を挙行することにした。

927日正午から地元桜村、商工会、警察、消防、住宅都市整備公団、各研究機関、有力企業、旅行運輸機関、推進組織、学識経験者、協会、各パビリオンの代表約220人を招いて解散式が行われた。

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写真 レプリカ贈呈

館長からの運営報告および感謝のことば、また政府館総館長、桜村村長からの挨拶があり、ついで、国際発明博覧会(1985年プロビティフ)、国際交通博覧会(1986年バンクーバー)、国際レジャー博覧会(1988年ブリスベン)に贈呈した記念盾のレプリカが、三菱未来館館長からつくばエキスポセンター館長に手渡された。これらは今日財団法人つくば科学万博記念財団として、エキスポセンターに大事に保管されている。

 

7-9-4 あとがき

 

 万博は終わった。関わったすべての人一人ひとりに、何らかの感慨を残して。所詮、筆者もその一人に過ぎない。個人としては、ある程度の満足感と、一種の虚無感の中におかれた。

917日の朝、テーマ館に出勤。総館長室はそのままであったが、明るい顔をみせて元気に助けてくれた秘書はだれもいない。警備と運営の職員は昨夜の疲れをのこした面持ちで、片付けなどしていたが、会期中は立ち入れなかったコンパニオンの控え室は、きれいに片付いていた。その整然と片付けられていたロッカーが、突然途方も無い寂しさとなって、襲ってきた。この涙はなんだろう。

後日、土光会長のもとに、あと始末の終了の報告と、御礼を合わせてお伺いしたが、会長は筆者の顔をご覧になるやお足がご不自由にも関わらず、すっとおたちになり、こちらに歩み寄られたので、あわてて会長のそばに寄らせていただいた。御礼を申し上げる筆者に、ただ、良かったね、よくやったね、と声をかけてくださった。そのお顔に涙を見たとき、筆者はこみ上げてくる感激に、感情を抑えることができなった。会長が一緒に流してくださった涙。

これほどの宝はこれからも持つことはできないに違いない。

5ヶ月にわたった、冗長な「つくばへの道」にお付き合いしていただいたことに、深く感謝しつつ、筆を折らせていただきます。ありがとうございました。         

なお、新しいブログを準備いたしておりますので、また、よろしく。

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2007年6月 6日 (水)

7-8-3 成果と評価(その3)

7-8-3  海外の新聞等の論評

海外の新聞・雑誌は、科学万博に対し次のような評価を与えていた。

7-8-3-1 アメリカ『ボストン・サンデー・グローブ』 BOSTON SUNDAYGLOBE(198569日付)

「この博覧会は、映像の博覧会である。日本の企業パビリオンの大部分が3Dの映像装置を備えている。本格的な3Dの体験ができるのである。多くの展示物が若者の好みに合っている」

7-8-3-2 アメリカ『マーケット'プレース』 MARKETPLACE(19853月号)

「東洋と西洋が混在する日本の土壌で、科学万博もまた東洋と西洋の技術が調和している点がいちばん興味をそそられる」

7-8-3-3 カナダ『サン』SUN(1985318日付)

「日本は戦後、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万国博と、着々と世界に認められる努力をしてきたが、つくば博は、日本が真に大国に成長したことを証明している」

7-8-3-4 フランス『フィガロ』LEFIGARO(1985317日付)

「つくば博は現代における夢」と評価

7-8-3-5 フランス『ル・モンド』LEMONDE(1985326日付)

「つくば博は日本人にとって現代科学技術の発明とそれを受け入れた要因を見つめ直すいい機会である」

7-8-3-6 西ドイツ『ゲネラル・アンツァイガー』GENERAL-ANZEIGER(1985318日付)

「つくば博には見るに楽しいものがたくさんあり、質量とも、これまでのどの博覧会より優れていることは間違いない。なかんずく、世界に著名な4人の日本人建築家によって設計された会場は、美的にも素晴らしいものである」と評価。

7-8-3-7 ハンガリー、『ニープサバッチャーグ』NEPSZABADSAG(1985320日付)

「主催者の努力によりつくば博は、非常に素晴らしい見世物、正に1つのショーとなっている。このようなショーを予測した人は少なく、むしろ、真の科学技術情報を得ることを予測していた。しかし、この万博が見せているのは、21世紀の杜会である。たとえ展示物の4分の3が何十年経過した後もユートピアに過ぎなくても、21世紀への道はつくばを通過するのである」と、科学万博が21世紀へのかけ橋であることを強調した。

7-8-3-8 ブルガリアの『ラボートニーチェスコ・デーロ』RABOTNICHESKODELO(1985610日付)

「会場に一歩足を踏み入れると、そこは楽しい雰囲気に満ちている。会場にはよく雨が降るが、道路上には水たまりができず、これはアスファルトに吸水装置が施されているためとの説明を受けた。科学万博で何がいちばん面白いかと問われても、パビリオンが種々の趣向を凝らしているので、回答に窮してしまう」

7-8-3-9 ポルトガル、『エスプレッソ』EXPRESSO(198594日付)

「テーマ館の演奏ロボットに集約された日本のエレクトロニクス技術の高さには驚かされた。宇宙、海洋、通信等の分野において次世代の科学技術をリードするのは日本である」と評価。

7-8-3-10中国の、『世界博覧』(19853月号)

「こども広場は、いろいろな道具と造形物を利用して、その面白さと楽しさが満喫できると同時に、科学の原理を身につけ体験することができる。これは、子どもだけでなく、大人にも非常に有益なことである」

7-8-3-11 『人民日報』(1985518日付)

「日本は過去数1,000年にわたり、中国の発明した科学技術を導入し進歩発展を遂げてきた。中国館の展示物は、伝統的科学技術と先進技術の協調という点で、博覧会の目的と一致しており、専門家も一般の人も学ぶべきものが非常に多い。中国の今回の参加によリ、日中の科学技術の交流が一層密接となることを確信した」と論評

7-8-3-12 インドネシアの『メルディカ』MERDEKA(1985713日付)

「つくば博は現在の最先端技術を展示するだけでなく、21世紀に実現するであろう科学技術の夢を映し出している」と述べた。

7-8-3-13 メキシコの『エルワィナンシェロ』EL FINANCIERO

「当博覧会の目的は、先進諸国が途上国とともに科学のさまざまな分野における経験を共有し、同時に歴史、価値観、文化、伝統をも理解しようというものである。このようにして参加者も入場者も、今日、われわれが日々のものとしている科学技術を見直し、あるべき未来像を考えることができるはずである」

7-8-3-14 モロッコの『アル`ミタック・アル・ワタニ』AL-MITHAGAL-WATANI(1985730日付)

「この博覧会は、驚異で、科学のファンタジー、技術の充溢を展示し、21世紀初めの世界の姿を見せてくれる。ただし、世界がそれまで〈生き延びれば〉の話だが…」と、評した。

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2007年6月 5日 (火)

7-8 成果と評価(その2-2)

7-8 成果と評価(その2-2

7-8-2  評価―国内の新聞論調(続き)

7-8-2-5 魅力が薄れた国際博覧会―毎日新聞(916日・社説)

21世紀へ向けての新しい科学のイメージづくりをうたった国際科学技術博覧会(科学万博)16日、184日間の会期の幕を閉じる。2,000万人が参加した6,500億円の祭典、科学万博とはいったい何だったのか。

閉幕を6日後に控えた10日、実質的な最高責任者である伊原義徳・事務総長は早々と成功宣言をした。入場者が特別博としては史上最高の2,000万人に達すること。外国館の参加も多く、要人(VIP)13,700人来場したこと。収支も黒字基調のトントンであることなどが、その理由だと思う。

だが、博覧会は映画やプロレス興行とは違う。お客の入りや収支も大切だが、それ以上に国民にどんな知的刺激を与えたかが間題のはずだ。その点で本当に成功といえるかどうか疑問である。

確かに出展には見るべきものがあった。大画面、立体映像、知能ロボット、ニューメディア。先端技術の織りなすショーは、21世紀の世界の一端を先どりして見せてくれた。科学技術の成果に目を見張った人もいるに違いない。しかし、どれだけの人がお目当てのパビリオンにすべて入館でき、見物を堪能しただろうか。

会場では、人気館の前で何時間も立ち続ける姿、一カ所をみただけで休憩をきめこむ人、整理券を入手できず不満顔の若者などが連日のように見られた。入場者については、青少年が少なかったことも予想外で、15歳-29歳の年齢層は全体の27%。大阪万博を12%も下回った。若者の科学心を揺さぶりたい、とのねらいも、はずれたわけである。

主催者の見込み違いや不始末は、ほかにもいろいろある。例えば輸送手段。来場者の半数は国鉄利用との予測は完全にはすれ、国鉄とシャトルバスは大赤字を出した。

また、会場設計のミスから人の流れが偏り、一部の物品販売店にさっぱりお客が来ないという現象を招いた。このためか、会期中に事業部長と観客輸送部長が更迭されている。国際博では異例のことだ。

こんどの催しが「人間`居住・環境と科学技術」というテーマからズレてしまったことは、以前にも指摘した。国内出展企業が派手さを競ったためでもあるが、テーマに忠実であろうとした外国との間にアンバランスが生じた。その結果、人気は民間パビリオンばかりに集中、地味な外国館は影が薄くなってしまった。国際博覧会として好ましいことではない。

科学万博は筑波研究学園都市の名を世界に広める効果はあった。地域開発にも貢献した。企業のPR効果も大きかった。しかし、国民的な盛り上がりは会期を通じてほとんど見られなかった。国際博という催しが魅力を失ってきたためではないか。

わが国での国際博開催は大阪万博、沖縄海洋博に次いで3回目。世界的にはエネルギー博(昭和57)、河川文明博(59)、科学万博、交通博(61)、レジャー博(62)と日常化した観がある。

そのうえ、今日では世界の出来事が瞬時に茶の間のテレビに映し出される。毎年何100万人が海外へ出かけ、国際見本市もしょっちゅう開かれている。もう国際博覧会の時代ではない、といったらいい過ぎだろうか。

7-8-2-6 科学万博は何を見せたか―日読売新聞(年917日・社説)

国際科学技術博覧会(科学万博つくば‘85)16日閉幕した。6,500億円の巨費をかけたハイテク(先端技術)ショーを、2,000万人もの人が見た。万博協会の調べによると、入場者の約63%が、科学万博に対して「よかった」と評価している。「よくなかった」と答えたのは、わずか12%だった。

科学万博を見て、「世界の最先端技術が見られた」「未来の生活を知った」「科学技術の重要性がわかった」などと答えた人が多く、科学技術に対する啓発効果はあった。

万博の歴史を見ると、万博が開かれるたびに新しい技術が生まれている。電話、タイプライター、自動車、ナイロン、テレビ、人工衛星などは、万博でデビューした。つくば科学万博は何を見せただろうか。

それは、映像だった。

科学万博は、別名「映像博」といわれた。28の民間パビリオンのうち、26までが映像をみせた。政府の歴史館、テーマ館などにも例外なく映像があった。

21世紀へ向けて、われわれの身の回りには、ますます映像がはんらんするということを示すのだろう。

人工頭脳や自動通訳機が目についたくらいで、新しさを感じさせる技術はなかった。知恵の見せどころであるにもかかわらず、民間パビリオンには、ディズニーランドをまねたものが目立った。

まだしばらくは、日本のハイテク製品もオリジナルなものが少ないということだろう。

開幕前の世論調査では、若い層に関心が強かった。いざ始まってみると、1529九歳は、全体のわずか27%だった。大阪万博に比べ13%も少なかった。

若い人を引きつける新鮮さに欠け、中年の勤め人が、職業意識に駆られて見に行ったケースが多かったようだ。

「人間・居住・環境と科学技術」が科学万博のテーマだったが、わが国からの出展物は科学技術に偏っていた。人間・居住・環境のテーマは、表現が難しいというより、関心が高くないのだろう。

ハイテクを掲げて、「働け働け」という日本の現状はまだ続きそうだ。

ロボットのショーは楽しかったが、よく故障した。会場内の情報ステーションも、期待ほどのことはなかった。寝たきり老人の介護などにロボットの導入が期待されているが、まだ甘い期待は禁物だ。

それにしても、炎天下で2時間も3時間も行列しなければ入場できない会場の運営にはあきれた。主催者は、入場者の利益よりも、「赤字を出さない」という主催者側の利益を優先させていたからだ。

これが、人間や環境をテーマにした科学万博の実体だった。国鉄の駅と会場をつないだシャトルバスはなかなかいい乗り物だったが、600円の料金に1,000円札を出しても、釣り銭が出ない。バス停に両替機はあったが、15レーンのバス・ゲートに対し、2か所にしか置いてない。そのことを知らせるアナウンスも掲示もなく、不満の声が高かった。

いくらハイテクを見せても、心が通っていなければ効果はない。ハイテク社会でも心の大切さを教えられた万博だった。

7-8-2-7 茨城と科学万博総決算―いばらき新聞(918日―28)

科学万博の成果、問題点を開催地元の立場から検討してみよう。

まず2,000万人をやっと超えた入場者数だが、目標を達成できたといっても、開幕前後には3,000万人の予想があり、科学万博協会や県はそれなりの対応策を検討し、期待もかけていただけに、もの足りない印象を受けた。大阪万国博や神戸ポートピアが目標を大幅に上回る実績を残しており、科学万博の場合、なぜ2,000万人以上入らなかったのかを考えてみる必要がありそうだ。

採算面は黒字基調のトントン、というところに落ち着いた。しかし、シャトルバスが大赤字となったほか、撤去費が予算を上回るなど、資金計画にミスがみられた。

財団の性格から、積極的にもうける必要もなかったろうが、入場者数の目標突破にもっと意欲を燃やせば、その結果が黒字という形で表れたのではないか。

運営面の問題点としては、会場内の営業施設も挙げられる。開幕当初、「高い」「まずい」と不評を買ったのを発端に、売れ行き不振をめぐって、協会と業者のトラブルが絶えず、営業参加者協議会は

①当初計画より営業施設が増え過ぎた

②営業施設の設置場所、構造が悪い

③店舗獲得のための入札金などが高過ぎた一などの理由で、協会の責任を指摘していた。

会場周辺に目を移しても、民問駐車場や旅館・ホテルなどの“あやかり商法”が相次ぎ失敗。倒産する業者が出たり、賃金不払いのまま雲隠れを決め込む業者などもあり、結果的に本県のイメージ・ダウンにつながった。

これら問題点があったにしても、それを差し引いて十分おつりがくるほど、成果は大きなものがあった。

本県のPR効果からみると、会場となった筑波研究学園都市が国内だけでなく、海外にまで広く知れ渡り、「世界的な科学技術の中心として育成する」との開催目的を達成できた。また、「茨城」の名前も全国的に売れ、東京から近いイメージを与えられたのも、成果の一つだ。

国際交流の深まりは、「世界に開かれた茨城づくり」の契機となった。会期中、100万人近い外国人が会場を訪れ、世界のVIPも続々と詰めかけて、いばらきパビリオンなどを見学。それがきっかけになり、姉妹都市や姉妹県の提携に発展。閉幕後は外国館が出展施設を本県にプレゼントしてくれる、おまけまであった。

教育上の効果をみると、県教委は県内小一中学生の万博見学を授業の一環と位置づけ、約33万人の入場料1億円を予算化。その結果、高校も含めた924校が万博を見学。次代を担う児童、生徒の科学に対する興味や関心を高めたばかりでなく、国際教育、科学教育の面でも大きな成果を収めた。

科学万博は地場産業や県内観光の振興にも役立った。科学万博県産品協会は、会場内で目標にしていた10億円を軽く突破する売上高を記録。県産品のPRに大いに貢献した。県内の観光地は万博見学の前後に訪れる行楽客で潤い、会期中の入れ込み客は前年同期に比べ、全体で41%も伸びを示した。

最後に、いばらきパビリオンのおまつり広場を舞台に繰り広げられた郷土芸能をみると、文化振興、伝統芸能の見直しに結びついた。「市町村の日」をはじめとした催しには、県内92市町村の郷土芸能団体などが参加し、公演数が延べ1,000回を超えた。出演者は8万人にも及び、まさに県内郷土芸能の一大祭典だった。

7-8-2-8 取材班も一言―つくば衛星新聞(916日)

・心が動いた。映像が浮いた。不思議と思った人にだけ一科学はおもしろい(川勝)

・万博万歳!何時間も並び何を見せられても怒らない忍耐力にもバンザイ(福井)

・次の万博は5年後、関西で「花と緑の国際博覧会」か。再会を(赤羽)

・ビカピカ、チカチカ。レーザー光線。ガタゴト、ロボット君、ああ万博(高野)

・「あれっ」と思う心が未来の礎に。子らよ、がんばれ!(島名)

・難しいことを言いなさんな。好きこそものの上手なれ。興味は科学の母(白井)

・学んだのは、開門と同時に目指す館にダッシュする、あのエネルギー!(氏岡)

・炎天と行列にめげず万博をめざした4,000万の眼。21世紀をしっかり見つめて.(八田)

・ドタンバでようやく満員御礼。春先の閑散がウソみたい。これも国民性?(岡崎)

・エばらきつくばは キよねんもあすも スぁいえんすの ポりすです(佐藤)

・幕開けは小雪、閉幕は冷雨。でも心はいつも温かだった(松野)

・ワープロ、ネガのダイレクト電送機など、時代は変化(星野)

・こんな世界だけだったら、イヤだなあ。21世紀(宮本)

・科学もよかったけど、新しい友もできた。ありがとう(花井尊)

・人肌のぬくもりを感じさせた外国館。これから必要なのはその配慮では……(金森)

・科学の未来、限りなき人間の情熱に“バンザイ”(平野)

・「科学技術」が、ぼくたちの未来を裏切らないように(山本)

・科学の美にユニバースの美。感動するって大切ですね(森下)

・一度にたくさんのドラマが生まれた。「ベリーナイス」(花井崇)

・何千行書いても万博はお祭りか国民の教育の場か。わからずじまいで秋の風(大野)

・地球儀、トマト、立体画像、観覧車、行列、筑波の山並み(見角)

  (見角さん、皆さん、いろいろ勝手に使わせていただいてありがとうございました。)

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7-8 成果と評価(その2-1)

7-8 成果と評価(その2-1)

7-8-2  評価―国内の新聞論調

7-8-2-1  科学は万博だけで終わらない―朝日新聞(916日・社説)

「科学万博一つくは'85」は、入場者2,000万人という目標を達成し、16日幕を閉じる。

「人の波を見に行ったようなもので、人気パビリオンには、一つも入れなかった」とか「メディアあってメッセージなし」「ハードあってソフトなし」といった批判が入場者、とくにおとなの間にあった。店を出した人たちにも「思ったほどの商売にならなかった」という不満が残った。

しかし、何はともあれ、「科学」と銘打った博覧会に、500万人近い子どもたちが訪れ、最先端の技術や科学史、技術史の実物に触れて楽しむ機会を持った。その事実を高く評価したい。

確かに、高度成長の時代には、技術のマイナスの影響を企業の経営者や行政担当者がないがしろにした。環境が汚染され、多くの人たちが病気になったり、命を失ったりした。そのこともあって、人びとは科学と技術に少なからぬ敵意を抱いた。「技術」と聞くと「公害を生んだ元凶」ととらえ、「科学的」という言葉から「人間のやわらかい心を押しつぶすもの」を感じる人が増えた。

しかし、今日、日本人の平均寿命が世界一となり、ひと昔前と比べ比較的平等で豊かな暮らしを楽しむことができるのは、日本の科学や技術の水準が近年大いに向上したことと無縁ではない。

高い平均寿命は、抗生物質や手術だけで支えられはしない。科学的なものの考え方に裏うちされた食生活や医学知識が国民各層にしみ通っていることが大切である。住まいの暖冷房や環境の浄化度も平均寿命と深いかかわりを持つが、その裏方として技術が果たしてきた役割は大きい。

技術力は、福祉の基盤としても重要である。スウェーデンの今日の高福祉水準も、長年にわたる経済成長と、それによって実現された世界最高の経済水準を基盤としてはじめて可能になったのである。資源に乏しい日本の場合、経済を支えているのは、加工貿易であり、製品の国際競争力である。

幸い、日本の技術者はさまざまな分野で、わが国の技術を世界のトップレベルに押し上げた。その結果が、いま、膨大な貿易黒字となリ、経済摩擦のもととなっている。

しかし、摩擦を恐れる余り進歩を止めたり、技術レベルの高さに酔っているわけにはいかない。科学も技術も日進月歩である。きょう「最高の技術」といわれるものが、明日は陳腐化してもはや商品価値を持たない、ということが絶えず起きる。研究と開発の手綱を緩めるわけにはいかない。

これから21世紀にかけて、科学と技術は、さらに急速に発展することが予想される。そのテンポの中で日本が立ち遅れることなく、しかも進歩に伴うマイナスの影響を見落とすことのないようにしてゆきたい。そのためには、科学的なものの考え方や技術の開発に対する国民の冷静な理解と支持、そして若い頭脳の創造性が不可欠である。

つくば博が成功したかどうか。それは、科学や技術に対する国民の理解と親しみを高めることができたかどうかで判断すべきものである。成果は、これから21世紀にかけて、ゆっくりとにじみでてくることだろう。

科学技術に対する人々の目が冷ややかななかでこの博覧会を企画し、実現した関係者たちの労苦に敬意を表したい。

また、この博覧会で得たノウハウを駆使し、失敗の経験を生かし、こどもたちの科学的なものの考え方と創造性の芽をのばす、質の高い常設の科学博物館が、全国各地につくられることを期待したい。

7-8-2-2  成功した“科学のおまつり”―サンケイ新聞(918日・主張)

茨城県筑波研究学園都市の西方で、184日間にわたって繰り広げられていた国際科学技術博覧会(科学万博一つくば‘85)が幕を閉じた。目標の入場者数2,000万人を閉幕前日に超えたこと、大きな事故が会場建設時から会期中を通じてなかったことなど、わが国で3度目の万国博覧会は一応成功したといっていいだろう。

「科学」という中年以上の世代にはとりつきにくいテーマをかかげた万博に、いかにして観客を動員するかが、主催者である国際科学技術博覧会協会の基本構想の主要な課題であった。このむずかしい課題を「科学のお祭り」と位置づけた時、はじめは千葉・浦安の東京ディズニーランドとの差をどう出すのかという疑間を抱いたのはわたくしたちだけではなかったと思う。

しかしこの疑問は、開幕と同時に消しとんだ。ディズニーランドとの決定的な違いは、観客自らが参加できることであった。入場者のうち、文句なく万博を楽しんだのは小学生である。展示施設のコンピューターを操作し、ロボットを動かし、体全体で真剣に“科学”を体験しているようにみえた。これに対し、主催者のねらいの中心であった中、高校生はやや消極的、青年層や中・高年層のサラリーマンや自営の人たちはさらに自ら参加することをためらい、ハイテクが生みだした映像に接してもなんとなく不満足な表情を示す人が多いようにみえた。

仕組みを理解し、納得してから体験をする世代と、生まれた時からコンピューターがあり、すべてを抵抗なく肌で感じとる小学生以下の子供たちとの感性の違いであろう。この傾向はとりもなおさず、21世紀の科学技術の発達の方向づけを示したともいえる。

識者の中には、また観客からも「万博は科学遊園地のようで“なぜ”'に答える科学性がない」との批判がきかれた。確かにそうした面がないではなかった。しかし、もし中年以上の一般の人にもこれらハイテクの最前線にある展示物の仕組みを納得するように説明するとなれば、事実上不可能である。ハイテクの現状は、もはや一般市民の理解を超えるほど高度なのだ。

「なぜ」にこだわるよりも、「科学とは楽しいもの」「むずかしくないもの」という感覚を子供に植えつけ、将来の科学者の底辺を広げることができたら、今度の「科学のお祭りは成功したといってもいいだろう。

科学万博でありながら、およそ科学とは無縁なところでの批判もあった。筆頭は想像を絶する人気パビリオンヘの入場待ちの長時間行列である。観客側にも人気館への集中のし過ぎという面があったが、「万博に行かなかった」人の大半が、この行列に対する嫌悪からだったのは惜しい限りである。

また、地域の活性化と言うねらいと、国の財政難から地元負担を前提に計画されたために、地元に対するゆきすぎた妥協があった。この結果、歴史的イベントらしからぬ、営利のみと便乗の商魂が横行した。売店の騒々しさときたならしさはその典型である。

本来なら純農村地帯である万博会場周辺は、万博のおかげで多くの外国人と接することができ、会場に入れば各国のナショナルデーの催しもみることができた。いわば地元の人は居ながらにして世界旅行を体験するという幸運に恵まれたのである。

この経験を今後に生かすも殺すも地元次第である。

7-8-2-3  科学万博と日航機事故の間―東京新聞(916日・社説)

「未来は明るい」と科学万博。「いや科学は万能でない」と日航機事故。人間と科学の在り方を改めて考えさせられた半年だった。きょう16日、科学万博閉幕。

もし、モノに対する安全装置と同様に、人についての安全装置が確立されていたらと悔しい思いかいまでも走る。

例えば、812日夕、伊豆沖で日航機が操縦不能の第一信を発した直後に救難機が飛び出せる緊急システムが整備されていたとすると、事態は大変わりしていたかもしれない。そして、迷走する日航ジャンボ機を両翼の下から救難機が支えることができたら……、あるいは、ジャンボ機自体が地面に垂直に噴射できる緊急用ジェットエンジンを取りつけることができたら……。

ジャンボ機そのものについては長らく“安全神話”が伝えられていた。確かに、操縦機器のフェイルセーフのシステムや機体の堅ろうさには定評があった。しかし、それはあくまで、飛行機という物体に対して科学・技術が凝集したもので、乗客、つまり人間を救うための高度のシステムにまでは、残念ながら、まだ科学・技術は到達していない。

きょう閉幕する科学万博のメーンテーマは、まさにこの人と科学・技術のつながりを考える「人間・居住・環境と科学技術」であった。

かいつまんでいえば“科学”は学問として物事の「なぜ」を追求し、“技術”は科学の成果を「どのように」人のために役立てるかを考え実現させていくものだ。

184日間で2,000万人を超える観客を呼んだ会場は、こうした科学と技術の最先端を映像やロボットの形でわかりやすく情報として伝えるパビリオンでいっぱいだった。

そこには、情報を主役とした明るい技術社会の未来像があり、とりわけ、日本の各企業が得意のハイテクの工夫を凝らした“`パフォーマンス”は、娯楽としても一級品といえるほどの質の高さを誇っていて、15年前の大阪万博では超人気だった海外諸国の展示さえ今回は色あせて見えたほどだ。

それに、これだけの観衆を連日迎えながら、大きな事故が起こらなかった設備、機器の優秀さも及第点がつけられよう。国際的にも抜きん出てきたわが国の技術の分厚さを改めて知らされた思いである。

“モノ”の視点で見る限りでは、このように成功といえる科学万博だったが、さて“人”とのつながりというメーンテーマの理念に戻ると、やはり、日航機事故と同種の懸念がわく。超人気パビリオンの長過ぎる待ち時間、そして最後まで解決しなかった土産物店とのトラブル、駐車場のわかりにくさ……。

科学万博は“お祭り”であり、観客には、まず科学・技術のおもしろさを知ってもらえればいいと、主催者の万博協会側は開催当初から語っていたが、“祭りの客”の迎え方としては、こうした不備は失礼だった。つまり“人”に対する技術が未熟だったのである。

日航機惨事も、有毒のジエチレングリコールのワイン混入が検査できなかったことも、もとをたどれば、これと同じ結論にたどりつく。これからの科学・技術は、よりいっそう“人”とのつながりを重視する形に変えなければならないということだ。科学万博と日航機惨事の二つの出来事は、そのことを、片や2,000万人の人出、片や500余人の犠牲者の口を借りて語りかけているように思われる。

“お祭り”のあとの哀愁は、この秋、ひとしおである。

7-8-2-4  科学万博「つくば‘85」の総決算―日日本経済新聞(916日・社説)

317日から6ヵ月、184日間にわたって、筑波研究学園都市(茨城県)の西部、広さ約100㌶の会場で開催されていた科学万博つくば‘85がきょう最終日。名誉総裁の皇太子殿下と中曽根首相らを迎えて、午後二時から閉会式が開かれる。「人間・居住・環境と科学技術」をテーマに延べ2,000万人の老若男女が内外から集まった科学技術の祭典であった。パリ条約、(1928)に基づき、主催国日本を含め48ヵ国、37国際機関と28の国内企業グループが参加した万国博。官民6,500億円の巨費を投入したビッグイベント。西暦2,000年まで残り15年の段階で21世紀を展望する未来博。先端技術のシーズ(種子群)が一堂に会したハイテクのショーウインドー。万華鏡のように多種多様、多彩な角度から筑波博をとらえて意義付けることができる。

わが国としては大阪万国博(昭和45)、沖縄海洋博(50)に続く3度目の万国博である。大阪博は総投資額13,500億円で入場者は64,218,770人。

沖縄博は総投資額3,000億円で入場者3,485,750人。総投資額6,500億円で入場者2,000人の筑波博は、沖縄博に比べてはもちろん、高度成長の絶頂期に開かれた大阪万国博に比較してもまずまずの成績を収めたといえる。

国家財政窮迫の折から、筑波博は地元負担、民間活力利用を前提に全体プランが立てられた。会場用地は茨城県が提供し、博覧会以後は筑波西部工業団地として使用される。分譲価格が3.3平方㍍当たリ13万円弱と比較的安いこともあって、ハイテク企業が進出、14区画中12区画は決定、残り2区画も来年3月までには進出先が決まる。会場内の公園や池、周辺道路もそのまま利用される。

6,500億円の投資といってもその内訳は政府館365億円、企業館674億円、外国館約1,000億円、関連公共投資4,400億円である。常磐自動車道など公共投資の前倒し分はそのまま施設が残り、社会資本、国民資産として広く、長く利用される。企業館、外国館は先方の負担だし、政府館関係も会場を離れて研究学園都市の中央に建設されたつくばエキスポセンターは恒久施設として残り、世界最大級のプラネタリウムや大スクリーンの高品位テレビも継続利用される。

筑波博は国が主催するプロジェクトであって、初めから営利事業ではない。事前予想の2,000万人の目標の入場者数を超えたか超えないかとか、博覧会協会の入場料主体の収支が「50億円の赤字」か「10数億円の黒字」か、とかだけで、成否を論じようとするのは本末転倒である。収支をつぐなって余りがあるのは結構だが、博覧会の本来の効用は文字通り“広く見る場”としてのデモンストレーション効果にある。

1851年にロンドンで初めて開かれた万国博のモニュメントには水晶宮が残り(のち焼失)、“ガラスの時代”を予告した。1889年のパリ万国博の後にはエッフェル塔が残り、“鋼の時代”の象徴となった。大阪万国博の跡地、千里丘陵にはいまも“太陽の塔”がそびえている。筑波博の跡には何が残るか、後世への最大遺産は何か。

万国博を機会に世に出た新発明や文明の利器は過去にも数多い。電話、白熱電灯、冷蔵庫、エレベーター、アイスクリームコーンなどはそのほんの数例である。今回の筑波博でも超LSI、光ファイバー、半導体レーザー、バイオテクノロジー、ロボット、人工知能、リニアモーターカー、通信衛星、ニューメディアなどのニューテクノロジー群が会場いっばいに展示され、巨大スクリーン上に乱舞した。

2,000万人という入場者は12,000万人の全国民の6人に1人に相当する。その心に深く刻まれたハイテクの臨場感と印象が筑波博の後世への最大遣産になる。博覧会協会のまとめた入場者の年齢構成は、4歳から22二歳までの若者が37.2%を占め、大阪万国博の34.8%や神戸ポートピアの35.3%よりも高い。“未来への窓”の体験者である若い魂の持ち主からアインシュタインやエジソン、湯川秀樹や江崎玲於奈に匹敵するあすの人材が輩出するか。今後の宿題である。

入場者へのアンケートでは「日本人の3分の2、外国人の7割が来てよかったと答えた」と協会のリポートは述べている。元首6人を含めて外国からは6,600人、国内も合わせると14,000人の要人やリーダーたちが参加した。“豊かな時代の平和な万国博”としての印象が外国関係者の間には強かったといわれる。大混雑はしたが、死傷、火災、中毒などの事故がなくて済んだことも幸いであった。

筑波博で紹介されたハイテクの種子群は今後企業グループの手によって続々と商品化、実用化されて杜会に導入適用される、21世紀博、未来博、ハイテク博としての筑波博の意義がそこに存在する。その意味で、テクノロジーアセスメント(技術の事前評価)のこよなき機会として筑波博の体験を活用せねばならない。

科学技術は使い手の意思と目的によってプラスとマイナスの効果を持つ。原子力、宇宙、海洋、コンピューターなど最近の巨大科学は軍事と平和利用という二つの顔を持つ。また最新の先端技術はいわば未完成であり、思わぬ副作用を社会にもたらすおそれもある。また可能な技術をすべて導入、実用化する必然性や必要性は人間社会にはない。

取捨選択の基準がこれからはきわめて重要になる。国民の一人一人が主役であり、判定を下さねばならない。科学技術への過信や妄信は極力避けねばならないが、不信も正解ではない。是々非々で進まねばならないところに今後の路線のむずかしさがある。イエスとノーを使い分け、注文を出して、よりよい代案を求めるには、一般国民も科学技術の専門家も、ともに話し合う場が不可欠である。

国民の9割以上が中流意識を持つに至った“豊かな社会”の平和な日本であるが、われわれの周りにはまだまだ満たされぬ空白がある。一瞬にして500余の人命を奪った日航ジャンボ機事故が示す「安全」の問題、“核の冬”報告が物語る「平和」と「環境」の問題、社会にまだ絶えぬ「犯罪」や「災害」、筑波博自体が如実に示した「交通」と「混雑」などの課題がある。

われわれの身辺にはまだまだ必要な科学技術が不足しており、われわれの世代にはそれを解決すべき知恵が足りない。筑波博を総決算し、真に望ましいあすの日本の社会設計、生活設計へのスタート台と推力としてそれを役立てねばならない。

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7-8 成果と評価(その1)

7-8 成果と評価

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7-8-1-1           地元茨城県は、その公式記録の中で、つくば科学万博’85の成果を次のように、高く評価してくれた。

 第2節 21世紀に向けて

 1茨城のイメージアップ

筑波研究学園都市で繰り広げられた科学万博は、2,000万人を超える内外の人々を迎え、茨城の地で育った科学技術や発展躍進する茨城の産業、歴史と伝統に育まれた香り高い芸術文化に触れてもらう絶好の機会となった。

科学万博を機会に学園都市は、一層国内外から注目され世界的な科学技術の中心地として、基盤が築かれ、茨城の名も国内外に広く知れわたった。

いばらきパビリオンを訪れた観客は、本県を紹介する映像・展示を見学されて

・日本の科学技術の""筑波研究学園都市はすばらしい

・筑波研究学園都市、原子力研究施設、日立・鹿島の工業地帯は、今後世界から注目されるであろう

・茨城は、東京から意外と近いのにびっくりした

などのコメントが残された。

このように、科学万博に訪れた人々は、豊かな大地、躍進する産業、そして県民の心あたたまるもてなしなど、開催県茨城への認識を新たなものにしてくれたに違いない。

2広がる国際交流

かつてこれほど、さまざまな国から多くの外国人が茨城県を訪れたことはなかった。

科学万博会場では、いばらきパビリオンを舞台に国際交流セレモニーが繰り広げられたり、ナショナル・デー、スペシャル・デーへ児童生徒をはじめ県民が友情出演してマーチングドリルや郷土芸能を披露。さらには、遠来の客をあたたかく迎えたホームステイなど、民間ベースの交流も活発に行われた。

また、開催地元県に感謝の念をこめて、出展参加国のエジプトやイタリアから古典音楽コンサートがプレゼントされたり、友好の絆としてフランス、ベルギー、アメリカ、ソ連など13か国の外国館から展示品が寄贈された。

外国からの観客の多くは、科学万博会場のみならず、頭脳都市筑波研究学園都市をはじめ東海・大洗に広がる原子力研究施設、21世紀のエネルギーといわれる那珂町の核融合研究施設、日立・鹿島の工場群や観光・文化施設を回遊し、県内各地で交流親善を深めることができた。

こうした国際親善交流の芽は、牛久町(カナダ・ホワイトホース市)、豊里町(カナダ・サマーランド市)が科学万博を契機に姉妹都市を締結するなど地域で国際交流の輪が広がった。

このように、県民は、世界のさまざまな人々と出会い、理解し合い、国際性を高めることができた。

こうした人と人の交流、心と心の通い合いは、それぞれの胸の内に科学万博の想い出として残されただけでなく、明日への「世界に開かれた茨城づくり」の糧として活かされていくことだろう。

3はばたく茨城

科学万博の成功は、21世紀へ飛躍する茨城づくりにさらに弾みをつけた。

科学万博の開催は、県内の産業・生活基盤等の社会資本の充実をもたらし、ひいては、県経済の長期的発展を促すなど県民福祉の向上に寄与すると考えられる。

とりわけ、常磐自動車道が県内を縦断し、首都東京までの時間を短縮したことは、民間資本の導入促進などに大きなメリットをもたらし、「調和のとれた活力ある地域づくり」の推進力になるものと期待される。

また、わが国の国立研究機関の3割が立地し、21世紀の科学技術の拠点として名実ともに期待される筑波研究学園都市の生活環境も一段と整備された。

科学万博会場跡地は、この都市にふさわしい筑波西部工業団地として生まれかわり、筑波北部工業団地とともに研究開発型企業の立地が決定するなど、ここでは最先端技術の集積をますます高め、真に魅力ある都市として自立発展することが期待されている。

一方、270万県民が一丸となって、科学万博の成功というひとつの目標に向かって遭進したことは、県民すべてに新たなる連帯感と郷土愛を育み、未来に挑戦する勇気と自信をもたらした。

さらに、いばらきパビリオンでは、さまざまな県内の郷土芸能や催事が披露され、自分たちの郷土文化を見直そうという大きな気運にもつながった。

科学万博は茨城県のもつ潜在的エネルギーを掘り起こし、県民に明日への大いなる夢をかきたててくれた。

特に、目を輝かし、興奮とときめきのうちに科学万博を見学した新しい時代を担う子供たちは、日本と世界を同時に見るという貴重な体験をもつことができ、やがては広く海外に視野を向けた国際的人間として成長することであろう。

7年間にわたり県民総参加のもとに進められてきたこのような国際的大イベントの経験は、21世紀に向け、世界にはばたく新しい茨城づくりに大きな財産を残してくれたのである。

7-8-1-2           国際科学技術博覧会協会は、公式記録の中でその成果を、つぎのように述べている。

 国際科学技術博覧会の成果

 

  国際科学技術博覧会(科学万博一つくば'85)は、昭和60916日、2,000万人を超す観客を動員して6ヵ月の会期を終了した。

科学万博は、わが国において日本万国博(昭和45)、沖縄海洋博(昭和50)に次ぐ3番目の、また首都圏で初めて開催された国際博覧会条約に基づく博覧会である。従って、国家的な大規模イベントとして、開催地・茨城県を含む関東地域および全国の社会経済のさまざまな側面に、大きな影響を及ぽした。中でも、次の諸点を「科学万博の成果」としてあげることができるであろう。

1.科学万博の出展規模は特別博覧会として最大規模を達成し得た。

科学万博は、海外から47ヵ国、37国際機関、国内からは日本政府のほか、28企業・団体の出展参加を得るとともに、内外から2,033万人もの入場者を得、国際博覧会条約に基づく特別博覧会としては史上最大の規模のものとなった。

また、財団法人国際科学技術博覧会協会が実施した来場者実態調査において、日本人来場者の621%および外国人来場者の83.6%が「非常によかった」「よかった」と答えているように、科学万博に対する内外の人びとの印象は、おおむね良好なものであった。

さらに、大規模な行事であるにもかかわらず、開催準備および開催期間を通じて、特別な事故や混乱もなく無事終了したことも大きな成果といえよう。

2.科学技術に対する理解を深めることに貢献した。特に青少年への啓蒙効果は大であった。

博覧会協会は科学万博の意義の1つに、「21世紀を創造する科学技術のビジョンを示し、科学技術に対する理解を深める。特に、青少年に未来の科学技術を正しく理解させ、優秀な人材を科学技術の分野に誘引する」ことを掲げた。これは科学技術の啓蒙促進効果が、科学万博開催の大きな柱の1つであったことを示している。

人類社会の発展の原動力としての科学技術の重要性については、広く認識されてきているが、多くの人びとにとって、依然として科学技術は専門的で難解なものである。そこで科学万博においては、観客が楽しみながら科学技術に親しめるよう関係者が創意工夫した結果、科学技術を身近なものとして表現することができた。

博覧会協会が民間調査機関に委託して行ったアンケート調査によれば、科学万博は開催意義があったと思う理由のトップは「青少年の科学技術に対する関心を深めた」(49%)、次いで「科学技術が身近になった」「世界の科学技術を知ることができた」(346%)の順である。この項目は科学万博の啓蒙促進効果を示すものであり、この点を開催意義に上げた人が最も多いことは、人びとが科学技術の啓蒙効果を非常に高く評価していることを示している。

特に小中学生の科学技術に対する関心は、「見学後、興味が強まった」(34.7%)という数字でもわかるように、向上効果が顕著であった。

また、科学万博においては、入場者に対してのみでなく、各種マスメディアを通じて科学万博の模様が大々的に報道されることにより、極めて広い範囲の人びとに科学技術に対する関心を高めることができた。

また、科学万博では、コンピュータ・グラフィックス、液晶大画面、平面テレビ、超指向性スピーカー、人間の動きに近いロボット、ニューメディアを使った情報・通信システム、人工知能、バイオテクノロジー等の最先端の技術について、さまざまな新しいプレゼンテーションがなされ、観客に未来の生活に対する関心を高め、人間・居住・環境とのかかわりから科学技術のあるべき未来像を考えるきっかけをつくった。

3.科学技術に関する情報・交換を世界的レベルで行うことができた。

科学万博における海外からの出展は、47ヵ国、37国際機関に達した。この中に、多くの発展途上国が含まれていたことが特筆される。また、催事においては、非出展国24ヵ国を含む49ヵ国が"This Is My Country"に参加したのをはじめ、世界中の多数の国々が何らかの形で科学万博とかかわった。

これらの国々は、各国の科学技術の状況を多面的に紹介するとともに、科学技術と密接な関係にある文化や歴史などについても情報交換を行い、相互理解を深めた。

6ヵ月の会期中、外国人入場者は2,033万人の総入場者の3.7%に当たる755,000人にも上ったと推定される。この中には6人の国家元首を含む多数の外国要人の姿を見ることができた。

また入場者に対するアンケートによると、国内では、科学万博に参加したことで国際親善交流に対する興味が以前より増したという人が約4割もいた。また、来場した外国人観客の科学万博に対する評価は、8割以上の人が肯定的評価をしており、この万博を機会に7割以上もの人が日本への関心が増したと答えている。

4.筑波研究学園都市の知名度・評価を高めることに役立った。

筑波研究学園都市には、その学術研究機能に着目して内外から多くの企業が進出しつつある。中でも、科学万博の会場となった「筑波西部工業団地」と研究学園地区の北方に位置する「筑波北部工業団地」は、科学万博の開催とともに分譲が始められ、合わせて23(昭和615月現在)の企業が進出した。この中には、半導体メーカーの日本テキサス・インスツルメンツ㈱や日本電気㈱、医薬品メーカーの武田薬品工業㈱、総合化学メーカーの住友化学工業㈱など、エレクトロニクス、バイオテクノロジーなどノ・イテク志向の優良企業が含まれ、全国初の「研究学園開発型工業団地」を形成することとなった。立地企業の中には、今まで関東にはなじみの薄かった関西系、中京系の企業、また外資系の企業が多いのが特徴である。

従来、比較的知られていなかった「筑波」の知名度・評価が、科学万博を契機に急速に高まり、国内のみならず海外からも注目されるようになったといえよう。

5.茨城県の開発、整備を促進した。

科学万博開催に向けて、茨城県では、地域開発・整備を促進した。

中でも公共投資の内、最も支出規模が大きなものが道路関連事業であり、特に常磐自動車道の開発と首都高速道路への接続は、茨城県と首都とを結ぶ動脈として茨城県の経済はもとより、県内外交流の基盤となった。この結果、東京都心より100㎞圏上都市の中で、水戸が最も短時間(80)で結ばれることとなった。

この他、高速道路関連では東関東自動車道の成田JCT~大栄インター間の開通により、国際空港と観光地の潮来および鹿島臨海工業地帯へのアクセスの良化をもたらした。また、一般国道では、国道4号、6号、50号といった幹線道路でバイパスが建設されたのをはじめ、筑波研究学園都市を中心とする地方道・街路の整備が積極的に行われ、筑波研究学園都市周辺地区のアクセスは飛躍的に向上した。

港湾整備としては、大洗~北海道(苫小牧、室蘭)間のカーフェリー就航にかかわる大洗港の整備が行われ、フェリーも就航した。

交通安全施設は、科学万博開催に合わせて「交通管制センター」が設置されるとともに、道路案内標識、信号機の整備が行われ、県内外の人びとのスムーズな自動車交通が図られた。この他、生活関連施設では、上・下水道、ごみ処理施設、医療施設などが整備された。

7-8-1-3 陳列区域政府代表会議は、科学万博閉幕後、次のような共同コミュニケを発表した。

陳列区域政府代表会議共同コミュニケ(抜粋)

広く世界各国の参加を得、多くの国々の国家元首や賓客の来訪を得た科学万博―つくば‘85は、国際友好と理解を深める上で、貴重な貢献をしたというのが、万博参加者一同の一致した意見であります。

発展途上国および参加国際機関の代表は、今回新しい措置がとられ、これらの国々や国際機関の万博への参加を容易にしたことに感謝しております。

外国出展者一同、このような成功をおさめた万博を組織し、実施した日本に対し、衷心より感謝の意を表する次第であります。

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2007年6月 4日 (月)

7-7-3 閉幕へ

7-7 -3   2,000万人突破 そして、閉会へ

7-7-3-1  915日(日) 遂に2,000万人突破

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写真 2,000万人突破

科学万博会場への総入揚者数がこの日正午まえ、目標の2,000万入を超えた。閉幕日を1日残し、開幕以来183日目の達成。2,000万人達成の瞬間、会場の4つのゲートでは一斉にくす玉が割られ、ゲートを通った茨城県稲敷郡桜川村堀之内、主婦小川知子さん(43)、群馬県群馬郡箕郷町、会社員森本勝美さん(37)、福岡県粕屋郡笹栗町乙犬、美容専門学校生高村マリ子さん(16)、栃木県下都賀郡野木町丸林、主婦栗原節子さん(41)ら入場者4人にコンパニオンから花束が手渡された。

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写真 政府館の記念品

77313_2000 写真 だるまに目を入れる(科技庁担当者上原技官と総館長は高崎の同窓。ともに中曽根総理の後輩。郷里より贈られた少林山の福達磨に目を入れて喜んだ)

政府館でも入揚者2,000万人達成の瞬間に、用意した達磨に目を入れた。そして、これまた用意していた、記念品を来場者に配った。記念品は水をテーマにしたテーマ館の大映像のフィルムを栞に造ったもの。

各館でもそれぞれ知恵を絞ったイベントで、この快挙を祝った。

 食事の際、口々に2,000万人達成を喜びあう話題でにぎわったが、総理から「それにしてもどうやってぴったり2,000万人を予測したのか」とのご質問が土光会長にむけられた。土光会長は副会長や役員の方々をみやった。役員の方々は事務総長をみやった。そしてすべての目が総館長に向けられた。総館長は末席で首を回す相手がいなかった。「それは、2,000万人入る容物を作ったからです」。全員大爆笑で落着した。2,000万人来てくれたことを心から感謝している。

7-7-3-2  ミス・インターナショナル・ビューティー・ページェント

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写真 左は優勝者エルナンデス嬢

2,000万人達成の興奮の中、かなりあわただしい思いで審査員席の腰をすえたのは、筆者だけかもしれない。岡田真澄名司会のもと、"美のオリンピック"と形容されるミス・インターナショナルの世界大会。43ヶ国から頗つきの美女が集い、世の中にこれ以上華やかなものはないと思われるほどの幽玄で華麗な祭典が、満員のエキスポプラサで広げられた。。

オープニングは、前日のアトラクション、前々日の日本大会でも披露した民族衣裳によるデモンストレーション。アトラクションを挾んで、プロポーションを競う水着での審査。出場者の妖精たちは、自国のムードをアピールする彩かな色と趣向の限りを尽くしたデザインの水着でビーナスのごとき磨き抜かれた珠玉のボディを披露。蟻の這い出る隙間もないほど埋め尽くした観客は、余りの眼福にすっかり夢見心地。絶え問なく拍手をするが、眼はトロンと溶けてしまっていた。三次審査のイブニングドレスでの勢揃いは、ゴージャスそのもの、観客は忙然自失といった態。結局、準ミス3位にオランダのお人形さんのようなジャクリーヌ・シューマン嬢、準ミス2位は現代的美女のアメリカ代表サリー・ネレ-ン・ジュペラー嬢、晴れの栄冠は塑像のように端正なベネズエラ一代表の二一ナ・シシリア・エルナンデス嬢の頭上に輝いた。

7-7-3-3  民間館の集まり

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写真 さよならコンサート

広場では、民間館のコンパニオンによる、「レインボー5さよならコンサート」が開かれて、集まった観客と一緒に、後一日となった万博の名残を惜しんでいた。

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写真 前夜祭バンド

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7-7-3-4  今日の入場者

雨一時曇り

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写真 33万人を超えた日

 

早朝より周辺道路は大混雑。心配しつつも期待に膨らんだ一日の始まりであった。午前に2,000万人を超えた観客は、その時点で滞留観客数は20万人を突破し、その後も増え続けたが、シンボルタワーからの観察ではまったく混乱はその兆しさえなかった。それにあしたは閉会。今日の観客に対する入場制限は話題にものぼらなかった。

 この人出の影響で、国鉄常磐線大混雑。国道294号と県道土浦境線で12km、常磐自動車道路谷田部インター出口で4kmの渋滞と知らされた。

 結局夜間入場者数もよく伸びて、338,539人の記録がつくられた。予測値は 216,000

7-7-3(続き)  916日(月) 最終日

184日間の終わりの日になってしまった。 雨一時曇り

7-7-3-5 閉会式

 

「さよならEXPO’85」わが国で3番目の国際博覧会「科学万博―つくば’85」は16日、184日間、半年にわたった会期を終えた。総入場者は15日に目標の2,000万人を達成。最終日の入場者を合わせて、20,334,727人となり、特定のテーマに基づいて開催される特別博覧会としてはこれまで最大の観客を集めた。

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写真  皇太子殿下ご夫妻をお迎えして

会場では、午後からエキスポプラサで閉会式。午後2時から、皇太子ご夫妻をお迎えし、中曽根首相をはじめ約2,000人の紹待客、約1,000入の一般客が出席して姶まった。

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写真  国旗入場

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写真  運営従業者整列

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写真  世界から拍手

地元高校生の演葵する「エキスポマーチ」の先導で、まず、わが国を含めた参加48ヵ国の国旗、37国際機関の旗やブラカードが入場、次いで、観客の案内に当たった政府館、28の国内民間パビリオン、科学博協会の順でコンパニオンが登場し、式典に彩りを添えた。会場内の店舗関係者や清掃員、観客の輸送を担った連節バスの運転手たちもステージヘ。

中曽根首相らのあいさつに続いて、皇太子殿下が閉会のおお言葉。参加各国の国旗と国際博覧会旗が降ろされ、国際博覧会旗は、来年開かれるバンクーバー交通博のパトリック・リード・カナダ政府代表の手へ。

各パビリオンも、閉幕に相応しいファイナルショーを催し、観客を楽しませた。

◎皇太子殿下のお言葉

国際科学技術博覧会は、本日幕を閉じることになりました。参加の各国、各国際機関を始め、内外関係者の多大な協力の下に各種の行事を滞りなく終え、この日を迎えたことは誠に喜びに堪えません。

この博覧会はここに終わりを告げます。しかし、本博覧会のテーマ「人間・居住・環境と科学技術」の示唆するところは・今後も永く大きな意義を持つものであり、私たちは相協力し合って、人類の望ましい世界を築くよう力を尽くしていきたいと思います。

この会場を訪れた多くの人々の心の中に、将来への新たな展望が開けていくことを願い、閉会の言葉といたします。

◎中曽根内閣総理大臣挨拶

本日ここに、皇太子同妃両殿下の御臨席を仰ぎ、国際科学技術博覧会の閉会式が挙行されますことは、誠に感慨無量なるものがあります。

国際科学技術博覧会は、開幕以来、内外から.2,000万人に及ぶ来場者を迎え、成功裡に終了することができました。これは、ひとえに参加各国及び国際機関の代表をはじめとする参加者各位・地元県市町村各位の絶大なる御尽力の賜物であり、ここに深甚なる謝意を表するものであります。

私は、この国際科学技術博覧会が、21世紀に向けての科学技術の発展の方向を示し、科学技術の重要性に対する人々の理解を深めるとともに、世界的な交流の場としての役割を十分に果たすことができたと確信いたしております。

もとより科学技術は、人類の幸福と社会の発展に奉仕すべきものであり、世界各国の各民族の伝統及び文化と十分に調和するものでなければなりません。私は、「人間・居住・環境と科学技術」という国際科学技術博覧会のテーマが、今後とも世界の至るところで想起され、人類の発展と国際平和が推進されることを心から希望してやみません。

終りに、国際科学技術博覧会の成功のために今日まで惜しみない尽力を重ねてこられた国際科学技術博覧会協会並びに関係者各位に対し深く敬意を表し、御挨拶といたします。

7-7-3-6 感謝のパレード

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写真 「ありがとう」政府館

 政府館では、184日の感謝をこめて、政府館の周りを「ありがとう」パレードをおこなった。そして、テーマ館の脇の池の前で、観客に向かって感謝の挨拶をささげた。

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写真 さよなら

7-7-3-7日本政府出展施設合同閉館式・解団式

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写真 閉館式場    

閉会式終了後、午後3時から4時まで、主会場テーマ館レセプションルームにおいて日本政府出展施設合同閉館式が行われた。関係された方々も参集されたが、みな笑顔、笑顔が員層的であった。

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写真 みな笑顔 井深副会長、伊原事務局長 

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写真 豊田運営総合プロデューサ

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写真 竹内知事

竹内科学万博担当大臣を始め、政府野幹部が列席し、運営の労をねぎらった。各館の館長、副館長および各館の運営関連の個人・協力会社が多数が招待され、この席上表彰状の授与が行われた。

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写真 竹内大臣

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写真 科学技術庁幹部

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写真 花束を頂いて政府館館長

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写真 解散パーティ

さらに、午後840分から、日本政府出展施設合同解団式が開催されすべての館より、可能の限り多くの職員、従業員多数が参加し深夜まで名残を惜しんだ。

7-7-3-8  最終日の入場者

 最終日の入場者数は216,085(予測値194,400)

累計 20,334,727人(予測値 2,000,700人)

 

このあと 8 成果と評価

9 あとがき 

で閉める予定です。

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2007年6月 1日 (金)

7-7-2 9月(その2)

7-7 -2   9 (その2) 世紀の祭典いよいよ終幕へ

7-7-2-1  98日(日) 

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写真 会場を埋め尽くす観客

期待される日曜日。朝から快晴。宿舎の脇の道は早朝から渋滞気味。渋滞を避けて抜け道を通り会場へ。駐車場から会場までの動く歩道もいっぱい。ゲートは開場まえから溢れている。今日は30万人超えるかも知れない。

 北ゲートの到着する連接バスも満員がつづく。正午過ぎに20万人を突破したとの情報がはいる。協会として滞留観客数が20万人を超えたとき、入場制限をするかどうかを検討することになっていた。押し寄せるVIPの対応の合間を探して、シンボルタワーに上り、会場の混乱の度合いを調べ、協会本部と協議するのも筆者の仕事であった。

 タワーからの眺めは、人・人・人であったが、中央プロムナードの人の流れはスムーズであり、普段は人出の多くないダベリング広場や、ぽっかりが丘への流れも緩やかに続いており、まだまだ余裕ありと報告する。

 ダイエー館前の群馬和太鼓の演奏にも大勢の観客が集まっていた。

 なお、エキスポプラサでは、引き続きボリショイ・サーカスが演じられ、まさに立錐の余地がなかった。

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写真 まだ余裕を感じさせる政府館の周辺

 13時過ぎには、滞留240,890人の表示が示されたが、まったく問題ないと確信が得られた。

 昨夜(7日)は夜間入場者が98,520人で記録をつくったと知らされ、30万人入場の期待は高まった。そして花火が打ち上げられた頃には、待望の30万人を超えていた。

今日の入場者 324,543人(予測:224,000人)

7-7-2-2  99日(月) 

曇り一時晴れ

昨日の興奮が夢のよう。10万人の観客は、なにかがらがらという感じ。しかし、残暑まだまだ暑い今日も大勢の観客の来場には、頭が下がる思い出ある。気になることといえば団体バスの数が急に減ったこと。昨日は400台を下回っていたが、この日も同様。旅行エージェントが大阪万博の先例で会期末は第混乱と見て、営業を抑えたのかと考えられる。とすれば、明日意向もあまり期待ができない。

エキスポホールでは、モニカ&藤岡琢哉のラストサマーコンサートが演じられて、2回の公演で4,000人余りの観客を魅了していた。

エキスポセンターも22,389人の記録を作り、累計100万人のイベントの準備を始めた。

今日の入場者 135,680人(予測:155,100人)

7-7-2-3  910日(火) 

 曇り一時晴れ

プラサでのボリショイは今日まで。

少し余裕ができたか、閉館後の相談が入ってくる。しかし、現実はまだまだ優先入場で振り回されている。今日も総館長自らでないとだめという人気パビリオンに、3度も足をはこんでしまった。お願いするほうも、されるほうも大変。VIPの方は是非8月のお盆前にきていただきたい。そうすれば懇切丁寧にご案内できるのだが。VIPといっても民間館の場合、出展社の役員やその家族はこの頃は一切だめ。お得意様のご家族様が最優先なのである。どうにかならないか。どうにもならないのである。

今日の入場者 138,358人(予測:119,800人)

7-7-2-4  911日(水) 

あいにくの天気となる。曇り一時雨

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写真 中曽根総理大臣にご報告

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写真 歴史館ご視察

いよいよ閉会に向かっての準備に入る。

 中曽根総理には十分万博の実地検証をお願いする。この日は会場建設の担当者としての木部建設大臣もご来場。国際機関では最後のスペシャルデーを催したISOのコタリ総会議長も来館。

来賓もお忙しく、ホスト側もめちゃくちゃの常態であったが、万博成功の確信を抱いての応接は、常に笑いがあり、満足の顔で満たされていた。

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写真 クバン・コサック合唱団

エキスポホールでは、ソ連の国立クバン・コサック合唱団のコンサートが行われた。「カリンカ」「ボルガの舟歌」「カチューシャ」などポピュラーな曲目を演奏して、観客を楽しませた。12日まで。

なお、この日エキスポセンターでは、待望の100万人の入場者を迎えた。福岡県の女性で、センター館長室で、榊館長より記念品が渡されている。

今日の入場者 156,504人(予測:133,100人)

7-7-2-5  912日(木)

 

曇り一時雨

この日は最後のナショナルデーが行われた。

ネパール

A ブロック

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写真 ビレンドラ国王

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写真 ネパール館

ネパール王国の環境は、熱帯気候から万年雪の宿るヒマラヤまで多種多様であり、その中で育った伝統的技術や文化は、それぞれの環境に適応し調和するものとなった。科学万博への出展に際しては、この多様な環境と文化、平和を愛する国民性、そして特異な環境に対して独自の開発を進めていく姿を5つのテーマに分けて紹介することが基本構想とされた。

「人問」コーナーでは、ネパールの人びとのいきいきとした表情がスライドと写真パネルで紹介され、「環境」コーナーには、「世界の屋根」ヒマラヤ山脈の写真パネル、高山に住む180種の蝶の標木が展示された。「平和」コーナーに安置された仏像が、平和を愛する国民性を象徴、「開発」コーナーの水力発電所のタービン部品等が、豊かな水資源を利用する姿を紹介した。最後の「居住」コーナーには、カトマンズ盆地のネワール族の農家のモデルが展示され、パネルではそれぞれの環境に適応した多彩な住居形態が紹介された。

なお、館内中央には、木彫を施した寺院風のカウンター兼売店と、カーペットを敷いた台「チョータラ」(休憩所)が設けられた。

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写真 工ベレスト・カルチュラル・トループの踊り

912日、ビレンドラ・ビル・ビクラム・シャー・デープ国王・王妃両陛下を迎えて、エキスポプラザでナショナルデーの式典が開催された。当日は、総勢22人の「工ベレスト・カルチュラル・トループ」がヒマラヤ山系高地に伝わる神秘的な踊りを披露し、映画「ジス・イズ・マイ・カントリー/ネパール王国」も上映された。このほか、仮面舞踏「マハカリ・ピャクン」の公演、シェルパ族宮大工による彫刻の実演等、エキゾチックで神秘的なネパール文化を伝える数々の催し物が行われた。

 

 竹内科学万博担当大臣来館。終幕へのピッチ急。

今日の入場者 154,563人(予測:131,700人)

7-7-2-6  913日(金)

 晴れ

国際科学博覧会名誉総裁であらせられる皇太子殿下・同妃殿下をお迎えするのにふさわしい秋晴れの日であった。

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写真 観客にお手を振られる皇太子殿下・美智子妃殿下

皇太子殿下ご夫妻は、3月の開会式の前に、エキスポセンターを含む政府館をご視察いただいている。今回は閉会式にご参列いただくために、13日から会場にこられ、くまなくご視察をいただいた。

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写真 日本代表(向かって右側小林さん)

この日、エキスポプラサでは、915日に行われる‘85ミス・インターナショナル・ビューティ・ページェントに参加する日本代表の選出大会が行われ、同時にミス・ワールドも選出された。

85ミス・インターナショナルには静岡の小林利花さんが、ミス・ワールドには大阪の杉本治子さんが選出された。

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写真 モンゴル国立歌舞団

また、エキスポホールではモンゴル人民共和国国立歌舞団の公園が行われたが、モンゴルの歌は、日本の民謡「追分」「馬子歌」に驚くほど似ていて、観客の共感を呼んでいた。

 

今日の入場者 130,863人(予測:146,600人)

7-7-2-7  914日(土)

曇り後晴れ

皇太子殿下・同妃殿下には今日も場内をご視察いただいた。

閉会式の主役になられるVIPがだんだんお揃いになってきて、事務局の緊張は大変高まってきた。そんな中、明日のミス・インターナショナルの審査員にさせられた総館長は、世界の美女の大挙訪問を受けてびっくり。秘書も事務局も仕事の手を止めて、何事がおこったかと、総館長室を覗く。

美女たちの背の高いのにまた、びっくり。この審査員訪問は恒例とのこと。としてもどんな顔で応接していたか、本当に冷や汗ものであった。

今日は土曜日なので、期待していたが、やっぱり2,000万人は明日のお預けとなった。それでも夜間入場者が68,615人と新しく記録を更新してくれた。

今日の入場者 177,325人(予測:201,300人)  累計 19.780,103人(予測:19,590,600人)  

明日の正午前には念願の 2,000万人となるだろう。

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